アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


14.やりすぎた、言いすぎた(15/151)

 やりすぎた。やらかしたかもしれない。
 その日、フィーネは自室に戻るなり、手近に仮面を放り投げてベッドに直行した。もちろんその勢いに部屋にいたシンクは驚いたみたいだったが、今のフィーネはそれどころではなかった。
 別段、イオンや預言スコアのことに関わらなければ、シンクに対して必要以上に気を使う必要もない。フィーネはぽいぽいっと靴を脱ぎ捨てると、団服のままベッドに潜り込んで枕に顔を押し付けた。

「な、なんなのさ、一体」
「〜〜っ」
「ちゃんと人間の言葉で話してくれないとわかんないんだけど。それとも、あの魔物使いの女でも呼んでこようか?」
「呼ばなくていい!」
 
 これ以上、恥を広めるわけにはいかない。だいたいアリエッタのほうも、今日から第三師団の師団長として着任したばかりで忙しいに決まっている。第三師団はアリエッタに合わせてほとんど魔物で構成される部隊となったが、それでも人間の部下だっているだろう。アリエッタは魔物使いとしてひとつ壁があるとはいえ、話せば普通に可愛らしい少女だし、今頃、部下に歓迎会など開かれているかもしれない。いや、きっとそうだ。普通はそうなる。フィーネみたいに初日からやらかしでもしない限りは。
 フィーネが再度今日のことを思い出して呻いていると、引っ被ったシーツの上から遠慮も無しに頭を鷲掴みにされた。

「いっ、痛だだ」
「だから何があったのって聞いてるんだよ」

 自分が機嫌の悪い時は話しかけるなオーラを全開にするくせに、立場が逆転するとシンクはそっとしておくという優しさを知らないみたいだった。
 更にシーツに潜り込もうとするフィーネと、逆に引きずりだそうとするシンクの無駄な攻防がしばし展開され、やがて根負けしたフィーネは潜るのを諦めた。

「何もない、何もなかったって!」
「はぁ? 何もない奴がこんなあからさまに落ち込んで帰ってくるわけないだろ」
「ほんとに何もない」
「……何もない、ね。待てよ? アンタ、確か今日、歓迎会があるから遅くなるかもって言ってたよね?」
「……」
「歓迎、してもらえなかったの?」

 ここでシンクの悪い所は、言いながらその口がしっかり弧を描いたところだろう。石のようにぴしりと固まるフィーネとは対照的に、シンクは急に生き生きとし始めた。

「ふーん、そっか。でもまぁ無理もないんじゃない? そもそもアンタって見た目からして怪しいし、いざ喋っても愛想があるわけでもないし、間違ってもすんなり人に好かれるタイプではないよね」

 今後、きみもそうだぞ案件である。むしろ、シンクのほうが攻撃的な物言いをするので、フィーネはひそかにシンクが配属されたときのことを心配していた。だからこそ先に特務師団に入った自分がそれなりに地盤固めをしておいて、いざというときシンクと他の兵たちとの仲を取り持たねばとすら思っていたのに。
 人の気も知らないで、と半眼になるフィーネを尻目に、シンクはなぜか本当に嬉しそうだった。

「いいじゃない、わざわざ雑兵と仲良くするメリットもないんだしさ、むしろ変に懐かれるより行動しやすいってものでしょ。アンタの仕事はアッシュの見張りで仲良しごっこをすることじゃない。わかってるだろ?」
「それとこれとは話が違う……」

 確かに、第六からの異動先として特務師団が選ばれたのは、ヴァンがフィーネにアッシュを見張るよう命じたからだ。アッシュもこの預言スコアを滅ぼす計画の賛同者ではあるが、ついついカッとなりがちな性格だから、勝手に単独行動をして突っ走らないよう見ていてくれとのこと。ヴァンはアッシュがローレライを消滅させるための重要人物なのだと言っていた。つまりフィーネに課された見張りの仕事と言うのは、実質護衛の仕事みたいなものなのだ。

「……あの、一つ訂正しておくけど、歓迎会を開かれなかったわけじゃなくて、開けなかっただけだから」
「はぁ?」
「だからその、訓練のしすぎでそれどころじゃないっていうか……歓迎会は開かれなかったわけじゃなくて、開けなかっただけなの」

 とても大事なことなのでフィーネは二度言う。そのおかげで理解が進んだのか、疑問符を浮かべていたシンクの表情がじわじわと変化し、ある一点を超えたとたん快活に弾けた。
 
「あははははっ、まさかアンタ、初日から特務師団の奴らをボコボコにしてきたの? ボクにやったみたいに? そりゃ嫌われて当然だよねぇ!」
「だ、だから嫌われたとかじゃなくて、物理的に皆それどころじゃなくて」
「いや、やられたボクが言うんだから間違いないよ。あの時、アンタにスッゴク腹が立ったからね。帰ってからも全身痛いし、ムカつくしでなかなか眠れなくてさ、ほんとに最悪だったよ」
「……」

 最悪な思い出を語るわりに、シンクが突き抜けて楽しそうなのはなぜなのだろう。彼がフィーネの元に来てからこんなに上機嫌なのはおそらく初めてのことだった。やはり大嫌いだと言っていただけあって、フィーネが失敗すると胸のすく思いがするのだろうか。
 フィーネは情けないやら、悲しいやら、憂鬱やらがごっちゃになって、考えるのをやめにした。シンクの感想から特務師団の兵士たちにも嫌われてしまった可能性が出てきたが、確かに彼の言う通り元々人に好かれるたちでもない。遠巻きにされるのには慣れているし、今回初めての異動ということもあって、環境の変化にほんのちょっと期待してしまっただけだ。

「今日はもう寝る」
「……なに、怒ったの?」
「違うけど、寝る」

 フィーネが言って再び頭からシーツを被ると、今度はシンクも無理に引っぺがすようなことはしなかった。潜ってしばらく、彼が近くに立っている気配がしたが、それ以上嘲笑の言葉が降ってくるようなこともなかった。


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