アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


43.推論(127/151)

 形式だけの辞令を受けに、普段はほとんど使われていない参謀総長の執務室へ向かうと、うずたかく積まれた書類の山に挟まれたシンクが、黙って一枚の紙を差し出してきた。どうやら決済者がこれだけの期間不在にしていた影響はすさまじいようで、ダアトに戻ってからの彼はひたすら机仕事に追われているようである。おかげでディスト捜索の件も後回しになっており、フィーネとしてはありがたかったのだが、それはさておき彼はきちんと休息をとれているのだろうか。
 フィーネはシンクの様子に気を取られながら、特に深く考えもせずに受け取った紙に目を通した。昇進の件は前もって知らされていたので、むしろわざわざ呼び出されたことを不思議に思っていたくらいだった。

――ND2018 ノームデーカン・■曜日・■の日、一五:〇〇頃、アクゼリュス一帯の大地が崩落した。
 主席総長閣下の無事は確認。現場に居合わせた導師イオン、特務師団長アッシュの安否は不明とのこと。
 その他、大詠師麾下のオラクル兵については確認中であるものの、生存は絶望的と思われる。

「え、これって……」

 予想していたのとはまったく異なる内容に、フィーネは勢いよく顔をあげる。思わず手に力が入ったせいで、紙の端っこが少し皺になってしまった。

「リグレットから、速報」

 シンクは端的にそう言うと、ようやく手を止めてこちらを見た。それからまるで世間話でもするみたいに、残念だったね、と続けた。

「この書き方じゃ、生きてる可能性のほうが高いんじゃない?」
「……」

 フィーネはもう一度簡潔な文字列を目でなぞって確かめると、詰めていた息をゆっくりと吐いた。最後の一文は、万が一他者の目に触れても問題がないようにという計らいと、「安否不明」の表現と対比させる意図があるのだろう。
 崩落が起きてもイオン様が助かっているのなら、導師守護役として彼に付き従っているアニスも助かっている可能性が高かった。崩落ですべてが片付くことを期待していたくせに、結局のところフィーネはこの知らせに安堵してしまっているのだった。

「ええと、皆にはなんて言おうかな……」

 とはいえ、シンクの前であからさまにほっとして見せるわけにはいかない。フィーネは紙を執務机の上に戻すと、自分がここへ来た目的である、特務師団のことへと話題を移した。

「生きているのなら、やっぱりアッシュ師団長の死亡説は流さないほうが良いよね」
「最初からそう言ってるでしょ。下手に死んだってことにしたら、奴が生きて戻ってきたときに兵がなびく可能性がある」
「でも、急にアッシュ師団長が裏切ったって言って、皆信じてくれるかなぁ……」

 詳細な被害状況や原因については不明なままであるものの、アクゼリュスが崩落したこと自体はダアトにも既に届いている。任務中に巻き込まれて亡くなったという話ならまだ筋が通って聞こえるかもしれないが、いきなり師団長が教団を裏切ったなどと聞かされて信じられるものだろうか。やはりここはひとつ、説得力のあるストーリーが必要だと思う。

「参謀総長」

 忙しそうなところ悪いなと思いつつ、頼る気持ちでそう呼ぶと、シンクはひどく嫌そうに唇を歪めた。

「喧嘩売ってる?」
「な、なんで。何も間違ってないじゃない」

 実際、第五以外の兵たちは、シンクのことをそう呼んだりもする。他の人に呼ばれているときは、特に不機嫌そうにしてなかったはずだ。

「間違ってないけど、普段そんな呼び方しないだろ」
「知恵を貸してほしくて……」
「今ので貸す気がなくなった」

 シンクはどん、と当てつけのように書類の束を置きなおして、こちらの視界を遮る。

「フィーネもこれからは特務師団の師団長として、今まで以上に机仕事頑張ってね」
「そんな!」

 まったく嬉しくない話だった。もともとフィーネは昇進なんてしたくなかったし、これから世界を滅ぼそうって時に真面目に仕事をやる気にもなれない。本音を言えば、別にやらなくてもいいのではないかと思うくらいだ。フィーネはひょいと横に移動して、シンクが見える位置に立った。

「私たちこそ、死亡説を流しちゃ駄目なの?」

 身寄りもなく、目指すものもなく、教団にしか居場所がなかった頃とはもう違う。煩わしさを受け入れてまで、ここに無理にしがみつく必要はないのではないかと思っている。シンクは利害関係だけだと冷めたことを言うけれど、フィーネはこの二年ちょっとの間に六神将に対してかなりの帰属意識を抱くようになっていた。

「総長やシンクがいてくれたら、教団を出てもきっと何とかなると思う」
「はぁ、何を言い出すかと思ったら……まだその段階じゃないよ」
「ってことは、考えてはいるんだね!」

 適当な、完全に今この場での思いつきだったのに、意外にも希望のある返事がかえってきてフィーネはちょっと嬉しくなる。「可能性として、ね」シンクは顎を持ち上げるようにして、頬杖をついた。

「だけど資金や設備の面からも、まったく新しい形で独立するより、教団ここを乗っ取ったほうが早いと思ってる。そのとき、どれだけの兵がこちらの側に着くかは、結局今の信用次第だからね」
「ってことは、つまり……」
「そう。自分の部下にすら信用してもらえなかったら、お話にならないってこと。アッシュよりも、フィーネのほうが信じられると思わせられないと駄目だ」
「……」

 結局、話はそこに戻ってくるわけか。
 フィーネの気持ちはまたもや急降下して、しょんぼりと肩を落とす。信用とはまた少し違うかもしれないが、人に好かれるというのはフィーネが最も苦手とするところだった。師団の皆とはだいぶ打ち解けられたとは思うけれど、自分にそれほど他人を引っ張るような力があるとは思えない。

「えっと、特務師団は人数少ないから、最悪こちらに引き込めなくても……」
「やる前から甘ったれるな。前任が不祥事で飛んで、その後釜に入るって状況よりはるかにマシでしょ」
「それはそうだけど……」

 言い訳だと言われるかもしれないが、シンクは特別優秀なのだと思う。だからこそ総長もまだ経験の浅いシンクに参謀を任せているのだし、一緒にされては困る。
 フィーネが口ごもってしまうと、シンクはわざとらしくため息をついた。

「確かに特務の奴らはフィーネより、アッシュとの付き合いのほうが長いだろう。単純に人望で負けるなら、逆にその付き合いの長さを利用してやればいい」
「付き合いの長さ?」
「そう。奴らはアッシュの性格をよく知っているし、アッシュが何を大事に思っているかも知ってるってワケだ。モースの動きもなりふり構わずになってきたしね、特務の奴らならそろそろ預言スコアに戦争が詠まれているって察し始めてるんじゃない? となれば、こっちが点と点を用意してやるだけで、あとは勝手に結びつけてくれるでしょ」

 つまり、アッシュ師団長はキムラスカのために単独で動いた、という筋書きだろうか。団員達が戦争の未来が詠まれていることを察したとしても、その内容まで正確にわかるわけではない。彼らは今現在起こっている結果と、持ち合わせている情報から推測するしかないのだ。

「えっと、アッシュ師団長は詠師だから、戦争という大きな事柄に関わる預言スコアを知る機会があった、かもしれない……」
「そうだ。アッシュの性格なら、いや、余程の預言スコア狂いでもない限り、普通の人間はどうにかして回避できないかとあがくものだろう。その点、外交関係で暗躍するなら特務師団はおあつらえ向きだし、そもそも戦争ほどのことを一人でどうにかできるはずがない。信用できる部下に事情を話して、協力を求めるのが筋ってものだ」
「だけど、アッシュ師団長は誰にも何も言わなかった……。部下の立場からすると、自分は信用されてなかったってショックかもしれない」

 個人的には上官が教団を裏切ったことよりも、自分が信用されなかったことのほうが傷つくだろうな、と思った。感情的な話だが、それだけでも十分気持ちが離れる理由になるだろう。

「あるいは、初めからアッシュも戦争を止める気がなかったか、だ。実際、アクゼリュスが落ちたのはキムラスカ側にとっても都合がいい。あそこは現在、マルクト軍の資源庫だったからね」
「でも……それなら、アッシュ師団長は教団を裏切ってはいないことにならない? 普通の感性でいえば戦争が起きるのを見過ごすのはおかしいけど、モースの方針とは一致してるし……。それに預言スコアじゃキムラスカは戦争で勝つんだから、裏切る理由もないよね」

 今の話だとアッシュが除籍になるのはおかしな感じがする。預言スコアに反して戦争をなんとか止めようとした――実際、崩落に関してはその通りなのだが――という話なら除籍もありえるかもしれないが、その場合、まともな部下たちは皆アッシュのほうに着いて行ってしまうだろう。
 フィーネがうーんと唸ると、シンクは物分かりが悪いと言わんばかりに苛々とした雰囲気を漂わせた。報告書を指導してもらっていたときにもよく苛つかせてしまっていたが、それも随分と前のことなのでなんだか懐かしさすら感じてしまう。

「せっかくいい感じだったのに、なんでまたそこで視点を混ぜるんだよ。預言スコアに詠まれた勝敗までは、一般兵の知るところじゃない。いかにも戦争を止めそうな人間が、止めなかった。上層部の方針と一致しているように見えたが、除籍処分になった。情報はそれだけ。さて、アッシュは何をしたと考えられる?」
「うう……ええと、自分勝手に動いて、余計なことまでした……?」
「三十点の答えだけどまぁいい。つまりは預言スコアに対して不自然な介入を行った。情報を持っていたから、キムラスカの有利になるように誘導した。預言スコアで戦争が運命づけられていたとしても、元々二国間は一触即発の状況だったんだ。崩落のような致命的な被害を出さなくても、起こりうることだったのに、アッシュが余計な手を加えた。行き過ぎた介入に、上もさすがに危険視し始めたってワケ」
「なるほど……」

 シンクが言うと、真実を知っているフィーネでさえ本当の話みたいに思えてくるから不思議だ。果たしてアッシュがそこまでマルクトに対して冷酷になれるのかという疑問は残るものの、現に彼は教団に戻っていないので、本心を確かめる術はない。不在、そして自ら連絡を絶ったという事実だけが圧倒的な答えとされてしまう。
 今の話を忘れないように必死で頭に叩き込んだフィーネは、ちょっぴり畏怖の念を抱きながらシンクをまじまじと見つめた。

「……なんか、シンクを敵に回したくないなって改めて思った」
「はぁ? 人がせっかく手助けしてやったのに言うことがそれ?」
「ご、ごめん……。いや、ありがとう」

 知恵を貸す気がないと言っておきながら、結局なんだかんだで助けてくれたのだ。
 シンクはフン、と鼻を鳴らすと、また元のように仕事に取り掛かる。急に取り残された形になったフィーネは、感謝と今の罪滅ぼしも兼ねておずおずと申し出た。

「……コーヒーでも淹れようか?」
「……」
「シンク働きすぎだから、休憩したほうがいいよ」
「……ホント、邪魔しかしないな」

 機嫌を悪くしていたのもあって、シンクの言い方はきつかった。だが、言いながらも彼が再び手を止めたのを見て、フィーネは一息入れるための準備をすることにしたのだった。

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