アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


61.甘いひと(145/151)

 見慣れた美しい紅い髪に、少し近寄りがたさすら覚えるほど強い意思を持った緑の瞳。つい先日遭遇したばかりのレプリカルークとは、同じ顔かたちなのにやはりどこか違う。
 まさか探していた本人が自ら舞い戻ってくるとは思いもよらず、フィーネは完全に虚を突かれて師団長、と口走る。そうしてから今は自分がその“師団長"になったのだったと思い出して、椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった。

「光よ、フォトン!」

 考えるより先に身体が動いていた。対話をするふりをして時間を稼いで味方を呼ぶことだってできたはずなのに、とにもかくにも捕らえなければ、という思いが先行したのだ。当然、話を遮られた形となったアッシュは現れた光の輪に一瞬愕然としたような表情を浮かべる。が、それでも彼は確かに特務師団の師団長を務めていた男なのだ。不意を打つことでダメージこそは与えたものの、完全に拘束するには至らなかった。
 
「チッ、久しぶりだってのに随分なご挨拶だな……」

 それどころか彼は反撃の兆しすら見せない。このまま戦闘にもつれ込めば考えないまま動くことができたけれど、アッシュは未だに剣すら抜いておらず、かえってフィーネは出方に迷った。ここがアッシュと二人でよく過ごした執務室だということも、フィーネを迷わせた理由のひとつだった。

「……どうして今更戻ってきたんですか」
「人手が要るからだ。お前だって、いい加減にこんなことは間違ってるとわかっただろう」

 一体何人死んだと思っている。

 アッシュの声には責めるような響きすらこもっていたが、アクゼリュスの件で言えばやはり間違っているのは預言スコア信者――いや、預言スコアそのもののほうだ。
 間違っていると言い切られて、フィーネは不服な気持ちが湧いてくるのを止められなかった。確かに自分たちは正しくはないけれど、だからと言って完全に間違いとも言えないのではないか。フィーネにはフィーネの事情があって今この立場を選んでいる。すべての人を納得させられる“正解”があるのなら、どうか教えてほしいくらいだ。

「私にわかるのは、預言スコアなんてないほうがいいということだけです」
「それは俺だってそうだ! でもそのせいで大勢の人が死ぬのは間違ってるだろう! ヴァンは他の大地も崩落させる気だ。フィーネはそれでも奴に協力するのか」
「大勢の人が死ぬのは預言スコアが……」

 もしも。もしもオールドラント自体が滅ぶ運命でなければ、フィーネだって多くの命を犠牲にする勇気はない。だがこのままいけば数年足らずで皆死んでしまうのだから、ここまでくれば遅いか早いかの違いでしかないだろう。ナマエがヴァンに与しようとそうでなかろうと、オールドラントの生命は滅ぶ。どれほどローレライの覚えがめでたい人間であっても預言スコアから逃れることはできないのだということは、とっくの昔にイオンが証明していた。

預言スコア預言スコアって……それじゃまるで信者と変わらないな」
 
 しかしアッシュは惑星預言プラネットスコアのことまでは知らないようだった。うまく説明できないでいるフィーネに、苛立ちと失望がないまぜになった表情を浮かべる。

「……以前、お前がマルクトを故郷と思っていないと言ったのを覚えている。預言スコアのせいで居場所を失い、教団で育ったお前がそう思うのも無理はないだろう。だがな、フィーネ。貴族としてでなくてもいい、人としての矜持を忘れるな」

 言葉自体は厳しかったが、彼の口調はまだ優しかった。戦おうとしないのも、諭すようなことばかり言うのも、彼がフィーネの力量を低く見積もっているからではない。彼がまだフィーネを部下だと思って、フィーネを改心・・させられると思っているからなのだろう。

「……」

 フィーネは迷ったけれど、やがて構えを解いて脱力した。

「それは、民を――人の命を守るということですか」
「そうだ」
 
 フィーネの問いに、アッシュは躊躇いひとつなく答えた。まるで今まで誰かを殺したいなんて欠片も思ったことがないみたいに。
 フィーネはゆっくりと、息を吐ききるように言葉を紡いだ。

「……あなたの、あなたのその正義感の強い、まっすぐなところをとても尊敬しています」

 執務机の引き出しは、いつの間にか少し立て付けが悪くなっていた。
 フィーネがそこに仕舞われていた武器庫の鍵を取り出すと、アッシュは明らかにほっとしたように嘆息する。そして鍵を差し出す素振りを見せると、近づいてきて疑いなく手を伸ばした。

「礼を言う」
「……師団長、ひとつだけ……ひとつだけ教えて下さい」
「なんだ?」

 初めてこの執務室で顔を合わせた頃から、アッシュはちっとも変わっていないように思えた。不器用だけれど無垢で、素直で、人間らしい甘さのある人だ。だからフィーネがわざと“師団長”と呼んだだけで、彼はこんなにも優しい顔をする。
 対して、自分は随分と変わってしまったな、と思った。フィーネはどこかやりきれない気持ちを抱きながら、鍵を受け取ろうとしたアッシュの右手をぎゅっと握りこむ。彼の利き手はこちらだ。

「その守るべき“人”に、レプリカは含まれますか?」
「っ!」

 目は口ほどに物を言う。驚きに見開かれた緑の瞳が、そんなことは考えたこともないと物語っていた。それを見たフィーネは素早く相手の懐に身を滑り込ませると、回転をつけて思いきりアッシュを床に叩きつける。

「残念ですが……そこにレプリカが含まれないのなら、私たちはどう足掻いても敵なんです」


▲▽

 派手な爆発音と同時に建物が揺れ、ぱらりと天井から砂ぼこりが落ちる。
 敵襲――シンクの脳裏によぎったのはもちろんその二文字だったが、曲がりなりにも国際社会で中立の立場をとり、緩衝材の役割を果たすローレライ教団をこのタイミングで攻める馬鹿がどこにいるのだろうか。

「参謀総長っ!」

 考えを巡らすよりも早く、ノックもそこそこに兵士が飛び込んでくる。師団長と呼ばれなかったことから第五の人間ではないのは明白だが、それでもシンクはその兵士の顔に見覚えがあった。

「何事だ」

 特務師団の師団長補佐――フィーネが師団長になったことで繰り上がってその役職についた男の名は、確かダドリックと言ったか。彼は敬礼もそこそこに「っ、アッシュです」と息を切らしながら言った。

「場所は南東第八倉庫付近、現在フィーネ師団長が応戦中です」
「わかった、特務師団の人間で南の隔壁を直ちに封鎖して。ボクが東側を抑える」

 参謀総長と言えど神託の盾オラクル騎士団のそれは、安楽椅子に座って事が収まるのを待っていられるほど気楽な仕事ではない。シンクはすっかり矢傷の癒えた右腕を軽く振ると、そのまま両手を打ちあわせた。

「まさかそっちから来てくれるなんて、アッシュにしては気が利いてるじゃないか」

 フィーネが応戦中とのことだが、正直彼女の身はあまり心配していない。これで相手が死霊使いネクロマンサーなら心配もするだろうが、アッシュにフィーネは殺せないということはわかりきっていた。

「逆はどうだろうね……」

 シンクの目から見ても、フィーネは随分と変わったように思う。烏滸がましいかもしれないが、彼女を変えた一因は自分であるとも感じている。シンクは廊下を駆け抜けながら、もしもフィーネがアッシュを殺すようなことがあればきっと胸がすくだろうな、と考えていた。もちろん六神将側にアッシュを殺す利点はないので、所詮はとりとめのない妄想でしかない。
 
 なんてたって彼はまだ、使い道のある被験者オリジナルなのだから――。




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