アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


45.本物ゆえに(129/151)

 天は障気と外殻大地に覆われ、大地は液状化した地核の一部でしかない。それが監視者の街ユリアシティの実態であり、どう考えても人間が住むに相応しい場所ではなかった。だが、政治的な機能はしっかりと有しているらしく、街の中心部には立派な議事堂がある。
 ティアの祖父は、この街の市長をしているとのことだった。ひとまず行く当てのないアッシュは、彼女に案内されて市長の家へと向かう。ティアの仲間たちも先に向かっているらしく、玄関らしき扉のすぐ前に集まっている姿が見えた。

「あ、ティア、どこ行って……って、げ! アッシュ!」

 いち早くこちらに気が付いたのはアニスで、目が合うなり驚愕とあからさまな警戒の視線を向けられる。当然それはアニスだけの話ではなく、ガイやナタリアも張りつめた表情でアッシュを見てきた。

「な、なんでアッシュがティアと一緒に……! 一体どうなってんの!?」

 驚くのも無理はないだろう。タルタロスやカイツール、ザオ遺跡での邂逅を踏まえれば歓迎されるはずもなく、特に部下を失っているジェイドはアッシュに対して悪感情があるに違いない。けれどもアッシュの予想に反して、一番わかりやすい敵意をぶつけてきたのはガイだった。

「……お前、ルークに何をした」

 落ち着いてはいるけれど、低く、詰問するような声音。ガイの視線は、ティアとアッシュに両側から肩を貸す格好で運ばれているルークに向けられている。アッシュだってこんな屑は捨て置きたかったが、流石に女のティア一人に運ばせるのは気が引けたのだ。

「待って、ガイ。違うの」

 ティアが慌てて取りなそうとするが、ガイの目はアッシュにのみ向けられている。そこには警戒だけでなく、冷たい怒りがあった。

(そうか、おまえは『俺』を恨んでるんだな……)

 ガイの生まれについては、ダアトで暮らすようになってからヴァンに聞いた。幼馴染として、友人として一緒に過ごしていた頃は欠片も感じなかった彼の思惑に、またもや嘘だと強く反発したのを覚えている。だが、特務師団になってマルクト貴族の姻戚関係やホド戦争の顛末を知るうちに、ガイのことがどんどんわからなくなっていった。あらゆる事実は明らかな断絶を示していたが、共に過ごしたあの頃の思い出が消えない。アッシュの思い出の中のガイと、復讐という動機がどうしても噛み合わない。

(タルタロスでレプリカに笑いかけるおまえを見たとき、俺の思い出のほうが正しかったのかと期待したが……)

 今のガイはどちらが本物の『ルーク』なのかわかっているはずだ。それなのに彼はアッシュとの再会を喜ぶでもなく、レプリカのためにこんな冷たい目をする。いや、ある意味、アッシュが本物の『ルーク』だからこそ駄目なのかもしれない。それはずっと自分が『本物』だということを知ってほしかったアッシュにとって、強烈な皮肉だった。

「別に何も違わねぇ。俺がこの出来損ないの屑を叩きのめしてやったんだ」

 アッシュはルークから身を離すと、突き飛ばすようにガイのほうへ差し出す。それを受け止めたガイはルークが気絶しているだけなのを確認し、ようやくティアに視線を向けた。

「あの……なんて説明すればいいのか難しいけれど、アッシュは……」
「彼が本物のルーク・フォン・ファブレ。そういうことなのでしょう? アクゼリュスの一件を踏まえると、彼もまたグランツ謡将に騙されていた、と」

 ティアが言いにくそうにしているところを、ジェイドが引き取ってずばり確信を突いた。六神将としてやってきた行いがあるから全てをヴァンのせいにするつもりはなかったけれど、少なくとももうアッシュに敵対する意思がないことは理解されているらしい。

「ど、どういうことですの……」

 ただ、『本物』という言葉を聞いて、ナタリアが大きく息を呑んだ。

「ナタリアはあのときまだいませんでしたが、バチカルに向かう途中、我々は六神将が同位体研究を行っていることを掴みました。フォミクリーという技術はご存じですか?」
「えぇ、でもあれはもう研究が中止されていると聞いていて……それに、そんな……信じられませんわ」

 人に使うだなんて――。

 ナタリアは瞳を揺らして、アッシュとルークを交互に見た。その視線から逃れるように、アッシュは目を伏せる。いつか彼女が気づいてくれることを望んでいたくせに、実際に知られるとやはりいたたまれなさのほうが勝ってしまった。

「生物への利用はもちろん禁忌とされています」
「これも兄さんの仕業なのね……」
「そうでしょうね。ルークは七年前にマルクトに誘拐されたと言っていましたが、こちらにそのような記録はありません。答えはアッシュのほうがよくご存じでしょう」
「……あぁ。俺を誘拐して、レプリカを造ったのはヴァンだ」

 そしてまんまと奴の甘言に惑わされて、ヴァンの企みに気づけなかったのはアッシュ自身である。同情の視線を向けられる筋合いはないと思った。少なくとも、預言スコアを妄信するこの世界を変えたかったのは、アッシュだって同じだったからだ。

「待って、待って。公爵家の息子を入れ替えて、アクゼリュスを崩落させて……総長はそこまでして一体何がしたいわけ?」
「……今となっては俺にもわからない。奴の目的を知るために、一刻も早くここ出て奴の足取りを追いたい」

 やらされてきたセフィロトの封印解除は地上の第七音素セブンスフォニムを増やしてローレライを引っ張りだすためではなかった。むしろヴァンはセフィロトを失活させて、外殻大地を支えている柱を消してしまったのだ。預言スコアを滅ぼすという目的と、大地を崩落させるという行為が繋がらない。むしろ、アッシュに詠まれていた預言スコアを思えば、ヴァンの行為は預言スコアに即したものになるからだ。消滅する、という言葉はきっと、街そのもののことを指していたのだろう。

「わからないって……そりゃ、ここから出たいのは私たちも同じだけどぉ」
「まぁまぁ、立ち話もなんですから。ティア」
「は、はい。今開けます」

 ジェイドの仕切りで、みな屋内へと足を踏み入れる。中は思っていたよりも広く、ちょうど話のしやすそうなテーブルもあった。それぞれが椅子に腰かけるなか、アッシュはちらりとジェイドの表情を伺う。

(いやなくらいに、普通だ……)

 全員がアクゼリュスの崩落を受けて呆然としているというのもあるが、それにしてもここまですんなりと受け入れられるとは思わなかった。それもこれもすべて、ジェイドが率先して誘導してくれているからだろう。

(レプリカの件で責任を感じているのか? まさかな……)

 ディストのとりとめのない自慢話で、フォミクリーの考案者が誰なのかは聞き及んでいた。しかしながらジェイドを糾弾するつもりはないし、この場でそれを明らかにするつもりもない。

「どうかしましたか?」
「いや……」

 結局、目が合ってそらしたのはアッシュのほうだった。ガイとはまた違う意味で、ジェイドという男のことがわからない。よく言えば常に冷静なように見えるし、悪く言えば感情がないようにも見える。幸い、ここを出るという目的は一致しているようだから、今ここで事を荒立てる気がないだけなのかもしれない。

「ティア、ベッドを借りれるか? ルークを寝かせてくる」
「ええ。二階に上がってちょうだい」

 ひとまず情報共有をしようという流れになったが、気絶したルークをいつまでも抱えているわけにはいかない。アッシュが二階に上がっていくガイの背中を見つめていると、背後でナタリアがルーク……と小さく呟くのが聞こえた。

「……」

 アッシュは振り返らなかった。


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