53.憎まれ役(137/151)
査問会にて無罪放免が決まって以降、姿をくらませていたアリエッタだったが、捜索にあたっていたラルゴから無事であることは前もって聞き及んでいた。アリエッタは今は焼け跡となったライガ・クイーンの森にいたらしく、結局ラルゴは彼女を無理に連れ戻すことはしなかったそうだ。日にち薬しかない、というのが彼の言葉だったが、たとえ傷口が塞がっても傷跡は永遠に残り続けるだろう。実際、隠し部屋に現れたアリエッタは以前より落ち着いていたが、同時に酷く憔悴しているようにも見えた。
「……アリエッタ、戻ったんだね」 「うん……ラルゴに手伝ってもらって、ママたちのお墓作ったから」 「……ごめん、何もできなくて」 「……」
フィーネの謝罪に、アリエッタは何も言わなかった。フィーネが勝手に罪悪感を覚えているだけで彼女の目に責めるような色はなかったが、代わりに彼女は小さく首を傾げる。
「それより、イオン様は? フィーネ、私の代わりに追いかけてくれてたんでしょう」 「えっと……」
アリエッタは一体どこまで知っているのだろう。アクゼリュスの崩落は周辺の魔物たちから伝わっているだろうが、あれにイオン様が巻き込まれたこと、その後ダアトで軟禁されていたこと、そしてつい先日またも彼がダアトを出てしまったことを一体どこまで伝えていいのかわからなかった。まさに今さっき余計なことを言うなと釘を刺されたばかりでもあり、返事に窮したフィーネはちらとシンクのほうを伺う。すると彼はため息をついて、会話の続きを引き取った。
「導師イオンは無事に保護された。しばらく教団内で大人しくしてもらうことになってるよ」 「よかった……。イオン様、無事に戻ってきてくれたんだ……。今はどこに――」 「悪いけど、会えるとは思わないでね」 「!」
先手を打って突き放すようなシンクの言葉に、アリエッタは大きく目を見開く。それから、どうして、と唇を震わせた。
「どうして、会えないの? イオン様、無事なんでしょう!?」 「命令違反をしたくせに、我儘が通ると思わないでくれない? アンタは本来なら除籍されてるところだった。それをヴァンとリグレットの取りなしでなんとか助けたのに、今度は勝手にいなくなってさ」 「だって、だって……アリエッタはママを放っておけなかったから……」 「それがなに? アンタが勝手な行動をしたという事実には変わりない。そんな自分勝手な奴なら導師を逃がさないとも限らないからね、アンタに居場所は教えられないよ」
イオン様がダアトを出たとなれば、またアリエッタが追いかけてしまうからだろう。本来、追いかけること自体は任務の内ではあるものの、アリエッタとイオン様の接触はなるべく避けたほうがいい。アリエッタがイオンの真実に気づいてしまう危険性もあるし、そうでなくともイオン様の説得が難しい以上、感情の高ぶったアリエッタがこちらの計画をもらしてしまう可能性もある。 アリエッタはぎゅっと眉を寄せると、助けを求めるようにフィーネを見た。
「ちなみにフィーネやラルゴから聞きだそうとしたって無駄だよ。アンタに教える可能性があるから、フィーネ達にも教えていない」 「……なら、自分で探すモン。さっき、教団にいるってシンク言ったから」 「あぁそう。それじゃあせいぜい頑張れば? もう導師守護役用の合言葉も知らないアンタに、見つけられるとは思えないけどね」
シンクがせせら笑うと、アリエッタは見る見るうちに目に涙を浮かべた。ぎゅっと腕の中の人形を抱きしめ、怒りと悲しみにわなわなと震えている。シンクが突いた導師守護役を外されたという過去は、まさしくアリエッタの急所に違いなかった。
「っ、ど、どうしてそんな意地悪言うの!?」 「意地悪? 事実でしょ」 「も、もうアリエッタの故郷に呼んであげないんだからっ!」 「ハ、呼ばれた覚えも、行くと言った覚えも無いね」
嘲って、ばっさりと切って捨てるような物言いは、聞いているだけでも身の竦むようなものだった。もともと口達者でないアリエッタがシンクに口で勝てるはずがない。彼女はぎりぎり涙をこぼさなかったけれど、結局「もういい! シンクのばかぁ!」と叫んで、逃げるように譜陣に飛び乗ってしまった。
「待って、アリエッタ!」
フィーネもまた、彼女を追いかけるように一緒に譜陣に飛び乗る。シンクがわざと憎まれ役を買ってくれたのもわかったし、まだ会議の途中だということも理解していたが、それでも今回だけは許して欲しかった。コーラル城でアリエッタを選ぶことができなかったから、フィーネが彼女と顔を合わせることできたのは随分と久しぶりだったのだ。
「……フィーネ」
まばゆい光が収まると、そこはもう先ほどの隠し部屋ではなかった。転移先の譜陣の上で、しばらくじっと見つめ合う。勢いだけで彼女を追ってしまったフィーネがなんと声をかけようかと迷っていると、アリエッタは不意にぎゅっと抱き着いてきた。
「……どうして、どうしてみんな邪魔ばっかりするの?」 「……」 「ママ、死んじゃった……。もうアリエッタには、イオン様しかいないのに……。イオン様に会いたい、会いたいよおっ……!」
シンクの前では馬鹿にされまいと我慢していたのだろう。堰を切ったようにわんわんと泣き出したアリエッタを、フィーネはただ黙って抱きしめ返すことしかできない。
「ねぇ、アリエッタの何がいけなかったの? アリエッタ、イオン様の為に頑張ってるモン……! なのに、イオン様、どうして……」
フィーネが寂しさという感情を学んだ時、ずっとそれに耐えてきた彼女はイオンを信じていると言っていた。今だってアリエッタはイオンのことを信じているからこそ、預言を無くすために頑張っているのだと思う。けれどもアリエッタからしてみればイオンはアニスと一緒にダアトを出てしまって、おまけにあんなに憎んでいたはずの預言に対する考え方も変わっている。アリエッタが混乱するのも無理はなかったし、弱音を吐きたくなる気持ちも痛いほどよくわかった。
「……アリエッタは何も悪くない」
世界は理不尽で、ままならないことばかりだった。いい子にしていたって報われないし、反対に泣きわめいて暴れたところで何も変えることはできない。それでもワイヨン鏡窟でシンクが言ってくれた言葉に心が軽くなったのを覚えていたから、フィーネはアリエッタにも同じ言葉をかける。
「アリエッタは何一つ悪くないんだよ……」 「う、ううっ……」 「イオンは……イオンのほうが考えを変えちゃったの。今のイオンは導師として、預言を信じる人たちを導きたいんだって……」
幼馴染との最期の約束だから、死んでしまっていることは絶対に伝えられない。だからせめて思想が変わったことにしなければ、今のイオン様の行動に説明がつかないだろう。もちろんそれだってアリエッタを納得させられるだけの理由だとは思っていないが、フィーネはシンクみたいに上手い嘘を考えつくことができなかった。
「そんな……! だって、イオン様は預言のせいで……あんなに預言のこと、嫌ってたのに……。アリエッタの故郷だって、預言のせいで沈んだんだよ? それなのに――」 「イオンを捕らえたときに、直接会って話したの。だから今言ったことは本当。それで私は……イオンと絶交することにした」 「う、そ……」
見開いたアリエッタの目から、大粒の涙がぽろりと零れ落ちる。ただ、それで雫は最後だった。フィーネの言ったことはアリエッタにとって衝撃的だったらしく、涙が引っ込んでしまったらしい。
「うそ……フィーネとイオン様が……絶交?」 「うん……私は預言のある世界を受け入れられないから、イオンの考えにはついていけない」 「そんな……」
幼少期を共に過ごしてきた幼馴染が決別してしまったら、彼女は一体どちらを選ぶのだろうか。もちろんフィーネは自分が選んでもらえるだなんて欠片も思っていなかったし、フィーネ自身、どちらが真に彼女の為になるのか答えがでないまま質問した。
「イオンは変わっちゃった、これだけは確かなの。それでも、そうだとしても、アリエッタはイオンについて行く……?」
いっそ、それでもいいかもしれないと思っていた。戦力的にはあり得ない話だし、アリエッタを奪われたくなかったイオンの心情を思えば、彼女を唆すのは裏切りにも等しい行為だろう。けれどもアリエッタがこんなに苦しい思いをするくらいなら、今みたいに騙されて利用され続けるくらいなら、彼女の意思でイオン様の傍にいたほうがいいのではないだろうか。イオン様がこのまま導師を全うするつもりなら、そんな誰かの代わりの人生でいいのなら、一緒にアリエッタのイオンまでやりきってくれればいい。 それにフィーネは先ほど聞いた、アニスの件も引っかかっていた。
「私は……アリエッタこそが、真の導師守護役だと思う。世界で一番イオンのことを大切に思っているのは、アリエッタだと思う」 「フィーネ……」 「だから、こっちのことは気にしないで、アリエッタのしたいようにすればいいよ。シンクには代わりに私が怒られておくから……」
正直、ここでアリエッタが抜けるのは痛手以外の何物でもない。謝って、怒られてどうにかなる話とは到底思えなかったが、フィーネはどうしても自分の中の罪悪感を無視できなかった。戸惑うようにこちらを見上げてくるアリエッタに、フィーネは無理して微笑んで見せる。戦力のことを抜きにしたとしても、付き合いの長いアリエッタと敵対することになるかもしれないというのは、フィーネにとってもひどく心細くて怖いことだった。
「……フィーネも、ばか、です」
しばらくの間戸惑うようにこちらを見上げていたアリエッタは、やがて静かに目を伏せた。
「絶交なんて、したくなかったくせに……シンクに怒られるのも、ほんとは嫌なくせに……」 「……」 「イオン様とフィーネが絶交したなんて、私、認めない……私が、二人を仲直りさせてあげるモン」 「それは、たぶん……無理なの。だからアリエッタ、気にしないで」
フィーネも意見を変える気はないし、イオン様もまた同様に頑固だった。どちらかが折れない以上、アリエッタはどちらかを選ばざるをえないだろう。しかしながら当のアリエッタもまた、フィーネが思っている以上に頑なだった。
「いや、です。アリエッタだって、預言のことはきらい……。総長にだってたくさん良くしてもらったし、故郷にだって戻りたいモン……。変わっちゃったままのイオン様には、ついていけない……元のイオン様に戻ってほしい。だから、私ができるのは、イオン様の目を覚ますこと……!」 「アリエッタ……」
変わってしまったイオンにはついていけない。 それが、アリエッタの答えということだろうか。フィーネはその決断に何も意見を差し挟むことができなかった。アリエッタの選択は決して報われることのない辛いものだと思ったが、あの世でイオンが喜んでいる気がした。
「……わかった。ごめん、迷わせるようなこと言って……」 「ううん……ありがとう。アリエッタは悪くないって言ってくれて、嬉しかった……」 「うん……」
シンクの物言いは的確に心を抉るけれど、それだけ人の心の機微に聡い彼の言葉は誰かを救う力もある。本当はそのこともアリエッタに知ってほしかったけれど、それではせっかくシンクが憎まれ役を買って出てくれたのが無駄になってしまうだろう。 二人はそれから少しの間、何を言うわけでもなく抱き合っていた。誰かの体温を感じることで悲しみやつらさが和らぐというのも、シンクから教えてもらったことだった。
「……じゃ、私は行く、です」
ややあって、そっとアリエッタが身を引いたのを皮切りに、フィーネも腕の力を抜いた。
「イオン様を探しに?」 「うん……フィーネももう、戻ったほうが良いよ」
隠し部屋に戻れば、フィーネがシンクにこっぴどく叱責されると思っているのだろう。アリエッタは申し訳なさそうに眉を下げたが、フィーネは大丈夫だというように頷く。
「シンクは……口は悪いけど、結構優しいんだよ」 「好き、なんだね」
フィーネはもう一度頷いた。頷いたフィーネを見て、アリエッタは優しく目を細めた。
「あのね……やっぱり、シンクもアリエッタの故郷に連れてきていいよ」 「えっ。う、うん」
アリエッタはシンクの発言を許してくれたということだろうか。驚いて戸惑っているうちに、今度こそ彼女はこの場を立ち去ってしまう。呆けたようにアリエッタの後ろ姿を見送ってとうとう見えなくなってしまってから、フィーネはやっと思い出したように隠し部屋に戻った。
「あの、ごめんなさい。途中で抜けて……」
ぱっと景色が変わった瞬間、先手必勝とばかりに謝罪を口にする。時間で言えば結構待たせたはずなのに、部屋の光景も二人の様子も出てきたときと何一つ変わっていなかった。
「早く座って」
シンクはそれだけ言うと、また何事もなかったみたいに難しい話を始める。ダアト港から発つタルタロスの目撃情報があったとか、グランコクマに向かうならテオルの森を経由するはずだとか。ラルゴもフィーネの離席を責めたりせず、淡々と作戦について確認したり、意見を述べたりしている。そういう態度のほうが、かえってフィーネはありがたいと思った。
(大丈夫だった? って言葉にして聞くだけが優しさじゃないんだ……)
怒られなかったこと自体意外なのに、またひとついいことを教えてもらったと思う。しかしフィーネが密かに感動していると、どうやらそれもバレてしまったらしい。
「あのさ、聞いてる?」 「うん、ありがとう」 「……聞いてないだろ」
フィーネの返事を聞いて結局盛大にため息をついたシンクは、それ以降身体の向きを完全にラルゴのほうへ向けて話し始めてしまったのだった。
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mokuji
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