アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


55.あなたが望めば(139/151)

――グランコクマに入られる前に、導師イオンとアッシュを捕縛する

 それが今回の任務の目的であり、フィーネはシンク、ラルゴとともにテオルの森にしばらく前から潜伏していた。しばらく、というのは先にダアトを出たはずの彼らが、どうしてかなかなか姿を見せなかったせいである。もしや一足遅かったのだろうかと考えるも、グランコクマのほうに目立った動きはなく。それでは別のルートを通ったのかと考えるも、空を飛んで移動しない限り、グランコクマに入るには必ずテオルの森を通る必要があった。

 やはり、彼らは順当にバチカルに向かったのではないのか。アニスがスパイだというのは間違いで上手く出し抜かれてしまったのではないか。薄々現実に気づきながらも、暇なせいもあってそんな甘い考えが浮かんでくる。
 フィーネ自身イオン様と決別しているためアニスのことをどうこう言う資格がないのはわかっているが、彼女のことを考えるとやっぱりもやもやと割り切れない思いが胸にうずまくのだ。フィーネの知る導師守護役フォンマスターガーディアンとは、なによりも導師を優先し、導師のために生きるものであった。アリエッタという存在をずっと間近で見ていただけに、尚更アニスのことを薄情なのではないかと感じてしまう。

(親って、そんなに大事なんだ)

 だいたいの事情はシンクから聞いた。頭ではアニスの感情が普通のものだと理解しているが、どうしても実感にまで落ちてこない。フィーネの目には、アニスがただ仕事だという理由だけでイオン様に仕えているようには見えなかった。彼女がこれまでに見せたイオン様を大切に思う気持ちに偽りはないのだと今でも確信している。それでも――

(それでも、アニスは両親を選んだ・・・

 結局はそれが事実であり、現実である。フィーネは初めて自分に両親がいないことを感謝した。少なくとも、フィーネはシンクと親とを天秤にかけて苦しむような思いはしなくて済んだのだ。大事なものは少なければ少ないほどいい。フィーネはこれまで選ばれる立場のつらさばかりに意識を向けていたが、レプリカ計画を通して選ぶことの苦しさも理解したつもりだ。そして自らした選択には、それ相応の責任がつきまとうということも。

(アニスに会っても、私は何も知らないふりをしよう)

 そもそも彼らの『敵』であるフィーネに、アニスの裏切りを暴露するメリットはない。そんなふうになんとかフィーネが自分のもやもやに区切りをつけた頃、不意に見知った人物がこちらに歩いてくるのが見えた。

死霊使いネクロマンサーだ……!)
 
 テオルの森は広いため、フィーネはシンクやラルゴと手分けして監視を行っていた。木の上に隠れていたフィーネは、下を通っていくジェイドの姿に息を潜める。彼は一番最初にダアトからイオン様を連れ出した時同様、ちっとも焦った様子がなく堂々と闊歩していた。以前と違うのは、まさにそのイオン様がいないということだろうか。ジェイドは数人のマルクト兵と連れ立っていたが、なぜか近くに他の仲間の姿は一切見えなかった。

(とりあえず、シンクに報告しないと)

 相手も相手であるし、目的の二人の姿が見えない以上、迂闊な行動をするのはまずいだろう。むしろ強敵である彼が仲間と別行動をしているのなら、今が絶好のチャンスである。下手に引き留めたり、騒ぎになって味方を呼ばれたりするよりは、このまま見送ってどこかに行ってもらうほうが都合がいい。
 フィーネはジェイドが完全に通り過ぎてしまうのを待って、それから一目散にシンクが待機しているエリアへと向かった。


「シンク、報告。死霊使いネクロマンサーがいた」

 息を整えながらだったということもあって、随分とあっさりとした報告になる。が、それだけの言葉でも我らが参謀総長は十分に情報をくみ取ってくれたらしく、シンクは小さく頷いた。

「その言い方をするってことは単独だね。ということは、他の奴らは入口辺りで足止めでも食らってるのか」
「うん、一緒にいたのはマルクト兵だけだった。グランコクマの正門のほうへ向かってたけど、一旦見送ったよ」
「それでいい。おそらく正式な通行許可を貰いに行ったんだ。いくらヤツが皇帝の懐刀だとしても、アクゼリュスで生死不明扱いとなっているはずだしね。他国の人間を簡単には入れられなかったんだろう」
「じゃあ今がチャンスだよね」

 奇襲をかけるなら、急いでラルゴにも伝えなければならない。死霊使いネクロマンサーがいつ戻ってくるともしれないし、善は急げというものだ。しかしながらフィーネが踵を返そうとすると、それより早く「待った」とシンクが声をあげた。

「奴らに手を出すのはまだだ。フィーネはまず、適当なマルクト兵を襲撃して奴らを森の中までおびき寄せて」
「え……おびき寄せるって、騒ぎを起こすってこと?」

 せっかく今まで見つからないように隠れていたのに、そんなことをして大丈夫なのだろうか。フィーネが首を傾げると、シンクはちょっと不服そうに唇を尖らせる。

「ザオ遺跡の件を忘れたの? 死霊使いネクロマンサーが不在とはいえ、人数的に不利なのは変わらない。こっちの目的は生け捕りなんだし、なにも馬鹿正直に正面からやりあう必要はないでしょ」
「じゃあ……騒ぎを起こして、濡れ衣を着せて、マルクト兵に捕まえてもらえばいいのか」
「そういうこと。これから皇帝へ直談判をしようって時に、奴らも滅多な真似はできないだろうしね。完全に武装解除されたところを襲った方が簡単でいい」
「……うん、いいね。すごく、悪い」
「いいのか悪いのかどっちなんだよ」

 たぶん世間一般の常識からすれば悪いことなのだろうが、自分では思いつかなかっただけに秘密の攻略法を聞いたみたいでわくわくする。やっぱり頼りになるなぁと思って思わず頬を緩めると、シンクはフィーネの呑気さに呆れたみたいだった。

「ま、濡れ衣までは着せなくても森の中に侵入した時点で奴らの過失だからね。そういう意味では神託の盾オラクルがここにいるって匂わせてやるだけでも十分なんじゃない?」
「アッシュ師団長……いや、アッシュならそれで絶対追ってくるね」
「逆にフィーネが捕まるようなヘマはしないでよね」
「そのときは見捨てていいよ」

 もちろんマルクト兵相手に遅れはとらないつもりだけれど、人質や足手まといになる気はない。フィーネがあっさりそう言うと、シンクは見る見るうちに口をへの字に曲げた。

「言っただろ、アンタをどうするかはボクが決める」
「……」

 声音や呼び方的に気分を害してしまったのだということはわかったが、それを聞いたフィーネはなんだか嬉しくなってしまって慌てて背を向けた。フィーネの仮面は目元しか覆ってくれないので、うっかりにやけると全て筒抜けになる。

「う、うん」
「なにさ、ほんとにわかってるワケ?」

 見捨てるとはっきり言わなかったあたり、万一の時は助けてくれるつもりでいるのだろう。自分でも単純だと思うけれど、まだシンクに必要とされていることがこの上なく嬉しかった。

(浮かれてる場合じゃないって、わかってるけど……)

 自分は不要の烙印を押されて、生まれた意味もわからないままただぼんやり生きて終わるのだとばかり思っていたから。
 誰かひとりでもそうやって望んでくれる人がいるなら、その人に報いたいと思う。フィーネには他に迷うような選択肢ももうないから、死ぬことだって構わない。

「わかってるよ。シンクの言うことに従うし、シンクが望むなら私なんでもするから」
「っ、またそんな……もういい、わかった。行って」
「うん」

 まだうまく表情を繕えなかったため、シンクのほうへは振り向けなかった。だからフィーネは彼のため息に送られる形で出発することになったのだが、気分的にはかなり久しぶりに前向きになることができたのだった。

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