アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


42.知るとわかる(126/151)

 街ひとつ分の大陸が崩落するとなれば、どこにいても凄まじい衝撃を感じるものだとばかり思いこんでいた。だが、ルグニカ大陸を挟んで反対側の海域――ちょうど旧ホドのあたりを走航中だったフィーネには、最近頻発している地震との違いがあまりわからなかった。

「今の揺れって、もしかして……」

 空席ばかりが目立つ作戦室。フィーネは半分独り言のような調子で呟き、唯一その場にいたシンクの顔を見た。アッシュは結局アクゼリュスを見捨ててはおけなかったようで、フィーネたちがケセドニアから戻ると姿を消していた。ラルゴはラルゴで、拘束を解かれたアリエッタがダアトを抜けて行方不明になったとの知らせを受け、彼女の捜索に向かっている。そういうわけで今現在、陸艦に乗っている役職者はフィーネとシンクしかおらず、わざわざ作戦室に集まる意味もないと思うのだが、それでもシンクがここにいるものだからフィーネも同じように作戦室で待機をしていた。
 崩落が起き、大勢の命が失われるその瞬間を、一人で過ごすのはなんとなく心細かったのだ。

「流石に違う……かな」
「いや、落ちたんじゃない? ヴァンからは随分前にアクゼリュスに到着したという知らせを受けているし、奴らがいくらのろまでもいい加減着く頃合いだ」
「……」
「この作戦に関しては、成功が約束されているようなものだからね」

 シンクの態度は普段と何も変わらなかった。そもそも確認せずともアクゼリュスは崩落する前提で、次なる手を打つために今ダアトに向かっているのだ。しかし、崩落の未来は約束されていたとしても、今回その結末に関わる登場人物には二通りあるように思う。フィーネはいなくなってしまった自分の上官を思い浮かべ、小さくため息をついた。

「アッシュ師団長、無事かな……」

 彼がフィーネたちと一緒に行動していれば、預言スコアはそのまま彼のレプリカを『ルーク』として扱っただろう。だが、本物の『ルーク』である彼がアクゼリュスに向かってしまえば、預言スコアがどちらを選ぶのか予想がつかなかった。
 預言スコアに縛られている被験者オリジナルの死が優先されるのか、それとも代わりのレプリカがいればもう被験者オリジナルは必要ないのか。答えがどちらであろうとも、苦しいことに変わりはない。

「仮に死んだとしても、自業自得だね。アッシュの我儘にはもう付き合いきれないよ」
「でも、預言スコアを滅ぼすにはアッシュ師団長の力が要るんじゃなかった?」
「ヴァンが上手くアッシュと合流できていれば助けるかもしれない。だけど奴のデータはまだあるから、最悪また造ればいい。超振動の力さえ使えれば、あとはどれだけ劣化してようが関係ないんだからさ」
 
 導師のレプリカを造る際、第七音素セブンスフォニムの素養が高い個体を厳選したように、ということなのだろう。シンクの言うことは合理的ではあるものの人道的ではないし、なによりそうやって選別された側の彼から言われるとフィーネはどう反応していいかわからなかった。

「……シンクは、自分以外のレプリカのこと、どう思ってるの」
「別にどうも思わないね。フィーネだって自分以外の『人間』のことをどう思ってるか聞かれても、漠然としすぎて困るでしょ」
「それはそうだけど……」
「ボクは預言スコアが滅ぼせればそれでいい。そのために人間が死のうと、レプリカが死のうとどうだっていいんだよ」

 シンクらしいと言えばシンクらしいけれど、随分とまたはっきり言うものだ。正義感の強い者であればたちまち憤るところを、フィーネはむしろ少し感心してしまった。自分と違って迷いがなくていいな、と思う。他人にどう思われるかなんてこともまったく気にならないのだろう。ただそれはそれとして、シンクの考え方そのものにはフィーネは賛同できなかった。

「私はね、新しい未来の……新生オールドラントを託すためのレプリカが生まれることは良いと思ってる。でも……そうじゃない不幸な形では、これ以上生まれてほしくないな……」
「不幸ねぇ、勝手に託されるのも十分不幸だと思うけど?」
「それはそうかもしれないけど……まだ不幸だって決まってない。どうせ死ぬしかないオールドラントの人間と違って、レプリカには未来があるから。だから人間は仕方なくても、レプリカが死んでもいいとは割り切れないな……」

 変な話、可能性を潰すという意味では人間よりレプリカを殺す方が余程罪が重い気がする。それは所詮、フィーネが人間を死なせ、見殺しにするための言い訳に過ぎないのかもしれなかったが、そうやってどこかで理由をつけて線引きしないと怖かったのだ。
 シンクはフィーネの言葉を聞くと、何かを考えるように珍しくしばらく黙りこんでいた。てっきりまた甘いと言われるとばかり思っていたが、かちあった深緑の瞳に嘲るような色はない。

「その理屈なら……フィーネだって、レプリカ計画で死ぬ必要はないはずだ。フィーネに預言スコアがないって話が、本当なら……」
「……え」

 今、そんな話をしていただろうか。
 唐突に話題の矛先が自分に向いて、フィーネは思い切り動揺する。だが、シンクはいたって真剣な表情のまま、当たり前のように話を続けた。

「前はこっちも余裕がなくて聞きそびれた。だけどフィーネ、本当は自分の生まれについてもっと何か掴んでるんじゃないの?」
「な、なんで急にそんなこと……今、結構大事な話してたのに」
「こっちのほうが大事なことでしょ。他の人間やレプリカのことなんてどうでもいい、たとえフィーネがボクと違う考えを持っていようと知ったことじゃない」

 何もシンクの意見を変えさせようと思ったわけではなく、フィーネなりに自分の考えや気持ちを伝えたかっただけだ。こちらはお互いをもっとわかりあいたいと思っているのに、知ったことじゃないとまで言われるのは酷くないだろうか。
 しかしフィーネが呆然としていると、それをまたシンクは勝手に解釈する。

「そこで黙るってことは、何か隠してるってことだね」
「……別に、シンクに話した結論から変わりはないよ。ディスト様に調べてもらって、私は人間だったってわかった」
預言スコアのことは?」
「何かはっきりしたわけじゃないし、それに、難しいことはよくわからないから……」

 フィーネが本来死産だった、死んでいるはずの人間だったというのは、あくまで仮説に過ぎない話だ。フィーネ自身まだ気持ちの整理がついていないし、そもそもフィーネがどういう存在だろうが、預言スコアを滅ぼす計画には関係がない。フィーネがわかり合いたいのは気持ちの話であって、変えられない過去のどうしようもない話ではない。
 けれどもシンクは何事もはっきりさせないと我慢ならないみたいで、とうとう最後の手段を口にした。

「あぁ、そう。じゃあディストに直接聞きに行く」
「っ、やめてよ。だいたいそんなことしてる場合じゃ……」
「どのみちディストにはそろそろ戻ってもらわなきゃ困るんだよ。コーラル城を出てからアイツ、勝手に行方をくらませてたからね」
「シ、シンクが行くなら、私も行く」

 自分のいないところで、自分の過去の話をされるのは嫌だ。せめてもの抵抗でそう言えば、シンクは馬鹿にするように鼻で笑った。

「ダアトに戻ったら、フィーネは特務師団の引き継ぎで忙しいでしょ? 師団長就任、オメデトウ」
「アッシュ師団長はまだ死んだって決まったわけじゃ……」
「そうだね、だから裏切り者として扱う。アクゼリュスが落ちた後じゃもうヴァンの甘言では誤魔化しきれないし、今のうちに権力は奪っておかないと」
「……っ、シンクだって他にやるべき仕事が溜まってるはずでしょ。ディスト様に聞きに行くのは、それからでも遅くないし」
「そんなにあがくくらいなら、今自分で話した方がいいんじゃない?」
「……」

 どうせバレることなら、確かに今話してしまっても同じだろう。それでも自分が生まれるはずのなかった命だというのは――完全にこの世界から弾かれた存在だというのは、顔や家族のこと以上に知られるのが怖かった。

(イオンが亡くなったって聞いたとき、シンクは『死人がうろうろしていたら気味が悪い』って言ってた……)

 もちろんその発言は、シンクにイオンを重ねてしまったせいだとはわかっている。だが、やはり死ぬはずだったフィーネが存在しているとなれば、気味悪がられやしないだろうか。

「……どうしても、聞くの?」

 すがるような思いで、じっとシンクを見つめる。「フィーネがそこまで嫌がるなら――」シンクは腕を組むと、呆れたようにふうと息を吐いた。

「とでも、言うと思った? 俄然興味が湧いてきたね」
「そっか。そうだった……」

 シンクはそういう性格だった。気が変わることもないだろう。もはや逃げ場はないと観念して、フィーネは口を閉ざす。

「フィーネに倣って、ボクもわかろうとしてやってるんだ。文句を言われる筋合いはないね」

(知るとわかるは違うのに……)
 
 事実を知っても、気持ちをわかって貰えないならただ辛いだけだ。シンクがフィーネと同じ恐怖や心細さを感じてくれるとは思えないし、それなら仮説は仮説のままおいておきたい。できれば過去はなかったことにして、未来のことだけ考えていたい。
 それなのにいつまで経ってもこうして過去に脅かされ続けるのは、やはり友人たちを見殺しにしてしまった罰なのかもしれなかった。

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