アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


13.斜めからの部下(14/151)

「確か、今日から来るんだよな?」
「ああ、そのはずだぜ。やっぱり怖ぇ人なのかな……」

 神託の盾オラクル騎士団内での人事異動は、決まったタイミングにあるわけではない。師団内で細かな配置換えや昇進はあっても、師団をまたぐような大きな異動は数年に一度あるかないかの話である。
 今日は、アッシュが師団長を務めるこの特務師団に、元第六師団副師団長――フィーネが着任する日となっていた。第六と言えば、神託の盾オラクル騎士団きっての武闘派であり、少数精鋭の特務師団と比べれば、軽く百五十倍以上の人員の規模がある。そこの副師団長を務めあげていた人物が来るともなれば、兵たちがそわそわしてしまうのもわからなくもない。ましてや、フィーネはその肩書き以外にも、教団内では変わり者として知られた人物であった。

「本日からお世話になります。特務師団師団長補佐を拝命しました、奏手フィーネであります」
「師団長のアッシュだ。こちらこそよろしく頼む」

 時間きっちりにアッシュの執務室にやってきた女は、軍人らしい身のこなしで綺麗な十度の敬礼をして見せた。が、その変に真面目腐った態度のせいで、余計に顔の仮面がちぐはぐさを主張している。礼を重んじるのであれば普通は外して素顔を見せるものだが、噂によると彼女は第六師団に配属されるずっと前から頑なに仮面を外さなかったらしいし、そうなると素顔を知る者がいるのかどうかも怪しかった。

「そう畏まらなくていい。第六はどうだか知らないが、うちはそこまで規律に厳しくやってないもんでな」
「……そうなんですか?」
「特に、補佐のアンタにそう堅苦しくされちゃ、他の兵たちが困る」
「すみません。あの、アッシュ師団長はものすごく偏屈で厳しい方だとお聞きしていたので……」
「……」

 偏屈は余計だろ、とアッシュが思ったのと同時に、控えていた兵がぶほっと吹き出した。しかしフィーネのほうにはちっとも悪気がないようで、むしろホッとした雰囲気を漂わせている。

「誰に聞いたんだ、それ」
「異動が決まった際に、カンタビレ師団長が気をつけろと。今思えば、からかわれただけなのかもしれません」
「クソ、あの女……」

 師団長同士とはいえ、ほとんど言葉を交わす機会もなかったのに、部下を引き抜かれたのがそんなに気に食わなかったのだろうか。アッシュは脳裏に怜悧な目つきの女傑を思い浮かべ、ため息をつく。

 そもそもこの配属は、アッシュにとっても寝耳に水だった。規模の違う特務師団には元から副師団長の職位はなく、補佐というのは急造のポストだ。それはフィーネ自身もまた最近この計画に参加することになったばかりだという証明に他ならない。
 アッシュはもう一度彼女をまじまじと見た。実は、ヴァンから彼女の配属を通達されたとき、同時に仮面をつけている理由についても聞かされたのだが、彼女のほうはアッシュが事情を知っていると思っていないのではないだろうか。顔を隠している以上、きっと隠したい過去なのだろうし、それを本人が知らぬところで聞いたというのは少し罪悪感がある。

「その、仮面のことなんだが……」

 アッシュがそう言うと、フィーネはほら来たぞと言わんばかりに唇を引き結んだ。

「あ、はい。大変失礼なのは承知してるのですが、これは、」
「いや、構わない。実は配属が決まった際に、ヴァンから少し聞いた。個人的なことだとは思ったんだがな……」
「そう、でしたか……ありがとうございます」

 目元が見えないので、実際のところ彼女がどう思ったのかは量りかねるが、アッシュの言葉にフィーネの肩から力が抜けるのが分かった。変わり者で怖いというのはイメージだけで、根は結構単純な性格なのかもしれない。少なくとも、彼女の生い立ちを聞いてアッシュのほうは勝手に親近感を持っていた。マルクトとキムラスカという違いはあれど同じ貴族の出で、預言スコアのせいで居場所を失い、教団で正体を隠して生きることになった。
 傷の舐め合いは好みとするところではないが、彼女はこれから行われるヴァンの計画の賛同者。どこをどう間違っても、預言スコア狂いということは無いに違いなかった。

「それで、その……補佐って、私は何をすればいいんでしょう」
「あぁ、そうだな。いや、実はこっちも急な話でまだ具体的には決まっていない。フィーネは師団長補佐ではあるが、特務師団とは別で総長の命を優先して動いてもらうこともあるらしい」
「え、そうなんですか」
「第六でフィーネは何をしていたんだ? しばらくはこっちでも同じような働きをしてもらえればと思うが……」

 フィーネは頬に手をやって、うーんと唸った。化けの皮がはがれるというか、フィーネも緊張が少しずつほぐれてきたらしく、そうやっているとちゃんと年相応の子供に見える。新しく配属されたこの補佐役は、大層な肩書きや仮面による噂があっても、結局はアッシュより年下の少女なのだ。

「第六では、戦闘の指導を主に行っていました」
「そうか。では、うちのも鍛えてやってくれるとありがたい」
「わかりました。行ってきます」
「!?」

 再度綺麗な敬礼をしたフィーネは、くるりと踵を返すとそのまま執務室を出ていこうとする。そしてちょうどその場に控えていた兵たちを引っ掴むと、行こうと声をかけた。

「え、ええ!? は、はい!」

 もちろん、ただの兵卒に上官であるフィーネの誘いを断れるはずもなく……。
 一人、執務室に残されたアッシュは、またすごいのを寄こされたなと密かに頭を抱えた。

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