アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


01.控えの子(2/151)

「今日も真面目に部下の指導? 毎日毎日飽きないね、ゴクロウサマ」

 いつものように訓練を終えて自室に戻ると、ごくごく当たり前のような顔をしてローレライ教団の最高指導者がソファに陣取っていた。
 それを見て一瞬動きを止めたフィーネだったけれど、急いで記憶を探ってみても別に元から会う約束をしていたわけではない。それなのにこちらが不在だったことが気に入らないらしく、言葉の上ではねぎらいつつも彼の口調には皮肉っぽい響きがあった。

「そっちこそ、公務は終わったの?」

 フィーネはそんな不機嫌な導師イオンを気にも留めず、手に嵌めていたグローブを外す。そしてそのまま彼女の目元を覆うようにつけられていた仮面も取り去ってから、ようやく彼に向き合った。

「聞かれるまでもないね。元から大したことじゃない、僕に求められているのは理想の導師サマでいることくらいさ」
「……」

 今の台詞を彼の信者が聞いたら、その場で卒倒しかねないだろう。先のホド戦争終結の立役者が先代の導師エベノスであるとすれば、今日までこの平和が維持されているのはイオンあってのことだ。信仰に厚く、柔和で、皆に愛される導師イオン。しかしフィーネが彼の前では仮面を外すように、彼もまたフィーネの前では導師という仮面を外す。その外しっぷりが余りにも豪快なので、誰かに聞かれないかと毎度ひやひやするのはこちらなのだが、そのあたりイオンは本性を隠すのがとてもうまかった。

「じゃあイオンもお仕事お疲れさま」
「何それ、嫌味?」
「え、いや、私はちゃんと本気で言ってる。愛想よくするの、大変だと思うから……」

 イオンは常に人に注目される存在だ。教団の中でも信者たちの手本となるような人物であらねばならないし、政治的にもキムラスカとマルクトという二大国に挟まれて中立を維持しなくてはならない難しい立場でもある。第六師団の副師団長を務めているとはいえ、一介の軍人であるフィーネなどとはその気苦労の多さは比べ物にはならないだろう。特にフィーネは人付き合いとか、世渡りとか、そういうものはからっきしだった。

「へぇ、仮面外しても真顔だから、嫌味なのかと思ったよ。自前の能面があるなら、もうつける意味ないんじゃない?」
「逆。普段から仮面つけてるせいで表情筋がなまったんだと思う」
「いや、フィーネは昔から愛想のない顔してたよ」
「……そうだったんだ」

 世間一般で言う幼馴染のような、昔から自分の素顔を知る数少ない人間に言われるとなかなかにショックである。赤ん坊の頃から孤児として教団に引き取られたフィーネと、同じく未来の導師となるために教団へ迎え入れられたイオン。そもそもの身分が違うためずっと共に過ごしたというわけではないが、歳が近かったのと、預言スコアに興味のないフィーネを一方的にイオンが気に入り、そのまま成長しても友人関係が続いている。と言っても、彼の口から放たれるのはだいたい皮肉や嫌味ばかりなので、ちゃんと友人だと本当に思われているのかは怪しいところではあるが。

「まぁ、戦うのに愛想は要らないし、いいかな」
預言スコアを憎んでいるくせに預言スコアを読む僕と、預言スコアに弾かれたくせに預言スコアを遵守する教団に仕えるフィーネか……世界は実に滑稽だね」
「別に私はそこまで熱心じゃないよ」
「ふーん。そのわりには随分と馬鹿正直に仕事をやってるみたいだけど?」
「仕事は衣食住を提供してもらってるから当たり前。後は私が個人的に強くなるのが楽しい」
「馬鹿は馬鹿でも筋肉馬鹿、か……」

 今日はいつにも増して酷い言われようだが、フィーネは特に気にせず機嫌が悪いのかなくらいにしか思わなかった。イオンの職務上、口外してはいけないことも多いため、愚痴を言いたくてもまともに内容を話せないという場合もある。そんなとき、彼はいつだって預言スコアや世界そのものに対して虚無的な態度を取るのだ。それが今の彼に許された唯一の発散方法なのだとしたら、ここで好き放題言えばいいと思う。少なくともフィーネは預言スコアを特に有難がってもいないし、イオンの性格にも慣れているので、導師様・・・の発言に幻滅することはなかった。

「フィーネのそういう、目の前のことしか考えないところ見習いたいね」
「過去はどうしようもできないからね」

 彼が言うように、フィーネも預言スコアのせいで人生が狂わされたクチだけれど、不思議と彼ほど預言スコアのことを憎んではいなかった。今の生活に特に不満が無いからかもしれない。誕生日も定かではないせいで、一年に一度の機会ですら預言スコアを求める気にはなれなかった。遠い昔に一度だけ確認したこともあるが、やはりフィーネは預言スコアに弾かれているのか、単に払った金額ではまともに詠み解けやしなかったのか、何の結果も得られなかったのだ。それ以来、他人と預言スコアの話をするときは適当に合わせているし、聞き流してもいる。イオンの皮肉を受け流すのに比べたら、預言スコアの話を受け流すのなんて楽勝だ。

「イオンもたまには身体を動かしたほうが良いよ。昔は一緒によくやったでしょ。運動しないから気分も滅入るし、身体も弱る」

 実際に、ここのところ導師の体調が思わしくないという噂があった。もちろんそれは噂レベルで、彼が公務を欠席したなどという事実はないのだけれど、最近ふとした瞬間に彼の表情が暗いことはフィーネも気になっていた。何か悩み事があるようにも見えたが、プライドの高い彼のことだ。果たして相談してくれるだろうか。病は気からとも言うし、訓練などの気晴らしでもやらないよりかはマシだと思うのだけれど。

「……導師が表立って戦うのは体裁が悪いんだ。それに、生憎と僕はそんな単純な身体のつくりはしてないんだよね」

 しかしやはりイオンはぼやかした言い方しかしない。ただ、苦り切ったその表情から、彼の悩みがそう簡単なものではないのだろうということはわかった。
 だからフィーネもそれ以上追及することは無く、私にできることがあったら言って、とだけ返した。


 ▼△

 フィーネはそれこそ、物心がつくずっと前からダアトで暮らしている。
 表向きは身寄りのない“孤児”として教団内の施設で育てられたが、これでも一応生まれは由緒正しい貴族の出であった。両親も兄も未だ健在。実家、と呼ぶにはなんの思い出もなかったが、そこも未だに権勢を誇っていると聞く。
 ただその繁栄もきっと、預言スコアに詠まれているからというだけなのだろう。

 十三年前。フィーネがまだ母親の胎内にいた頃、貴族である両親は大枚をはたいて、産まれてくる子の預言スコアを求めた。ユリアのもの以外は解釈が難しいとされる預言スコアは、世知辛いことにお布施の多寡によって詠む者が変わる。すなわち能力の高く、経験の豊富な預言士スコアラーに詠んでもらったほうが、より詳しい内容がわかるというわけだ。

 結果、高名な預言士スコアラーが詠み解いた子供の運命は、非常に素晴らしいものだった。
 一族の更なる繁栄をもたらす子供。両親はおろか親戚中からも期待され、その誕生は皆に祝福されるはずだった。

 だが、天気や時刻に至るまで何もかも預言スコア通りのその日。
 たったひとつだけ、致命的で重大な誤りがあった。

 産まれた子供は双子だったのだ。
 その後いくら金を積んでも、子供が二人だと言う結果は出なかった。敬虔な預言スコア信者だった両親は困惑し、教団は預言スコアから外れた存在である双子を忌まわしいものとみなした。
 ここで、過激な預言スコア信者であれば、そうした忌み子を殺してしまうのも選択肢にあがるだろう。事実そういう話もあったらしいが、預言スコアの遵守を絶対とするのであれば、逆に繁栄をもたらす子を殺すわけにもいかなかった。

 要するに、どちらが殺すべき忌み子だったのか、誰にもわからなかったのだ。

 そのため、とりあえずの措置で双子の兄妹は両方生かされることとなった。両親は男である兄を当主にすえ、万が一彼が忌み子だった際のスペアとしてフィーネを教団に預けた。
 だが、未だに実家が安泰でフィーネにお呼びがかからないところをみると、どうやらその選択は正しかったらしい。かといってお前が忌み子かと命を狙われた覚えもないので、こちらは実質捨て置かれている状態だった。フィーネがいることで特に問題が起こらない以上、藪蛇は避けたいのだろう。フィーネを殺してしまってから、万一兄が出来損ないだと判明するようなことがあれば取り返しがつかない。

 フィーネ自身も自ら動く気はなかった。実家の人間を見たことも数えるほどしかないし、"孤児"扱いなので苗字もない。相当似ているらしい双子のこの顔も、普段は仮面で隠している。それでもう何も問題はなかった。努力を重ね、実力者揃いの第六師団の副師団長まで上り詰めた今、過去に未練なんてない、はずだ。

(預言を憎む、か)

 フィーネはイオンの言葉を思い出して、自分の中にそのような感情があるのかしばし探ってみた。
 けれどもやはりわからない、というのが、正直な今の答えだった。


prevnext
mokuji