52.ありえない(136/151)
神託の盾本部は地下にあり、そもそもが非常に入り組んだ造りをしている。表の教会からは想像できないほど深い階層構造になっており、ただでさえ迷路のような廊下に長い階段や梯子がいくつもかけられているのだ。そこへ加えて譜陣や譜業の技術が合わされば、特定の者のみしか辿り着けない隠し部屋を用意するのはそれほど難しいことではなかった。
「侵入者は赤い髪の男、ねぇ……」
作戦指令室、ましてや参謀本部と呼ぶにはあまりにもこじんまりとした小部屋。 かねてより六神将が密会用によく使っている隠し部屋で、シンクはひどく気だるそうに呟いた。仮面のせいで表情は見えないものの、流石に導師の出奔も二度目となれば驚きに欠けるのか、大して慌てた風でも苛立った様子でもない。モースは相変わらず緊急事態として六神将全員に召集をかけたようだったけれど、結局真面目に集まったのはシンクとフィーネ、それからラルゴの三名だけだった。ワイヨン鏡窟から連れ戻すことに成功したディストもダアトにはいるはずなのだが、相変わらず研究室に籠ってこちらを手伝う気はないらしい。
「導師イオンを連れ出したのはアッシュか? 正式な手続きを踏もうとしたせいで出し抜かれたな」
シンクの呟きを拾ったラルゴが、神妙そうな顔で顎髭をひと撫でする。その名を聞いたフィーネの胸中は複雑だったけれど、何でもないことのように会話に加わった。
「モース様の許可なんて無視して、攫っちゃえばよかったですね」
今はまだ従っているものの、大詠師モースは預言信者の急先鋒とでも言うべき存在である。最初から分かり合えるはずもなく、どうせ最後は袂を分かつのだから強引に事を勧めてもよかった気がしなくもない。しかしながらそんなフィーネの発言に、シンクは小さく首を横に振った。
「いいや、一応開戦まではモースと協調路線を取らざるをえないね。戦争は計画のいい目くらましになるし、戦場ごと崩落させれば効率よく両軍の戦力を削ることができる」 「セントビナーのほうは順調なのか?」 「シュレーの丘のダアト式封咒は既に解除させてあるからね。アクゼリュスからその足で、ヴァンが向かったと聞いている。力場のせいで時間はかかるが、問題なく落ちるはずだ」 「ふむ、預言信者共が慌てる様が目に浮かぶな……」
ホドの崩落、アクゼリュスの崩落は元々預言に詠まれていたことだ。被害は甚大、犠牲となった者も数知れないが、預言を信じる者たちは顔色一つ変えず見送ったことだろう。しかしながら、ここから先の崩落はユリアの預言には詠まれていないことだった。 「その意味でも、導師サマが自分からここを出てくれたのは都合がいい。アイツにはまだセフィロト巡りの大仕事が残ってるんだから、下手にダアトに残って信者共の不安を解消するためだけに惑星預言なんて詠まされたらたまったものじゃないよ」
大地の崩落が立て続けに起これば、何も知らない民衆は怯えて預言を求めるだろうし、未来を知っていた教団の人間もまた、何が起こったのかともう一度を確かめようとするだろう。しかしながら預言は誰にでも詠めるものではないし、膨大な第七音素を必要とする惑星預言を詠めるのは、きっともうこの世でイオン様しかいない。 ただセフィロトの件があるにしても、『たまったものじゃない』なんて台詞がシンクから出てくるとは思わなかった。彼の性格ならイオン様が預言信者に利用されていても、『ゴクロウサマ』と鼻で笑いそうだったからだ。
「……珍しいね、なんか」
思わずフィーネがぽつりと漏らしてしまうと、仮面の隙間から見えたシンクの口元は皮肉気に歪んだ。
「勘違いしてるようだから言っておくけど、まだ死なれちゃ困るってだけだよ」 「まだって……」 「セフィロトの解除ぐらいで具合を悪くしてるんだ。アイツの体は惑星預言に耐えられない。所詮は劣化品だからね、アイツも」 「!」
イオン様に体力が無いのは知っていたが、まさか預言を詠むことが命に関わるほどとは思ってもみなかった。せいぜい疲れやすいくらい。運動ができず、戦えないくらい。イオンは難なく第七音素を使っていたから、素養があるとして選ばれた彼も音素の扱いに関しては同じなのだと思っていた。
(体力がないってそういう……それじゃ、結局誰も導師の代わりを務めることなんてできてなかったんだ)
「じゃあ、セフィロトの封印を解除させるのも本当は……」 「さぁね。今のところ三か所開けても死んでないみたいだけど、アイツが脱落したらボクがやるだけの話だよ。ただし、かなり効率は悪いだろうけどね」 「……」
第七音素の素養があって体力が無いのと、体力があって第七音素の素養に乏しいのでは、一体どちらの負荷が大きいのだろうか。レプリカの身体が第七音素でできていることを思えば、フィーネは後者なのではないかと思う。シンクの言うようにイオン様はダアト式封咒を解いても死んでいないのだから、このまま彼に開けてもらうのが穏当なはずだ。
(それでなにも……間違ってないはず。そもそも私はもうイオン様とは敵同士なんだし……)
フィーネは彼の身を心配できる立場にない。具合を悪くしても無事に開けられる人がいるのなら、シンクがわざわざ危険を冒すというのも変な話だ。シンクがリスクを取らなくていいように、フィーネは早くイオン様を見つけなくてはいけない。それは和平交渉を阻止するために彼を追っていたときと比べて、桁違いの必要性だった。
「……わかった。早くイオン様を追いかけよう。アッシュ師団長が関わってるなら、キムラスカかな」
開戦の邪魔になるためイオン様と共に軟禁されていたナタリア王女も、一緒になって逃げ出したと聞いている。頼るならば当然自国だろうとフィーネはあたりをつけたのだが、またもやシンクは首を横に振った。
「残念だけど真逆だね。奴らはグランコクマを目指すらしいよ」 「えっ、これから戦争が起きるって時にわざわざ敵国に?」
というか、今のシンクの口ぶりは、もはや推測という範疇を超えている。どうしていつも敵の動きを見通したようなことを言えるのかと疑問に思ったけれど、シンクにはフィーネがそう思ったこと自体お見通しのようだった。彼はまたしても気だるそうに、いや、うんざりしたような声で言う。
「あの導師サマにぴったりくっついてる、導師守護役が言うんだから間違いないよ」
シンクのその言葉の意味を理解したフィーネは、ほとんど無意識に「うそ……」と呟いていた。数が大きく減らされたとはいえ、教団には一応導師守護役はまだ複数名在籍していることになっている。しかしながらイオン様といつも一緒にいて、彼と共にダアトを離れた導師守護役は一人しかいなかった。一番ありえない情報源しか、フィーネは思い浮かべることができなかった。
「嘘じゃないよ。アイツはモースの言いなりだからね。一度目の出奔の際、タルタロスの進路について情報をくれたのもアイツさ」 「で、でも、」
アニスはイオン様をとても大切に思っていたはずだ。彼の人の好さに愚痴をこぼしながらも、本気で彼を心配して、本気で彼を敬愛していたのを知っている。そんな彼女がイオン様を裏切るなんてありえなかったし信じられなかった。世界を滅ぼそうとしている側のフィーネが言うのもおかしな話だが、彼女がイオン様を裏切って一体何のメリットがあるというのだ。
「何かの間違いなんじゃ……」
この期に及んで、シンクが嘘をつくとは思っていない。フィーネがきちんとこちらの立場を選んで以来、彼はかなり踏み込んだ話をしてくれるようになった。だからこそ、嘘ではなく間違いと言い直したのだが、フィーネが深く事情を問いただすより早く、床の譜陣がひときわ強く発光する。 誰かがここにやってこようとしているのだ。
「フィーネ、余計なこと言うなよ」 「……」
可能性を考えて、念のために釘を刺しただけなのだろうか。それともシンクには本当に何でもわかっているのだろうか。 フィーネは譜陣の光の中から現れた人物を認識し、かすれた声でその名を呟いた。
「……アリエッタ」
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mokuji
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