44.レプリカドール(128/151)
時を遡ること数日。 アッシュがアクゼリュスに到着すると、既にそこには見慣れた陸艦が停泊していた。先日、アッシュがまたも抜け出してきたダアト船籍のものではない。マルクトの軍艦旗を掲げていること、そして識別番号から、以前に神託の盾騎士団が拿捕したはずのタルタロスであるとわかった。
(どうしてタルタロスがここに……確かにマルクト領内を移動するには適しているだろうが……)
いくらマルクト側が隠密作戦だったと言っても、タルタロスが奪われたこと自体は伝わっているだろう。神託の盾が自由に乗り回すには少々都合が悪いし、そもそもヴァンは今回バチカル籍の船でこのアクゼリュスを目指したはずだ。
(……もしかして別動隊が動いているのか?)
一刻も早くレプリカを追わなければいけないことはわかっている。街全体を包む障気を打ち消すためとはいえ、少なくない犠牲を見過ごすことができなかったからこそ、アッシュは危険を冒してまでアクゼリュスに駆けつけたのだ。 それでもやはり嫌な胸騒ぎがして、アッシュはひとまず状況を確認することを選んだ。タルタロスの付近には小隊ほどの神託の盾兵が待機しており、ちょうどそこへ一人の女を連れて戻って来た様子だ。
――第七譜石が見つかったのではなかったのですか!? ――大人しくご同行いただければ、手荒な真似はいたしません ――一体どういうことなの、このっ、放しなさいっ!
(あれは……ヴァンの妹だ)
それこそ、タルタロスで会ったときは厄介な音律士としか思わなかったが、ヴァンに妹がおり、神託の盾に在籍していることや、彼女が士官学校には通わずにリグレットに個人指導されていたという話は知っている。加えて、ルークの意識を通して得られた情報もあり、今では彼女――ティアこそがヴァンの妹なのだということは理解していた。
――おいっ、何をしている! ――と、特務師団長!
状況的に、ティアは神託の盾兵に連れ去られようとしているところだった。別に助ける義理はなかったが、このタイミングでヴァンの妹をどこかに攫おうとする意図が気になる。 アッシュが近づいて声をかけると、兵士たちは驚きを露わにしつつ、姿勢を正した。
――師団長こそ、なぜここに……ダアトに向かわれたはずでは…… ――質問をしているのは俺だ。その女をどうするつもりだ? ――安全なところにお連れするだけです ――フン、それにしては随分と物々しいな
いくら相手が第七音譜術士とはいえ、女一人を攫うのに小隊規模とは念入りな話だ。それに、こんな土壇場になってから安全なところに連れて行くというのも妙だった。アクゼリュスが障気に覆われた危険な街であることは旅の前から分かっていたことだし、ティアは超振動の力で一緒に消滅させられるほど、まだ障気を身体に吸い込んではいないだろう。
――アッシュ、あなたが現れたってことはやっぱり……!
アッシュという新手の登場に、ティアはより一層表情を硬くした。そうでなくても人数差で分が悪いところに、六神将クラスが来たのだから無理はない。彼女の前髪の隙間から覗く意思の強そうな瞳は、確かにヴァンによく似ていた。
――本当にっ、本当に兄さんは外殻大地の人間を消そうとしているの!? 答えて! ――……何の話だ ――とぼけないでっ! 詠師職なら知っているはずよ、それにあなたは兄さんの部下じゃない! 兄さんは一体アクゼリュスで何をするつもりなのっ!? ――こ、こら暴れるな! 身を乗り出してこちらに詰め寄ろうとするティアを、神託の盾兵たちが慌てて押しとどめる。彼女はとても焦っているように見えた。アッシュもまた今聞いた彼女の言葉に、内心で焦りを加速させていた。
(人間を消す……それは障気の中和の際に犠牲になる者のことを指しているのか? いや、それにしては……)
ティアの言う通り、アッシュだって教団内で地位のある立場だったのだ。今自分たちの住むこの大地が、かつては魔界にあったのだということは知識として知っている。だがそれはあくまで二千年も前の歴史的事実でしかなく、今こうして普通に地上で暮らすアッシュには、ここが『外殻』であるという意識は皆無だった。突然、当たり前のようにそんな単語を突きつけられて、混乱するなというほうが難しい。
――おいっ、そいつを放せ。話が聞きたい ――いけません。邪魔をなさるのであれば、特務師団長とはいえ容赦いたしません ――ごちゃごちゃうるせぇ! 退け!
兵はアッシュの怒声にたじろいたものの、ティアの拘束を解く気はないみたいだった。主席総長閣下と、命令違反ばかりの特務師団長。どちらの言うことを聞くべきかは明白ということだろうか。アッシュが舌打ちをして剣を抜くと、ティアが驚いたように目を丸くする。
――ど、どうして ――俺はアイツと違ってヴァンの言いなりにはならない! 自分がどうすべきかは自分で決めるっ!
容赦しないというのはこちらの台詞だった。多勢に無勢だろうが知ったことではない。それに相対した兵からは、敵意はあっても殺意は感じられなかった。おそらく彼らはヴァンの妹のことも、アッシュのことも、殺すなと命令されているのだろう。
――魔神拳!
アッシュは空いている左手から拳撃を放ち、ティアの周囲の兵を吹き飛ばす。その一瞬の隙をついて拘束から逃れたティアは、それでもまだ半信半疑のようだった。
――どういうことなの…… ――時間が惜しい、手を貸せ。お前が本気でヴァンを止めたいってんならな ――……わかったわ
ティアが頷いたのを見て、アッシュは彼女に背中を向けた。彼女もまた、アッシュに背を向けたのが気配でわかった。周囲を取り囲む神託の盾兵たち。正しい情報を得るという意味では、停泊していたタルタロスに立ち寄ったことは間違いでなかったと思っている。 だが、今になって考える。考えてしまう。もし、あと一分でも、一秒でも早く、あの包囲を突破していれば――。
「俺だって認めたくねぇよ! こんな屑が俺のレプリカなんてな!」
初めて訪れた魔界は、死の世界と形容したくなるほど、暗く鬱々としていて生命というものが感じられなかった。皮肉なことにヴァンの差し向けた魔物によって命を取り留めたアッシュは、同じくティアの譜歌によって生きながらえたルークを追ってこの地下世界で唯一の街に辿り着く。 タルタロス上でのやり取りも通信を通して全部聞こえていたが、その時のルークの振る舞いは到底アッシュに許容できるものではなかった。ヴァンの操り人形だったレプリカを責める気持ち、この期に及んでも自分の非を認めないレプリカへの苛立ち、そして自分がもっと早く気づいていればという後悔。 アッシュはユリアシティの入り口で、とうとうルークに真実を告げた。剣を取り落し、尻餅をついたルークを見下ろして、アッシュは感情のままに怒りをぶつける。
「こんな屑に、俺の家族も居場所も……全部奪われただなんて……!」
アッシュにとって、ルークはどこまでいっても『自分』の延長線上でしかなかった。認めたくないけれど、ルークは自分のレプリカなのだ。だからこそ、ルークを責めれば責めるほど、アッシュ自身もどんどんと苦しくなる。同一視されるのは不愉快でも、これだけの被害を前に他人事とは割り切れなかった。ヴァンに騙されていたのは自分も同じ。近くにいたのに、ヴァンの狙いに気づけなかったのは自分も同じ。それなのにアッシュが自責の念に駆られている一方で、当のレプリカは『俺は悪くねぇっ!』などと口にする。
(こいつはどこまでいっても被害者面をするのか……!)
剣の柄を握りしめる手がぶるぶると震える。許せなかった。憎しみや怒りとともに、羞恥を覚えた。ここのところ頻繁にルークと意識を繋いでいたせいか、余計にレプリカとの感情の境が曖昧になっていて、半分くらい自分自身に向けて言っていたかもしれない。
「情けなくて反吐が出る! 死ね!」
アッシュは明確な殺意を抱いて、勢いよく剣を振り下ろそうとした。が、
「駄目よ! アッシュ、やめてっ!」
視界の端で人影が動いたのを捉え、すんでのところで手を止める。もしもこのときティアが強引に割り込んでこなければ、本当にレプリカを殺していたかもしれない。 ルークを庇うように前に出たティアは、やめて、ともう一度繰り返した。
「……ここでルークを殺しても、アクゼリュスは戻らないのよ」 「そんなことはわかっている!」 「殺して、楽になるのはあなたではなくルークだわ」 「……クソッ!」
この兄妹は、いつだって見透かしたようなことを言う。 アッシュは左手で拳を握り、自分の太ももを強く叩いた。俯いて、二、三度拳を叩きつけて、喉につっかえた激情を必死で飲み下そうとした。ぐっと奥歯を噛んで、少しずつ息を吐いて、やりきれない思いを飼いならしていく。それはこの七年の間にアッシュが身に着けた処世術だった。ままならない人生を生きていくためには、何度も様々な感情をこらえる必要があったのだ。
「アッシュ……」
やがて、心を無理やり鎮めると、頭の中も静かになっていることに気がついた。アッシュはティアの視線を避けるようにして、自分とそっくり同じ顔をした人形を見下ろす。
「チッ……いい気なもんだな」
どうやらルークは無様にも、意識を失っているらしかった。
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mokuji
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