アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


39.省みの鏡(123/151)

 互いの存在を認識すれば、回線はより繋げやすくなる。物理的な距離が近づけば、更にもっと共有は明瞭なものになる。実際、アッシュはケセドニアで、レプリカの身体の自由を奪うことすら成功した。剣を握らせ、仲間に突きつけさせて。もちろん、本気で傷つけるつもりはなかったけれど、それでも何も知らずにのうのうと過ごしているあいつが許せなかった。そっくり同じ顔のアッシュと対面してもなお、自分で考えることをしないあいつに危機感を与えたかった。

(奪われる恐怖ってのを、おまえも少しは味わうんだな)

 自分の意思に反して身体が動き、望まぬ振る舞いをさせられるのはひどく恐ろしいことだろう。だが、形は違えど、アッシュはずっとルークにそれをやられてきたと思っている。ルーク・フォン・ファブレという存在を、あのレプリカの振る舞いで滅茶苦茶にされたと思っている。

『親善大使は俺なんだぞ! 俺が行くって言えば行くんだよ!』

(クソッ……こいつはどこまで俺の品格を落とせば気が済むんだ!)

 導師を始め、旅の仲間の調子を気遣うこともせず。
 立場を笠に着て、無理矢理人を従わせようとする。

 そんな行動はルーク・フォン・ファブレに相応しくなかった。奴の意識の中でナタリアやガイの冷たい視線を浴び、アッシュは屈辱に身を震わせる。それなのに当の本人は、ヴァンのことしか頭にないようだった。旅の仲間への気遣いも、アクゼリュスの民への心配も薄く、振りかざしている親善大使としての使命感すら希薄だった。繋がっているアッシュには、知りたくもないのに伝わってくる。このレプリカは民を救いたいのでない。親善大使として、強い責任を感じているのでもない。そういった気持ちもゼロではないにしても、ルークの望みはもっと幼稚で身勝手なものだった。

師匠せんせいに早く会わないと……!
師匠せんせいなら俺がどうすればいいか教えてくれる。俺のことを褒めたり、叱ったり、本気で接してくれるのは師匠せんせいだけだった。俺のことをわかってくれるのは師匠せんせいだけなんだ』

 一言で言えば、ルークの望むものは承認だ。そしてそれは歪なまでにヴァンに依存していた。仲間がルークを白眼視すればするほどルークの感情は強くなり、同調しているアッシュが逆に飲み込まれそうになるほどだった。いや、飲み込まれそうになったのは、この感情にアッシュ自身、覚えがあったからかもしれない。この世界でヴァンだけが自分の味方なのだと思ってしまう感覚はとてもよくわかったし、だからこそ自己嫌悪のような感情すら抱いた。どうしてこいつはこんなにもヴァンを妄信してしまっているのだろう。どうしてこいつはこんなにも必死なのだろう。

(俺から全部奪ったくせに……!)

『くそっ……皆で俺を馬鹿にしやがって……。出来損ないってなんだよ、なんで誰も説明してくれないんだよ! 俺のことなのに、俺をおいてけぼりにして話を進めて……どうせ俺にはわからないって決めつけてるんだ』

 途中、リグレットとの交戦でフォミクリー技術のことが話題に上がったらしい。だが、音素フォニムのこともろくに知らないルークが理解できるはずもなく、周囲からのフォローもなかった。それはここまでのルークの態度のせいもあったし、事が重大すぎておいそれと伝えられる内容でなかったということもあるだろう。どこまでも教えてもらおうとする姿勢のルークに苛立つ反面、アッシュはじわりじわりと別の感情がこみ上げてくるのを感じていた。少なくとも今は、ルークの置かれている状況を見ていい気味だとは思えなかった。

『もういい、俺は英雄になって自由になるんだ! 英雄になったら師匠せんせいも褒めてくれるし、俺を馬鹿にしているこいつらだって、俺のことを見直すかもしれない……!』

(……英雄なんかなれるわけがない。お前は俺の代わりに、死ぬために生まれてきたんだ。英雄どころか多数の人間を死に追いやって、死後も糾弾されるかもしれないんだぞ……)

 自分からすべてを奪ったレプリカが憎いのは相変わらずだった。公爵子息の風上にも置けない、粗野な振る舞いをするルークを受け入れられないというのも変わらなかった。だが、もはやこちらからの通信も届かぬほど追い詰められているルークの心情を漏れ聞いて、憐みの気持ちが湧かないと言えば嘘になる。
 
 無様で、惨めで、不確かなものに必死で縋るしかなくて、それなのに決して報われることはない。

(クソ、なんで俺がこいつなんかに同情しなければならないんだ……!)

 いっそ、真実を伝えようかとも思った。
 伝えて、アクゼリュスに向かうことも、超振動を使わせることもやめさせる。それで預言スコアから逃れられるのかどうかはわからなかったけれど、アッシュの性格的にやはりこのまま黙って見過ごすのは難しいと思った。かつての戦争でマルクトに領土が渡ったことになっているが、キムラスカの見解ではまだアクゼリュスは自治領である。民を見捨てて何が王か。無知なレプリカを身代わりにして、それでどうして胸を張って生きていけるか。

(俺こそ、俺のほうこそ、いい加減ヴァンから離れないといけないのかもしれない……)

 自分が国に利用されようとしていたと知ってから、ヴァンだけが自分の味方なのだと信じようとしてきた。預言スコアを妄信すること自体には疑問を抱いていたし、ヴァンに違和感や不信感を抱いても、心のどこかでずっと見ないふりをしてきた。
 だが、ルークの醜態を目の当たりにすることで、皮肉にも自分の危うさや間違いがよく分かった。預言スコアをこの世界から無くすにしたって、ヴァンのやり方に従うのではなく、自分の頭で考えて、行動すべきだったのではないだろうか。

(だが、どうやって止める? 通信をしようにもさっきからこちらの声は少しも届いてないようだ。それに、もしも伝えられたとしても、あいつが俺の言葉を信じるわけがない……)

 これまでの邂逅を思えば、当然と言えば当然だろう。まともに取り合ってもらえないだけでなく、最悪アクゼリュスでヴァンに合流した後、告げ口される危険性すらある。もはや直接ルークの行動を阻止するしかない今、余計な情報をヴァンに与えて妨害されてしまっては困るのだ。

(頼む、間に合え……!)

 ヴァンが何を企んでいるのか、本当のところはいまだわからない。セフィロトの件ですらアッシュには正しく情報が与えられていなかったのだ。預言スコアを滅ぼすという目的のために、この先ヴァンがもっと大きな犠牲を許容することは十分にありえる。そしてアッシュがそれを受け入れられない以上、死なせたくないと言ってくれた、優しい師匠せんせいのことは忘れるべきだ。

 ヴァンとアッシュでは理想が、思想が、あまりにも違いすぎる。
 情だけで付き従うことはできないほど、その隔たりは大きすぎた。

(ここで袂を分かつことになるのかもしれない)

 それはもはや予感ではなくて、ほとんど確信だった。しかしながらどんなに決意を固めようと、今のアッシュはただがむしゃらにアクゼリュスを目指すことしかできないのだった。

prevnext
mokuji