16.変換には要注意(17/151)
本日二度目の着替えを終えたフィーネが特務師団の訓練場に姿を現すと、訓練の準備や装備の点検をし始めていた兵たちが手を止めて一斉に整列する。
「「おはようございます!」」
フィーネは心の中でやりすぎない、怖がらせない……と自分に言い聞かせるように唱えながら、おはよう、とごく自然に返事をすることに成功した。一応、謝ることも考えなかったわけではないが、あくまで昨日のは訓練なのだ。上官だって人だから間違うことはあるけれど、指導に関しては簡単に頭を下げるわけにはいかない。体罰とは違うのだから、痛くしてごめんねなどと、そんな甘っちょろいことを言う上官では示しがつかないのだ。 ざっと見た感じ、寝込んだりして欠席している者はいないようだけれど……。
「師団長の姿が見えませんね?」
ただ一人、この場にいないのが師団長であるアッシュであった。フィーネが問うと、最前列にいた兵が答える。
「はっ、師団長は本日別のご予定があり、こちらにはいらっしゃらないとお聞きしております」 「ええ……知らなかったな。別のご予定とは?」
なんと、いきなり困ったことになった。一瞬、自分が聞き逃したのだろうかと記憶を辿るが、アッシュは今日の予定については何も言っていなかったように思う。
「我々も詳しくは……」
兵たちも困ったように顔を見合わせる。その中でフィーネは、何か言いたそうな顔をしている兵を見つけ、発言を促した。彼は確か、昨日アッシュの執務室に控えていた兵の一人だ。
「ダドリック、何か知っているようなら教えてください」 「え、ええ、副長、オレの名前覚えて……」 「名前くらい、昨日あれだけ殴れば覚えます」
ざわっとなった。その反応でフィーネは墓穴を掘ったことを自覚し、それから咳払いをして誤魔化そうとした。
「そんなことより、ダドリックは師団長の行先を知っているのですか?」 「い、いや詳しく知っているわけではないです。ただ、可能性としてケセドニア北部かなって……」 「ケセドニア?」
ケセドニアと言えば、キムラスカとマルクトの国境をまたぐ商業自治地区だ。最近、ケセドニア北部でマルクト軍とキムラスカ軍の戦いがあり、神託の盾騎士団も介入する事態となったため記憶に新しいが、停戦した今となっては特に訪れる用のあるところでもない。一応、ケセドニアはダアトに多額の献金をしているお得意様ではあるので公務の線も消えないが、それならそれで尚更一人で行くのはおかしいだろう。というか、単独行動をしがちとは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
「戦後処理にまではダアトは関与しないと聞いていましたが……」 「ええ、師団長も直接は介入なさらないと思います。ただ、今回の戦でキムラスカ軍が壊滅状態と聞きましたから気になるのでしょう」 「? 師団長はキムラスカに縁故があるの?」 「そのようですよ、詳しくはお話になりませんが」 「そう……」
故郷か何かだったのだろうか。気持ちはわからなくないが、あくまでダアトは中立の立場を取らねばならない。今回の神託の盾騎士団の参戦にしても、ケセドニアが常日頃ダアトの庇護を求める立場だったからこそ介入できたのであり、少しでも加減を間違えてどちらか一方の国に肩入れしすぎてしまえば、この世界の均衡は簡単に崩れてしまうに違いなかった。
「わかりました。師団長が戻ったら、私のほうからも少し事情を確認します」 「あの、こう言っては何ですが、師団長が不在にされるのはよくあることですので……」 「……どこの師団も変わらないのですね」
え? という顔をされたが、正直カンタビレ師団長も自由人だった。まぁそのために副師団長というものがあるのだから、別に構いやしないけれど。 フィーネは気持ちを切り替えると、では、と手を打ち鳴らした。
「訓練を開始しましょう。師団長が不在でも、私がしっかり指導するので安心してください」
昨日はちょっと加減を間違っただけで、訓練をすること自体は問題ないはずだ。これまで特務師団には副団長の職位がなかったようだし、兵たちは指導者のいない中、さぞかし訓練しにくかったことだろう。フィーネが口元に笑みを浮かべたのは、そういう兵たちを思っての、あくまで善意百パーセントであった。
「はっ、はい!」
が、その笑みを見せられた兵たちの心境や如何ばかりか。 やりすぎない、やりすぎない、と心の中で繰り返しているフィーネは気づかない。ましてやうっかり漏れた心の呟きが、兵たちの中で“殺りすぎない”という字に変換されていることなど、知る由もなかったのだった。
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mokuji
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