アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


47.好きにして(131/151)

 シンクに直接指導することがなくなっても、彼の動きが昔より洗練されて無駄のないものとなっていることは知っていた。第五に配属となったシンクは率先して部下に手ほどきをするタイプではなかったけれど、それでも訓練場で見かける機会は少なくなかったのだ。だから、フィーネだってなにも最初から舐めてかかってシンクに勝負を挑んだわけではない。負けず嫌いなシンクが手加減してくれるはずもないので厳しい戦いになることは覚悟していたし、体格的に男のシンクが有利であることももちろん理解していた。それでも、どれだけ往生際が悪いと言われても、止められるものなら止めたかった。

「甘いよっ!」
「っ!」

 繰り出された蹴りをかわそうと身をよじれば、そこに出来た隙に容赦なく掌底が撃ち込まれる。フィーネはかろうじてそれを腕でガードしたものの、勢いを殺しきれず大きく後退させられる羽目となった。訓練場で遠目から見ていただけでは、一撃の重さがこれほどまでとはわからない。

(シンク、ほんとに強くなってる……)

 まずいな、と思う反面、彼の成長が嬉しくもあった。追撃の拳を転がるようにしてかわせば、フィーネがいた位置の地面にはびしりとヒビが入る。

「ほら、どうしたの。守ってるだけじゃ勝てないよ!」
「わかってる」

 これは訓練ではなく、れっきとした勝負だ。
 フィーネは強く地面を蹴ると、一気に距離を詰め攻勢をかけた。シンクの内側に左足を踏み込んで、上段刻み突き。そのまま、シンクが受け流そうと出した右手を大きく外側に叩き落として、ガードがなくなったところに左手で突きを繰り出す。

(惜しい!)

 流れは悪くなかったはすだが、シンクがうまく上体を後傾させたせいであと少し届かない。フィーネもまたカウンターを防ぐために素早く身を引いたが、シンクが体勢を立て直すのは早かった。

空破爆炎弾くうはばくえんだん!」

 バックステップを利用し、今度は逆に勢いよく突っ込んでくる。「ぐっ!」ガードをしても、勢いを殺しきれなかった。空中に打ち上げられたフィーネは痛みに眉をしかめたが、着地を活かさない手はない。

散華猛襲脚さんかもうしゅうきゃく!」

 地上のシンクに向かって飛びこみ蹴りを放った。続けて蹴りあげ、ハイキック、後ろ回し蹴りと三連撃に繋げようとした途中で、軸足を払われてバランスを崩す。地面に手をついたフィーネは、てっきりそのまま拳が振り下ろされると思ってもう片方の腕でガードをしたが、シンクは殴るでも蹴るでもなく、フィーネの腕を捻り、体重をかけてのしかかってきた。

(固め技に持ち込む気……!?)

 普段、敵と対峙するとき、フィーネもシンクもまだまだ体格で劣ることが多い。ましてや譜術と組み合わせるなら距離をとることも大事なので、素早さを活かして一撃離脱の戦闘スタイルをとるのが主だった。だから力や技術の面で余程差があるときでない限り、相手を抑え込むような技は使わない。そもそもこれは攻撃というよりも、どちらかと言えば相手を無力化するためのものだ。

「なっ、ちょっ!」

 押し倒されて、背中に地面の固い感触が伝わる。完全に不意を打たれた状態のフィーネは慌てて身を起こそうとしたが、腹の上にまたがられてはじたばたと藻掻くことしかできなかった。そうこうしているうちにシンクの腕が肩の上と反対側の脇の下を回り、ちょうどフィーネの首の後ろでしっかりと組まれる。抜け出すために少しでも隙間を作ろうとしたが、信じられないくらいシンクはびくともしなかった。見た目の細さからは到底想像できないほど、彼の身体は鋼のようだった。

「……降参したら? 実戦だったらフィーネを殺れてるよ」

 吐息がかかるほどの耳元で嗤われて、フィーネは流石に悔しいと思った。確かに特務に移って以来、第六時代ほど戦闘に明け暮れた日々ではなかったが、一体いつのまにこんなに差がついたのだろう。力こそ抜いてはいないものの、シンクの口ぶりはもう完全に勝負がついたと言わんばかりのものだった。

「女のフィーネが、押さえ込まれて力で勝てるわけないだろ。さ、早く参ったって言いなよ」
「……やだ」
「あのさ、いい加減に――」
「もしかして押さえ込んで無力化したのも、私が女だから?」

 無駄な消耗を避けるという意味で、後を引く打撃技で決めなかったのならまだいい。けれどももし、女という理由で舐められたり気遣われたりした結果ならもっと悔しい。シンクの言葉を遮って尋ねると、彼は僅かに身じろぎしてこちらをのぞき込むように顔をずらした。

「……フィーネが、いつまでも昔の気分でいるのが悪いんだろ。こんなくだらない勝負で怪我なんてのも馬鹿らし――だぁっ!?」

 そもそも首を押さえられているから、シンクの動きでできた余裕はほんの少しのものだった。それでもフィーネは可能な限り勢いをつけると、思い切り彼に向かって頭突きをしたのだった。

「痛っ……たぁ!! くそっ!」
「〜〜っ!」

 お互い仮面をしているから額同士がぶつかるわけではなかったが、逆に仮面の硬さのせいで刺さるような衝撃がくる。仕掛けたフィーネのほうも、痛みで目の前がちかちかした。なんならシンクの仮面のほうが固くて、フィーネは声にならない声を上げて悶える。

「アンタ、馬鹿じゃないの!?」

 しかしながらシンクの怒りのこもった声を聞いて、フィーネはやっと一矢報いた気分だった。やがて目の前のちかちかが止んだかと思うと、今度はぱきっと小気味よい音がして急に視界が開ける。

「あ……」

 どうやら今の弾みで仮面が割れてしまったようだ。幸いにも目の前には顔を知られているシンクしかいないが、やはり結構な衝撃だったらしい。シンクもまた痛みから復活したようで、仮面を上にずらし、鼻の辺りを手で押さえながら睨みつけてきた。馬乗りになられているのは相変わらずだったけれども、拘束はいつの間にか解けていた。

「参った。私の負け」
「っ、何を今更……って、フィーネ、血が……」
「え?」

 確かになんだか眉間の辺りがじんじんして熱い。驚いて手をやって見てみると、黒いグローブの色が濃くなっていた。

「ほんとだ」
「っ! ほんとだじゃないよ! なにやってんのさ、余計な事ばっかりして!」
「でも……最後にスッキリした。もうシンクの好きにしていいよ」

 悔しかったけど、負けは負けだ。シンクも相手が女だからって、最後まで気を抜かないほうがいいとわかっただろう。

「好きにって……」

 フィーネがだらりと腕を伸ばして脱力すると、シンクは何とも言えない表情でこちらを見下ろしてきた。

「ディスト様に聞くの、もう止めないから。ごめんね」
「……そういうこと、男に向かって軽々しく口にするな」
「え? あぁ、言わないよ、私だってそう簡単に負けてられないし。それに、勝ったら言うことを聞けって言ってきたのはシンクじゃない」
「……」

 一体何をやらされるのかと考えると今から気が重かったけれど、負けた以上は仕方がない。フィーネはダアトに山積みとなっていた事務仕事を思い浮かべて、あれじゃなかったらいいな、と考える。
 シンクもまた、言いつける命令を考えているのか、急に口を噤んで黙り込んだ。てっきり初めから何か用意しているものだとばかり思っていたが、意外にも長考している。

「あの、考えるにしても、そろそろ退けてほしいんだけど……」
「クソ……勝ったのに、負けた気分だ」
「え、なんで?」

 確かに最後の頭突きはちょっと卑怯だったかもしれないけれど、一応まだ降参する前の話だ。
 なぜか負けたフィーネ以上の悔しさを漂わせているシンクを不思議に思って見つめていると、彼はため息をついて腰を浮かしかける。ちょうどそのとき、キンキンとよく響く声が鏡窟内にこだました。

「もーっ! 何やら騒がしいと思ったら、あなたたちはこんなとこまで来てなーにを戯れあってるんですか!」
「ディ、ディスト様!」
「戯れあってなんか……!」

 探していた相手とはいえ、突然他の者が現れたことでフィーネは急速に我に返った。シンクが仮面を着け直したのに対して、フィーネは顔を隠せるものがない。

「あ、だめ、待って。見ないで!!」

 動揺したせいで思った以上に大きい声が出た。それにディストはかなりぎょっとしたらしく、椅子ごと大きくつんのめる。

「……なんです、あなたたち、ふしだらなことでもしてたんですか?」
「っ、誰が!? 殺すよ!」

 今度大声を出したのはシンクだった。半ば飛びのくようにフィーネの上から退き、ものすごい勢いでディストのほうに詰め寄っていく。

「ボクらは勝手にいなくなったアンタを探しに来たんだよ! 手間かけさせるなよな!」

(どうしよう、スペアは今持ってきてないや……)

 身を起こしたフィーネは二人に近づくこともできず、顔を手で覆う。眉間からの血もなかなか止まってくれる気配がない。
 結局、シンクがディストに向かって捲し立てるのを聞きながら、フィーネはただ途方に暮れるしかないのだった。

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