アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


41.もやがかかって(125/151)

 紫のもやと譜石灯のぼんやりとした光が混じりあって、坑道は辺り一面禍々しい色を帯びていた。なるべく障気を吸い込まないようにと、袖で口元を覆ったイオンは、懸命に足を動かしてルークの後をついて行く。

師匠せんせい!」

 いくらか進んだところで、不意に前を行くルークが駆けだした。目を凝らすと少し先に人影が見えたので、あれがヴァンなのだろう。ただ、どうやらヴァンは一人らしく、周囲に他の者の姿は見当たらない。

「ルーク、ようやく来たか……」
師匠せんせいよかった、やっと会えた! 
……あれ、他の救助隊は?」
「他の者は別の場所に待機させている」

 ルークの素直な疑問に、ヴァンは落ち着いて答えた。確かにここには救助を必要とするような者はいなそうだ。だが、それなら一体どうしてヴァンはここに留まっているのだろうか。
 イオンはヴァンの背後にある扉に視線をやり、それがこの旅で見慣れてしまった極彩色の封印であると気づくと、困惑の表情を隠しきれなかった。

「……これは、ダアト式封咒」
「左様。導師イオン、この扉を開けていただけますか」
「ですが……ここを開けても意味がないのでは?」

 ダアト式封咒があるということは、ここもセフィロトの一つであるということだ。まさかこの状況でヴァンに封印解除を乞われることになると思わず、イオンは躊躇いがちに彼の顔を見つめ返す。

「いいえ、このアクゼリュスを再生するために必要なのですよ」
「……ヴァン、あなたは何か解決策を知っているのですか?」
「逆になぜ、導師がご存じないのか、私にはわかりかねますな」
「……」

 それはとても白々しい嘘だった。どの程度関わってたのかは定かでないにしろ、今のイオンが偽物であることを教団上層部のヴァンが知らないわけがない。

(導師と言っても、僕はあくまで飾りだ。実際には自分で秘預言クローズドスコアを確認したこともない……)

 別に閲覧権限がないわけではないから、どちらかと言えば確認しようと思ったこともない・・・・・・・・というほうが正しいのかもしれない。イオンにとって預言スコアとは、他人に乞われて初めて詠むものだった。

「イオン! 頼むよ、師匠せんせいの言う通りにしてれば大丈夫だからさ」

 イオンがなかなか動かないことに焦れたのか、ルークも必死な表情で言い募る。

「イオンだって知ってるだろ、俺がここに来ることは預言スコアに詠まれてたんだ。俺がアクゼリュスを救うんだよ。だから今は師匠せんせいを信じて協力してくれ」

 誰かの期待に応えるのも、他人を信じるのも、イオンにとっては慣れ親しんだ行動だった。一抹の不安は確かにあったけれど、明確に反対する根拠も無しにルークを突っぱね、ヴァンに反抗するという選択肢は浮かばなかった。しかもアクゼリュスは一刻も早くどうにかせねばならぬほど、危機的状況である。
 
「……わかりました」

(僕が知らないだけで、パッセージリングにはまだ隠された秘密があるのかもしれない)

 創世歴時代の譜業は現代の技術をはるかに超えていて、いまだ解明されていないことも多い。地下にあるという魔界クリフォトには障気から街を守る仕組みがあると言うし、アクゼリュスでもそれができれば希望はある。
 イオンは扉の前に進み出ると、封印を解除するために意識を集中させた。六神将に脅されたときはわざと時間をかけていたけれど、本当は解くのにそう時間はかからない。一枚、一枚と光の障壁が消えていき、やがてセフィロトへと続く道が開けた。

「よし、これで中に入れるんだな。ぐっ……」
「ルーク、大丈夫ですか」

 ヴァンが安全を確かめるために先に中に入り、イオンとルークも続こうとした時だ。またもやルークが頭を抱え、苦しそうに呻きだす。アクゼリュスに来てから、ルークの頭痛はかなり頻繁に起こっていた。これが人為的な――アッシュが起こしているものだとしたら、アッシュはルークに何を伝えようとしているのだろうか。

「……っ、何言ってるんだ! 俺はここの障気を中和するだけなんだ!」
「障気を中和……? そんなことが?」
「さぁ、ルーク。こちらへ」

 ルークはまだ苦痛を浮かべていたけれど、ヴァンに従い中央にそびえ立つ音機関へと近づいていく。

「あの音機関――パッセージリングまで降りて、障気を中和するのだ」
「わかったよ、師匠せんせい。危ないかもしれないから、イオンはそこで下がっててくれ」
「……本当に中和なんてできるんですか?」
「それができるんだ。なんてったって俺は選ばれた英雄だからな」

 アクゼリュスに着いてから、ルークが笑ったのは初めてだった。やっと自分も役に立てるといわんばかりに、意気揚々とパッセージリングに向かって両手を突き出す。

「よし、そのまま集中しろ」
「……」

 これから何が起こるのかわからず、イオンは彼らの後方で固唾をのんで見守るしかなかった。ルークもヴァンもとても真剣な表情をしていて、質問を差し挟む余地もない。

「その調子だ。力を抜いて私の声に耳を傾けろ」

 ヴァンはまさに彼の師らしい口ぶりで、ルークに指示を与えていく。だが最後に聞こえてきた単語は、耳を疑う内容でしかなかった。

「さぁ……『愚かなレプリカルーク』。力を解放するのだ」
「!」

 ヴァンの急変。そしてレプリカという、何も知らないルークに向けるにはあまりに辛辣な単語。
 イオンは異変を感じて二人に近づこうとしたが、その瞬間、ルークを中心に衝撃波が放たれ、イオンは吹き飛ばされてしまう。そのまま固い岩の壁にぶつかって、イオンは強かに背と頭を打った。

「な……なんだ!? 俺の中から何かが……」

 薄れゆく意識の中で、ルークが困惑した声を上げるのが聞こえる。

(……っ、ルーク、)

 イオンは必死で起き上がろうとしたが、身体がちっとも言うことを聞かなかった。それどころか視界にもやがかかったようになって、彼らのぼんやりとした影しか認識できない。

(僕たちは騙されて……あぁ……)

 そこから先はどんなに後悔しても、すべてが遅すぎた。
 やがてルークの影ががっくりと膝をつき、セフィロトの光もかき消える。それを認識したのを最後に、イオンの意識もぷっつりと闇に閉ざされてしまったのだった。


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