54.目元を拭って(138/151)
苛々している。焦っている。今にも追手がやってきて、また犠牲が出るのではないかとひやひやしている。そして犠牲が出ることだけでなく、自分のしたことが皆にばらされてしまうのではないかと思うと恐ろしくて仕方がない。 「あーあ、結局ここで待機かぁ」
ローテルロー橋から北西にあるテオルの森の入り口で、アニスは木の幹を何度も殴り気分を紛らわせていた。アクゼリュスの一件、それから一触即発の開戦ムードを受けてグランコクマでは防衛作戦が展開されているらしく、正式なマルクト軍人であるジェイド以外はここで足止めを食らってしまったのだ。ただでさえここに来るまでの間、タルタロスの故障によってケテルブルクへの寄り道を余儀なくされていたので、目の前に見えている道を進むことができないというのはとてももどかしいものだった。
「おいおい、大人しくしておいてくれよ。ただでさえあちらさんはピリピリしてるんだからさ」 「……わかってるけどぉ、ぶーぶー。こっちにはイオン様だっているのに、なんで通してくれないかなぁ〜ほんっと分からず屋」 「すみません、僕の力が及ばず……」 「ち、違いますよぅ! そういうことじゃなくって!」
もちろん、アニスにイオン様を責める意図はない。ただ導師であるイオン様よりも、大詠師や主席総長ばかりが実権を握っている現状に腹が立つだけだ。悪い奴らばかりが権力を持っているからアニスも従わざるを得ないし、そうやって権力に阿ることしかできない自分にも嫌悪感が募る一方である。
「アニスが焦るのもわかるよ」 「ただ待つのも結構大変ですわよね」
アニスがガイにたしなめられていると、ルークとナタリアが同じ気持ちだと言わんばかりに口を揃えた。正確には違っているのだが、彼らにとってはマルクト帝国は一応敵国になってしまうわけで、不安や待つことしかできない現状に焦りを感じているのだろう。ましてや魔界から戻って来たルークは当初と打って変わって責任を感じているみたいで、その表情はひどく沈鬱だった。
「さっきの入り口のマルクト兵……。俺たちが森に入ろうとしたら『罠かもしれない』って言ったよな……」 「ええ……。それだけマルクトとキムラスカの関係が悪化しているということね」 「やっぱ、アクゼリュスの崩落はキムラスカ側が仕組んだって思われてんのかな……」
ルークを親善大使として任命したのはキムラスカ国王だ。マルクトにどこまでの情報が伝わっているかは定かではないが、キムラスカ側があらかじめ結末を知っていたのなら『仕組んだ』とも言えなくない。今更になって、アニスはほんの少しルークに同情した。魔界に落ちたばかりの時は彼の態度に腹が立っていたけれど、全部が彼の責任と言うわけでもないだろう。もっとも、ルークが本当に心を入れ替えたのか、アニスはまだ半信半疑ではあったけれど。
「事情は先に行った大佐が伝えてくれるはずよ。済んでしまったことより、あなたには他に考えないといけないことが山ほどあるはずだわ」 「そうだな……。戦争のことも、セントビナーがまずいってことも……」
ティアの言い方はきつかったけれど、いつまでも後ろ向きな考えに囚われるよりいいのかもしれない。ルークが納得したように目を伏せた、その時だった。
――ぎゃあああぁぁ!
木立を超えて、耳をつんざくような悲鳴が響き渡る。その場にいた全員が咄嗟に身構え、険しい顔をして声のしたほうへ視線をやった。
「悲鳴ですの……」 「行って見ましょう!」 「あっ、おい、ナタリア!」
悲鳴を聞いていの一番に動いたのがお姫様なのだから、皆も後を追わざるを得ない。一行がナタリアに続いてテオルの森の中へ入ると、ほどなくして地面に倒れているマルクト兵を発見した。
「しっかりしなさい!」
そのまま何のためらいもなく地面に膝をついたナタリアが、兵士に向かって治癒術を行使する。助けられた彼はうう……と呻いた後、「神託の盾の兵士が……」と呟いた。 その言葉に顔色を変えたのは、アニスだけではなかった。
「神託の盾……。まさか、兄さん……?」 「グランコクマで何をしようってんだ?」
アニスが情報を漏らしたのはあくまで大詠師モースのほうだ。だが、タルタロスの際にはヴァンの部下である六神将が追ってきたし、結局ヴァンとモースの繋がりについてもいまいちはっきりしないまま。
「……セフィロトツリーを消すための作業とか?」
アニスは考えられうる可能性を、ただの一意見として口にした。黙っていては怪しまれるかもしれない。追手はヴァンだと印象づけてしまえば、モースと自分の関係性には目が向かないかもしれないなんてこともちらと脳裏をよぎった。
「いえ、この辺りにセフィロトはないはずですが……」 「いずれにせよ、神託の盾の行動が早すぎるわ。いつも先回りされてる」 「ええ、ヴァンの指示なのか、それともモースの指示なのか……。どちらにせよ、的確で迅速です」 「俺らを追ってきたんだとしたら、完全に読まれてるってことだよな……。わざわざバチカルを避けてこっちに来たってのに……くそ」
なんとか傷が癒えた状態の兵士を目の前に、ルークが悔しそうに拳を握りしめる。的確なのは当たり前だった。ばくばくと心臓の音がうるさく耳に響いて、周りに聞こえてしまわないかと気が気でなかった。
「イオン様、アクゼリュス以来の兄の足取りは掴めていないのですか?」 「わかりません。僕の指示で活動できるのは今や導師守護役くらいで、探索などはできていないんです」
そう言って、同意を求めるようにイオン様がこちらを見る。アニスはほとんど反射的に困ったような笑顔を作り、眉尻を下げた。ヴァンの動向については本当に何も知らないのだから堂々としていればよかったのに、なぜだかうまく言葉が出てこなかった。
「あぁ、もう話してても埒が明かねぇ! 神託の盾の奴らはまだこの辺にいるってことだろ? だったら追いかけてとっ捕まえようぜ!」
答えの出ない話し合いに焦れたように、ルークは短くなった髪をぐしゃりとかき混ぜた。苛々したときの彼の癖だ。そういうところは変わっていないようだったが、この提案にはナタリアも同意見らしい。
「そうですわね。こんな狼藉を許してはなりませんわ」
彼女はそっと木の幹に兵士を寄りかからせると、目に義憤の色を浮かべて立ち上がった。ルークの顔にもナタリアの顔にも、このままじっとしていられないとありありと書いてある。
「待って。勝手に入ったことを知られたら、余計にマルクト軍の心証を悪くしてしまうわ」
ティアだけは早まるべきではないとルークを諫めようとしていたが、場は完全に神託の盾兵を追う雰囲気になっていた。
「だからって、目の前に襲われてる人がいるんだ。このまま放ってはおけないだろ。それに師匠の手掛かりだって掴めるかもしれないんだしさ」 「でも……」 「ま、ティアの心配も一理ある。ここは見つからないよう、隠れて進むしかないな。俺たちがマルクト兵と戦うのはお門違いなんだから」
テオルの森は広く、見つからないように隠れて進むことも不可能ではないだろう。ヴァンのことを持ち出されれば、ティアは渋々といったように頷いた。
「……わかったわ。それじゃ、できる限り見つからないよう急ぎましょう。どうしても難しい場合は私が譜歌で眠らせるわ」 「おまえが一番ガチじゃねーか」 「ち、違うわ。私はただ、無駄な戦闘を避けたいだけで……!」 「あはは、ティアの譜歌はすごいからな。頼りにしてるよ」 「もう……」
ようやく話がまとまって、一行は森の奥へと進むことにした。先頭はルークとティアが務め、間にナタリアとイオン様を挟んだ形でアニスはガイと共に後方に気を配る。正直なところこの陣形はあまり嬉しくなかったが、あえて変えてくれと言いだす理由も持ち合わせていなかった。そしてアニスの嫌な予感を裏付けるように、いくらも行かないうちにガイがちらりとこちらを見る。 「……アニス、体調でも悪いのか?」 「そんなことないけど。なんで?」
素っ気ない反応になったのは、大きな声を出してマルクト兵に見つかってはいけないからだ。実際、話しかけてきたガイの声もとても抑えられていて、前を行くイオン様もナタリアも気がついた様子はない。
「いや、気のせいだったらいいんだ。なんとなく、元気が無いように感じたからさ」 「うーん。さっき木を殴ってたせいで、なんだか目と鼻がムズムズするかも」
言って、アニスは乱暴に袖で目元を拭う。それから、決してガイはそんなことを言わないだろうに、自分で先に認めてしまうことにした。
「あは、自業自得だね」
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mokuji
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