51.前を向く(135/151)
助けを待つのだと決めた以上、焦っても仕方がない。閉じ込められた狭い部屋の中では世界のためにできることなど限られており、イオンとナタリアは特に示し合わせたわけでもないのに自然とお互いの話を始めていた。思えば、ナタリアが合流した際にはイオンはザオ遺跡へと連れ去られており、改まって個人的な話をする機会もないままアクゼリュスを目指すこととなったのだ。
王城での生活や、キムラスカの民のこと。導師としての務めや、宗教自治区という特殊な街で暮らす人々のこと。 改めてよその国の生活を聞くのは新鮮だったし、互いに責任のある立場として共感する部分もたくさんあった。そして話していくうちに、やはりこの世界とこの世界で暮らす人々を守りたい、役に立ちたいという気持ちを強くする。気がかりなのは、眼前に迫る戦争のことだけでなかった。崩落する大地のこと、劣悪としか表現のしようがない魔界のこと。 ばん、と大きく扉が開かれたのは、そんな風に魔界を覆う障気について意見を交わしていたときだった。
「イオン! ナタリア! 無事か?」
勢いよく駆け込んで来た人影に、二人は反射的に身構える。だが、見慣れた赤髪を認識してナタリアはすぐに警戒を解き、それから一転して困惑したような表情を浮かべた。
「……ルーク……ですわよね?」
彼女が戸惑うのも無理はない。ルークがここへやって来たこと自体にも驚いたが、被験者であるアッシュよりも少し色素の薄い彼の髪は、肩につかない長さまでバッサリと短く切られていたのだ。
「アッシュじゃなくて悪かったな」 「誰もそんなこと言ってませんわ!」
拗ねるような口調ではあったが、はっきりとそう言えるルークにイオンはハッとする。間髪入れずに言い返したナタリアの言葉にも、ぎゅっと胸が苦しくなった。
「私はただ、あなたが自分で戻ってきたことに……ダアトにまでやってきたことに驚いただけですわ」 「そりゃ……いつまでもあそこにいたってどうしようもないからな。それに、ナタリアとイオンが捕まってるって聞いたんだ、助けに来るのは当たり前だろ」 「……私はあなたを置いて行ったんですのよ」 「あのときは――」
ぐしゃ、と短くなった髪をかき混ぜて、ルークは視線を落とす。
「あのときは、置いていかれて当然だったって、思ってる……」
アクゼリュスの一件を経て、見た目だけでなく態度や表情まですっかり別人に変わったみたいだった。ルークは眉を寄せ、ぐっと歯を食いしばるようにしながらたどたどしく言葉を紡ぐ。
「……取り返しのつかないこと、償っても償いきれないことをしたとも、思ってるよ。でも……いや、だからこそ、自分にできることから始めたい。今はなんとしてでも戦争を止めなくちゃいけないし、そのために二人の力を貸して欲しいんだ」 「……ルーク」
まさかルークがそこまで言うとは思ってもいなかったのだろう。ナタリアは感激したように声を詰まらせ、同じように床に視線を落とす。それからしばらくして、迷いを振り払うように小さく頭を振った。
「……そうですわね。私も今できることから始めますわ。償わなければならないことがあるのは私も同じですもの」 「え? ナタリアが?」
ルークはきょとんとした顔をしていたが、ナタリアが言わないのであればイオンから伝えることでもないだろう。ナタリアはガイにちらりと視線をやり、もう一度頷く。それだけで感謝の意が伝わったのか、ガイも何でもないとでもいうふうに頷き返した。彼らもまた幼馴染みだからこそ、言葉にしなくても通じるものがあるらしい。
「そうと決まれば、一刻も早くここを出ましょう。私、待ちくたびれましたわ」 「はいはい、ナタリアが元気なのはわかったけどぉ、イオン様は大丈夫ですか? お怪我はされてないですか?」 「平気です。ありがとうアニス。皆さんも、わざわざ来てくださってありがとうございます」
ルークとミュウに、ティア、ガイ、ナタリア。それからジェイドとアニス。 皆と再びこうして顔を合わせることができて、イオンは本当に嬉しく思う。なによりルークがこうして前を向いてくれたことに、本当に救われた思いだった。
「アニスの話じゃ今は六神将もほとんど留守みたいだし、奴らが戻ってこないうちにさっさと逃げちまおうぜ。ひとまず街はずれまでで大丈夫だろう。その後のことは逃げきってから決めればいい」 「なら、第四譜石だっけ? あれがあった丘まで逃げようぜ」
ルークの提案に異論を唱える者はいなかった。今の彼の態度に横暴さも強引さもないから当然だ。立場を振りかざさなくても、親善大使でなくとも、彼は自然と輪の中心にいる。居場所がある。そのことに彼が早く気づけばいいと思いながら、イオンはルーク達に一生懸命ついて行く。これからまた危険に身を投じるのだとわかっていても、イオンは彼らと一緒なら恐ろしくないと思った。ただ、
「……アニス? どうかしましたか?」
部屋を出る際、一人だけ浮かない顔をしている彼女をイオンは見過ごさなかった。もちろん笑っていられる状況ではないし、情勢を思えば明るい気分になれないのもわかる。だがそんな苦しい時こそ、普段のアニスであればにこやかに場を盛り上げてくれるのに。
「へっ? いや、なんですか?」 「いえ、とても険しい顔をしていたので、気になって……」 「や、やだぁ。アニスちゃんは険しい顔なんてしませんよ、いーっつもキュートな笑顔です、ほらこの通り」
てへっ、と両の指で頬を押さえ、アニスはにっこりと笑う。確かにそれはイオンが眩しく思っている、いつもの彼女の表情だった。
「ここへ来るまでの間、ちょーっとパパとママに会って恋しくなっちゃっただけです」 「あぁ、パメラ達は元気にしていましたか?」 「はい」 「……」
アニスは頷いたが、頷いただけでそれ以上のことは何も言わなかった。普段であればあれやこれやとお喋りな彼女が、ただイオンの質問に答えただけでふいと前を向く。アニスがいつも両親のことを語るときにこぼす心配の溢れた愚痴も、冗談めかした嘆きも、このときばかりは何一つ出てこなかった。
「……そうですか、元気そうなら何よりです。あなたには無理をさせてばかりで心苦しいのですが、ダアトで暮らす人々のためにももう少しだけ僕に付き合ってください」 「もちろんです!」 「……」
神託の盾兵に見つからないように出口を目指しているのだから、彼女が周囲を警戒するのは当然だ。それなのに、
(アニス……?)
イオンは微かな違和感を覚えて、胸をざわめかせる。前を向いたままツインテールを揺らす彼女が、いやに遠くに感じられて仕方が無かった。
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mokuji
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