46.負けられぬ戦い(130/151)
ラーデシア大陸は沿岸部を除く大半が乾燥した地域であり、年中雪で覆われたシルバーナ大陸よりも人口が少ない珍しい土地であった。唯一、鉱山資源の多さを活かした鉱工業こそ盛んであったものの、そのせいで人口のほとんどは職人の街シェリダンに集中してしまっている。人の手が入りにくい分だけ魔物の数も多く、アクゼリュスとは違って採掘には音機関を用いることも多かったようだ。いや、実際のところ、採掘用の音機関が開発されたのはそう昔のことではないので、普及を強く推し進めたのは研究素材が欲しかったディストなのだろう。
(それにしても、『ワイヨン』鏡窟ねぇ……)
ここはキムラスカ領であるし、もともとここの採掘権はキムラスカ貴族が所有していたらしい。だが、偶然と言うべきか運命と言うべきか、元の所有者は熱狂的な預言信者だったらしく、ローレライ教団で様々な便宜をはかることと引き換えに、あっさりと権利を手放してしまったそうだった。
「ディスト様、本当にこんなところにいるのかな」
今回は大がかりな作戦任務というわけではないから、かえって悪目立ちのする陸艦は使わなかった。桟橋に高速艇を係留し、シンクとフィーネはワイヨン鏡窟の入り口に降りたつ。第六音素で中を照らしたフィーネは周囲を見渡して、明らかに気乗りしない様子で呟いた。
「あんまり大事な研究をするところっぽくないね。海風も吹き込んでくるし、魔物の気配もたくさんするし」 「とはいえダアトにもベルケンドにもいないとなれば、使える研究施設はここだけだからね。ま、フィーネとしてはディストにいてほしくないんだろうけど」
本当は別に二人で来るほどの用事ではない。本音を言えば、フィーネにはダアトで引き続き仕事を片付けていてほしかった。が、シンクの目的を知る彼女はどうしても着いてくると聞かなかったのだ。
「シンクが余計なことを聞かなきゃ別に……」
フィーネはそんなことをモゴモゴと口の中で呟くと、今度はまるで諭すみたいな口調で続けた。
「えっと、今は目の前の計画にだけ集中したほうがいいよ」 「あぁそう、ご忠告ドウモ。でもフィーネの心配には及ばないね」
今回、シンクがここへ来た目的は三つあった。一つはコーラル城以降、まったくもって計画に非協力的なディストを叱り飛ばして捕まえることで、もう一つはここに秘密裏に備蓄されているフォニミンを持ち帰ること。アクゼリュスを崩落させたところから、計画は第二段階へと移っていた。有り体に言えば大地や人間を消滅させる傍ら、それらを作成する準備を進めようというわけだ。 そして最後一つの目的は、フィーネの言う通り計画そのものに関係があるわけではないものの、シンクにとっては重要な関心事だった。世界に弾かれたフィーネという存在のことと、彼女の出自についてディストから聞く。フィーネは以前そのことについてディストに相談していたはずなのだが、彼女の態度を見るに、その結果についてはろくにシンクに共有されていないようであった。
(そりゃ、生きていたってなんにもならないってわかってるけどさ……)
フィーネが本当にユリアの預言から解放されているのであれば、彼女はその他大勢の人間と同じようにオールドラントと心中する必要がない。 シンクはそこまで考えて、フィーネに気づかれないように小さくため息をついた。二年ちょっとの人生だけでは、どうにもうまく呑み込めない矛盾がある。自分自身はさっさと死んで楽になりたいくせに、シンクはフィーネに死なれるのが嫌なのだった。いや、死ぬなら自分より後に死んでほしいと考えるあたり、ただ置いていかれることを恐れているだけなのかもしれない。
「たぶん、ディストは奥だろう」
こちらの気配に集まって来た魔物を手早く片付けてしまうと、シンクは早く進もう、と促した。薄暗くて、湿っぽくてあまり長居したいと思える場所ではない。フィーネが初めに言った通り、研究に適しているとも言い難く、音機関などはすぐに錆びついてしまいそうな勢いだ。しかしながらシンクが鏡窟の奥へ進みかけても、フィーネはその場で突っ立ったままなかなか動こうとしなかった。
「なにしてるのさ」
振り返ればフィーネは、いつものように胸の前でそわそわと両手を組んでいた。おかげで仮面をしていても、何か言いたいことがあるのだとすぐわかる。
「なに?」 「……あのね、その、先に言うけど、ディスト様に聞いても私の預言のことははっきりしないからね。あの人は別に預言士じゃないし……」 「知ってるよそんなこと」 「……ディスト様の言うことはあくまで仮説だから……その、」
往生際の悪いフィーネの態度に苛々して、シンクはつい語気を強めた。
「くどいよ」
いったいこのやり取りを何度繰り返せば気が済むのか。いい加減に鬱陶しいし、しつこい。そうやって隠される方が余計に気になるというのに、立ち回りからしても最悪だ。シンクが明らかに不機嫌な態度をとると、フィーネは委縮したように首を縮めた。
「何をそんなに怖がってるワケ?」 「……」 「前にも言ったけど、今更どんな情報が出てこようとフィーネのことをどうも思いやしないってば」
おおかた嫌われるだとか、馬鹿みたいなことを考えているのだろう。彼女の性格から予想して言ってみると、図星だったのか、フィーネはきまり悪そうに口をすぼめた。
「……そんなの、わからないよ?」 「フィーネの悪いところは十分知ってる。今更だね。そのせいでよく喧嘩にもなるだろ」 「喧嘩って……だいたいいつも一方的にシンクが怒ってるだけじゃない」 「いいや、今のフィーネは結構言い返してくるでしょ。言い返すならお互い様の喧嘩だ」
昔は謝るだけだったくせに。 言い返されるとそれなりに腹も立つが、シンクとしてはなんでもかんでも謝られるよりもお互い様くらいでちょうどいいと思っている。 しかしながらフィーネは今の言葉に納得いかなかったらしく、急に大きな声を出した。
「お、お互い様!? これが?」 「なに、文句でもあるワケ」 「お互い様はおかしい、シンクに一言うと百は返ってくるのに……」
確かに口での喧嘩なら、フィーネが言われっぱなしになっていることのほうが多いだろう。けれども彼女は持ち前の無神経さで悪気無く煽ってくることもあるし、行動においてもよくシンクを面白くない気分にさせる。
「け、喧嘩って言うなら、なにも口だけじゃなくていいよね」
今もまたフィーネがそう言ったのを聞いて、シンクはそれきた、と眉間に皺を寄せた。
「はぁ? もしかしてだけど、ボクと戦ろうっての?」 「うん。譜術は無しのルールで、久々に勝負しよう。それで……私が勝ったらディスト様に聞くって話は忘れてほしい」 「……」
それでは喧嘩というよりも約束事を賭けた決闘だったが、どのみちフィーネは無駄なあがきをしたいらしい。彼女はまさしく出会った当初と同じような感覚で、勝負を吹っかけてきているのだった。
(本当に、いつまで昔のままだと思ってるんだよ……)
思い切り舌打ちしたい気分だった。甘く見られているようで悔しい。体術で組み合うなら力が物を言うに決まっていて、距離だって恐ろしく近づくのに、まるで男扱いされていない。
「あっそ、そこまで言うならかかってきなよ」
シンクは内心腹を立てながらも、表面上は努めて冷静なふうを装った。どうせフィーネは口で言うより身体でわからせた方が早い。今から負けて愕然とする彼女の表情を思い浮かべ、なんとか気持ちを落ち着かせる。
「でもその代わり、ボクが勝ったら何でもひとつ言うことを聞いてもらう」 「別にいいよ」
フィーネから返ってきたのは、何の躊躇も警戒もない即答だった。むしろ普段から結構聞いてると言わんばかりの声音がまた腹立たしくて、シンクはぐにゃりと唇を歪める。
「……後悔しても遅いからな」 目の前の計画にだけ集中したほうがいいと言ったのはフィーネのほうなのに、なんとも馬鹿馬鹿しい時間の使い方だ。こんなくだらないことに体力を使うなら、もっといくらでも他に有意義なことがあるだろう。それでも、フィーネが構えをとったのを見て、シンクもまた深く腰を落とす。 そもそも負けることは総じて大嫌いだが、中でもフィーネに負けるのはみっともなくて絶対に嫌だった。
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mokuji
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