40.ひずみとゆがみ(124/151)
大地というのは、厚さ数十から数百程度の岩石でできた層であり、一枚ではなく複数のプレートから成っていると言われていた。個々のプレートは非常にゆっくりとだが、ある特定の方向に向かって動き続けており、境界上でそれぞれが押し合い、ときには内部に巻き込んだりすることで大地にひずみが生じる。
ひずみがごく小さいうちは、その影響を無視することができるだろう。そもそもプレート自体の動きも、その上に乗っている人間には感じられないほど遅々としたものである。だが、小さなひずみでも何十、何百年と積み重なれば、やがて大きな力となり、大地を揺るがすことになる。それこそがすなわち『地震』であると、現在のオールドラントに暮らす人間は教えられてきた。ダアトに生まれ、導師として特別な教育を受けたイオンからすれば、その説明は半分正解、半分不正解というところだった。
「やっと……やっと着いたのか! 早く師匠を探さないと……」
デオ峠を越え、ようやく一行が辿り着いたアクゼリュスは、豊富な鉱物資源に人が集まる形でできた鉱山都市である。元々はキムラスカ帝国の領地であったが、現在の採掘権はマルクト帝国が握っており、政治的にも非常に複雑な事情を抱えた街だった。着いてすぐに、パイロープという住人を見つけたイオンたちは、ひとまず立場とここに来た目的を明かし、彼から今のアクゼリュスの状況を聞くことにする。パイロープの話では、障気の発生源は第十四坑道の奥とのことだった。
「岩盤を掘って採掘をしているわけだもんで、鉱夫の間じゃ障気ってのはそこまで珍しいものじゃありません。だけども、この前の地震の影響で……ここまで酷いのは今までの人生で初めてですよ」
確かにフーブラス川を渡ったときも、地震のあとに地下から障気が噴出してきた。すり鉢状に地下を掘り進める鉱山では尚更地面は割れやすく、一度出た障気も坑道のせいで溜まりやすいのかもしれない。 倉庫のある一帯はまだ比較的障気が薄いようだったけれど、明らかに顔色の悪い者たちがそこかしこに座り込んでいた。このまま物資も医療も十分でない状態が続けば、確実に障気蝕害で衰弱死してしまうことだろう。
「グランツ謡将と救助隊は?」 「あぁ、グランツさんなら坑道の奥でさぁ。あっちで倒れてる仲間を助けてくださってます」
ジェイドが状況を確認する間、ガイは率先して荷物を運び、治療術の使えるティアやナタリアが屈みこんで住人たちの様子を確かめる。イオンやアニスも簡単な傷の手当てくらいならばできると、近くへ駆け寄った。そのとき、ぽつりとルークが不安げに呟くのが耳に届いた。
「奥って……師匠までそんなところに行ったら、病気になっちまうんじゃないか?」
それだけならば、まだよかっただろう。ルークはそのままこちらを振り返って、大きな声で注意を促した。
「おい、ナタリアも汚ねぇからやめろよ。伝染るかもしれないぞ」 「!」
きっと、ルークには悪気などなかったのだろう。彼は障気に関する知識がないゆえに、アクゼリュスの惨状を目の当たりにして幼馴染のことが心配になっただけなのだろう。 だが、いくら悪気がないとしても言っていいことと悪いことがある。彼が無知である理由を察しているイオンでさえ息を呑んだのだから、高潔な王女であれば尚のこと今の発言は聞き流せなかっただろう。ばっと顔を上げたナタリアの目は、見たこともないくらい激しい怒りをたたえていた。
「……何が汚いの? 何が伝染るの! 馬鹿なことおっしゃらないで!」
そのあまりの剣幕に、ルークは呆然とするしかないようだった。誰も彼に忠告したり、慰めたりする余裕がなかったというのも、余計に彼の心を頑なにしたのかもしれない。
「っ、なんだよ……俺は……」
クソ……と呟いてルークは黙り込む。
「ひとまず坑道で救助隊と合流しましょう」
ジェイドがいちいち取り合わないのはいつものことだったが、普段よりもずっとその声は冷ややかだった。一行はある程度救助活動がひと段落したところで、教えてもらった第十四坑道に向かうことにする。そんなとき、がしゃがしゃと鎧の音を響かせて、こちらに近づいてくる者があった。
「グランツ響長ですね! 自分はモース様に第七譜石の件をお知らせしたハイマンであります!」
やってきたのが神託の盾兵だったため、思わず何人かは身構えたようだったが、ティアは兵士の名を聞いてご苦労様です、と返す。イオンも六神将の件があるから少しどきりとはしたものの、聞き捨てならない単語が聞こえて思わず横から口を挟んだ。
「第七譜石? まさか発見されたのですか?」 「はい。ただ真偽のほどは掘り出してみないとなんとも……」
二千年前に始祖ユリアが詠み、自らの手で隠したと言われる第七譜石。世界の未来史が刻まれているそれを狙う勢力は数知れず、過去には戦争の発端になったことすらあった。そういう意味でも政治的に中立であるローレライ教団が最後の譜石を手に入れることは重要であり、イオンは迷いなくティアに指示を出した。
「ティア、あなたは第七譜石を確認してください。救助隊は僕たちのほうで追います」 「わかりました。この街の皆さんをお願いします」
ティアがハイマンとともに去ってしまうと、いよいよイオンたちは坑道の中へと進んだ。地震の影響で崩れた足場も多くあり、塞がれてしまった道もたくさんあるらしい。進むごとに空気が重く淀んだ感じがするのは、何も障気のせいだけではないのかもしれなかった。
「……うぅ……う…………う」 「しっかりしてください、今助けますわ!」
少し開けたところに出ると、むき出しの地面に人が何人も倒れていた。障気の量もいよいよすさまじく、イオンはふらつきそうになって足を踏ん張る。ここで倒れてしまっては、迷惑をかけにやってきたようなものだ。
「おかしい……救助隊の姿がない」
ジェイドが不審そうに呟いたのと、ルークが頭を抱えてその場にしゃがみ込んだのはほぼ同時だった。
「……ってえ! またか……!」 「ご主人様、大丈夫ですの!?」 「クソ、邪魔すんじゃ……ねぇっ!」
ミュウが心配そうにぴょこりと跳ねたが、ルークは構う余裕もないみたいだった。また頭の中にアッシュの声が聞こえているのだろうか。怒りとも苦しみともつかない表情を浮かべたルークは、歯を食いしばって立ち上がる。
「っ、早く師匠のところに行かないと……!」 「ヴァンのことが気になるのはわかります。ですが、今はまず目の前の人たちを助けましょう」 「師匠だってこの街で救助活動をしてるはずだろ! 俺は師匠を捜したいんだ!」 「でも、街の人達は一刻も早い救助を望んでいるはずです。親善大使としてのあなたの行動に期待しているのです」 「わーってるよ! そんなこといちいち言われなくても! 発生源をなんとかしないとどうしようもないだろ、だから師匠だって奥に進んだに決まってるんだ!」
ルークの苛立った声に、イオンは思わず目を伏せる。言葉は届いていても、気持ちがルークに届いていない気がした。これまで教団で皆が自分の言葉に耳を傾けてくれていたのは、どうやらイオン自身の力ではなかったらしい。イオンに導師であることを期待しない、ルークやフィーネのような相手には、イオンの言葉は何の力も持たないように思えた。そう考えると、不意にずっしりとした無力感が重く心にのしかかる。イオンが一瞬黙り込んでしまうと、ルークもまたつられたように勢いを欠いた。
「どうせここにいたって、俺だけ何もすることがねぇんだ……」 「……ルーク、あなたも、」
ルークがヴァンの姿ばかり追い求めるのも、彼自身、この惨状を前にして自分の無力さに焦っていたからなのかもしれない。そして無力さを感じるということは、本当にアクゼリュスを救いたいと思っている証拠だろう。 共感の糸口を見つけたことで再び気持ちを上向かせたイオンだったが、再び説得を試みるよりも早く、ルークはさっさと歩きだしてしまう。
「待ってください、皆と離れて行動するのは……」 「師匠さえ見つかったら、アクゼリュスは救えるんだ。それなら皆も文句ねぇって」 「……どういうことですか?」 「行けばわかるさ。イオンも来たければ着いて来いよ」
そう言って、どんどんと一人で先に進んでしまうルーク。 イオンはどうしたものか迷ってジェイドたちのほうを振り返ったが、皆それぞれ怪我人の救助で忙しく、ルークの動きに気が付いていないようだ。
(このまま彼を放っておくわけには……)
ここで声をあげて救助に勤しむ彼らの手を止めることも躊躇われるし、ルークに対する彼らの心証もまた悪くなってしまうだろう。ジェイドなんかは最初からルークの働きを当てにしていない様子だったし、説得を期待するのは無駄かもしれない。
とはいえ、この前のルークは頭痛を訴えた後、ぱったりと意識を失ってしまったのだ。身体の弱いイオンではいざというとき役に立たないかもしれないが、ミュウと二人だけで行かせるのは不安が残る。
「待ってください、僕も行きます」
イオンがそう言って追いかけると、ルークはほんの少し歩調を緩めた。「早くしろよ」口や態度は悪くても、根っこに優しさが見えるから、やはり彼のことを放っておけないと思った。
それにイオンにはもう一つ気になることがある。 アクゼリュスを救えるというルークの言葉――それは彼のヴァンに対する信頼を差し引いても、奇妙なくらいに自信に満ちているように感じられたのだ。
(ルークには何か確信があるのだろうか……?)
――ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで……。
バチカルから攫われる前、インゴベルト六世陛下から和平交渉に応じる話とともに、ルークが親善大使の任に着くことを伺った。その際、彼がアクゼリュスに向かうことが預言に詠まれていたのだとも知った。残念ながら譜石自体はそこで途切れていたようだったけれど、ルークは――いやルークが会えばわかるというヴァンは、本当にアクゼリュスを救う方法を知っているのだろうか。 (でも、リグレットのあの話……。そうなると、本当にあれはルークの預言と言っていいのだろうか)
考えてはみたけれど、うまく思考がまとまらない。ただ自分という存在が導師イオンとして成り立っている以上、このひずみの影響は無視できるほど、ごくごく小さなものにすぎないのかもしれなかった。
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mokuji
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