アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


18.僕たちは似ている(19/151)

「調子はどうだ?」
「……別に、良くも悪くもないよ。気分はいつだって最悪だけどね」

 久しぶりに会ったヴァンの質問の意味をはかりかね、シンクは曖昧な返事をした。フィーネのもとで暮らすようになってから顔を合わせるのはこれが初だ。そもそもこうして呼び出されなければ、シンクも自分から接触しようとは思わなかっただろう。
 救われたとはいえ、一度は破棄された身だ。居場所を与えられたとはいえ、無理に造り出された人生だ。
 シンクのヴァンに対する感情は自分でもまだ整理がつかない。恨みも憎しみも当然あったが、ヴァンの目指す預言スコアのない世界というのは魅力的だった。それはこの忌まわしい世界を壊すことと同義であり、シンクのなけなしの存在意義にもなりつつある。
 ヴァンに連れられて、教団の奥深くへと進んでいくと、なにやらひらけた訓練室のような部屋に辿り着いた。実際、部屋はそういう目的で使われているのか、的になりそうな木偶人形がいくつか配置されていた。

「譜術の習得は進んでいるか?」
「所詮は劣化品だからね。フィーネが言うには、ボクには第三音素サードフォニムの適正があるらしいよ」
「見せてみろ」
「……」

(ヴァンが今日ボクを呼んだのは、使い物になるかどうか見極めるためってことか?)

 シンクは木偶人形の一体に狙いを定めると、教本通りの正しい詠唱を行った。

「唸れ烈風、大気の刃よ、切り刻め、タービュランス!」

 詠唱が終わると同時に、木偶人形の足元が光り、風の刃が吹き荒れる。ヴァンは何も言わなかった。シンクはもう一度、今度は別の人形に狙いを定める。

「雷雲よ、我が刃となり敵を貫け、サンダーブレード!」
 
 まばゆい紫色の光が、剣の形を取って真っすぐに人形に突き刺さった。上級譜術は最近練習を始めたばかりで少し不安だったが、今の出来は我ながらそう悪くない。

「……ふむ、いいだろう」

 どうやら、ヴァンの中でも及第点に達したらしい。シンクがヴァンのほうへ向き直ると、彼は淡々とした口調で言った。

「お前にはこれから、ダアト式譜術の訓練を受けてもらう」
「それは、」
「歴代の導師にのみ継承されてきた、譜術を組み込んだ格闘術だ。第七音素セブンスフォニムを大量に消費するが、お前でも使えないことはあるまい。そのために譜陣も描いた」
「……」

 代わりの導師としては使えなかっただけで、他の人間に比べればはるかに素養はあるということだろう。導師のみに継承、というのはなんとも皮肉なことだったが、使えて損なことは何もない。
 ただ一点だけ、シンクには気になることがあった。

「それって、ヴァンが教えてくれるわけ?」
「言っただろう。ダアト式譜術は導師しか使えない」

 嫌な予感がした。悪寒と言ってもいいだろう。
 ヴァンが部屋を出て、誰かを呼びに行く。シンクは逃げ出したくなる気持ちをぐっとこらえて、そいつが姿を現すのを待った。
 シンクが今、こうしてここに存在することになった元凶を。



「おや、誰かが木偶人形を出しっぱなしにしているのかと思ったら……ガラクタのほうだったんだね」
「……被験者オリジナル

 導師にしか使えないと言うのなら、確かに教える役目は被験者オリジナルにしかできない。彼がまだ少しでも元気なうちに、とヴァンが継承を急ぐ理由もわかる。だが、まさかこんな形で対面するとは思わず、シンクは仮面越しに彼をまじまじと見つめることしかできなかった。

「僕を被験者オリジナルと呼ぶのか。それはいいな、六番目。代用品にもなれなかったゴミクズが、本物に会った感想はどうだい?」
「……温厚で優しい導師サマってのは、どうやら存在しないらしいね。これじゃあ、さっさと交代したほうが世の中のためになりそうだ」
「フン、言うじゃないか。お前はあのお人形さんみたいな七番目とは違うらしいね。教育の差かな」

 言って、被験者オリジナルはヴァンのほうをちらりと見る。七番目こそ正式に導師を継ぐのだから、同じくダアト式譜術を継承する都合で会ったということなのだろう。ヴァンとモースのことだ。傀儡となる導師はさぞかし従順な性格に造りあげたに違いない。
 被験者オリジナルはシンクの仮面に目を止めると、憎らし気に唇を歪めた。

「それ、フィーネに貰ったの? 選ばれなかった者同士、顔を隠して仲良くやってるみたいでよかったよ」
「選ばれなかった?」
「はは、フィーネから聞いてないの? まぁいちいちガラクタに話す内容でもないしね」
「……」

 ガラクタガラクタと煩い。いちいち当てつけのように言われなくても、自分が劣化品であることはシンクが一番よく理解している。そして、被験者オリジナルがシンクの痛みをよく知っているように、シンクもまた被験者オリジナルに何が刺さるのかをよく理解していた。

「導師サマは随分と暇でいらっしゃるようだ。残り少ない寿命でレプリカ相手に憂さ晴らしなんてさ。あの泣き虫の魔物使いを導師守護役フォンマスターガーディアンから解任したらしいけど、本当に見放されたのはアンタのほうなんじゃない?」
「黙れ、グラビティ」

 被験者オリジナルがそう言うと同時に、シンクの身体に押さえつけるような強烈な負荷がかかる。
 無詠唱。術の発動までほとんどノータイム。これが被験者オリジナルなのかと、シンクは歯を食いしばった。

「いい気になるなよ、六番目。お前は僕やヴァンのお情けで息をしているに過ぎない。ダアト式譜術を教えるのも、お前を利用するためだ」
「ぐっ……!」

 こちらに近づいてきた被験者オリジナルは、まだ過重力状態のシンクの脇腹に拳を入れる。本当にこいつ、死ぬ予定なのか? 思わずそう思ってしまうほど、それは重い一撃だった。そして痛みとは別に、殴られた部分が焼けるように疼く。

「っ、何をした……」
「お前にカースロットをかけた。人間の――いやレプリカでもいい、フォンスロットへ施すダアト式譜術のひとつさ。身をもって教えたほうが分かりやすいかと思ってね」

 被験者オリジナルがどこまで本気で教える気なのか、単にシンクを甚振るつもりなのかはわからない。ただ彼は意地悪く笑って、今かけたカースロットなる術の説明をした。

「それは精神に作用する術なんだ。お前の辛い記憶を揺り起こし、理性を麻痺させる」
「……」
「他人を操る術のひとつだけど、何でも自由自在に操れるわけじゃない。どちらかといえば、恨みや復讐心を増幅させて倫理のタガを外してやる代物だね」

 被験者オリジナルの声がどこか遠くで聞こえているような不思議な感覚だった。身体が熱い。全身から汗が噴き出す。まだまともに戦ってもいないのに、シンクの呼吸は激しく乱れていた。恐怖と憎悪が身の内から際限なく沸き上がり、吐き気が酷い。そしてそんなボロボロの状態なのに、身体は勝手に被験者オリジナルへと突っこんでいた。

「お前なんてっ、お前なんて!」

 心と体の統率がとれない。そんな状態で向かって行っても、被験者オリジナルに一撃すら与えられないだろう。案の定、彼はシンクを鼻で笑って、ひらりと身をかわした。かわすついでに、蹴りも一発。シンクは地面に倒れ伏したが、なおもまた身体が勝手に立ち上がる。

「殺してやる……殺してやる……」
「イオン様、いきなりカースロットを使うのは危険なのでは? ご覧の通り、シンクには効きすぎるでしょう」

 それまで黙って事を見守っていたヴァンが、初めてそこで口を挟んだ。

「問題ないよ。以前に比べると筋肉も落ちて痩せてしまったし、弱っているのは事実だけど、僕が劣化レプリカに負けることなんてない」
「殺してやる!」

 なおも向かってきたシンクを、被験者オリジナルはろくに見もしないでいなした。彼はもうすっかり、シンクという玩具に飽きてしまっているように見える。いや、シンクだけでなく、この世界自体にうんざりしているというような口ぶりだった。

「……無理だね、お前がどんなに頑張ろうと、僕が死ぬのは今じゃない。なんてったって、預言スコアにそう出てるんだからさ」


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mokuji