アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


37.おそらく彼は(121/151)

 目の前で激しい戦闘が繰り広げられた際は一体どうなることかと思ったけれど、全員で無事にザオ遺跡を脱出し、イオンたちは再びケセドニアに辿り着くことができた。相変わらず街は活気に溢れていて、観光客や仕入れ目的の客でごった返している。一行はスリに気を付けながら人の波をかき分けるようにして進んだが、宿屋の前まで来たところで少し立ち往生していた。

「休んでなんかいらねーって! ヴァン師匠せんせいが待ってるんだよ」

 理由は簡単。一刻も早く先を急ぎたいルークと、休息を提案するそれ以外で意見が分かれたのだ。もちろん休むことを提案した者もアクゼリュスがのっぴきならない状況なのは理解している。陸路を進み、更にはイオンの救出まで行った分、当初の予定より遅れていることもわかっている。それでもここからアクゼリュスまではまだ遠く、砂漠で消耗した体力のまま向かうのはかなり無理があった。

「そうは言っても、ルークだって疲れているでしょう。無理をしてアクゼリュスに駆けつけても、逆に現場で足手まといになるだけだわ」
「別にこれくらい、俺は平気だ」
「まぁ、ルークだって砂漠では散々『あちー』だの『だりー』だのぼやいていらしたじゃないの」
「そうですよう、オアシスではもうちょっと休憩しようって言ってたじゃないですかぁ」

 イオンはザオ遺跡に来るまでのルークの様子を知らないが、ナタリアやアニスの話はおそらく事実なのだろう。その証拠にルークはばつが悪そうに眉をしかめ、口をへの字に曲げた。

「でももうケセドニアに着いただろ。ここは何にもない砂漠と違って色々あるんだし、わざわざ宿屋に泊まらなくても休むんならカイツールに向かう船の中で休めば――」
「その件ですが、マルクトの領事館に連絡を入れても船が用意できるのは明日になるでしょうね」
「はぁ!?」

 今日中に船で出発できないのなら、この言い合いはなんだったのだろうか。相変わらず食えない態度のジェイドに、ルークは勢いよく食ってかかる。

「なんでだよ!? マルクトってのは自由に動かせる船の一つもないのか!?」
「ケセドニアはあくまで商業目的の特別自治区です。あるのは基本的に商船か一般向けの連絡船ばかりで、他国の要人を乗せるとなればそれなりに手続きは必要ですから」
「ったく、こんな大事なときに手続きって……」
「仕方ないさ、ルーク。ちゃんと休むのも旅のうちってな」
「クソ……」

 ルークはそれでも不満そうだったが、船が出ないとなれば他に選択肢はない。これでひとまず話はまとまったかと、皆がほっとしたそのとき――

「う……」

 突然、ルークが頭を抱えてその場に立ちすくむ。「ルーク?」暑さに加え、大きな声を出したことで眩暈でも起こしたのだろうか。いや、それにしては苦痛の表情を浮かべていて、なんだか様子がおかしい。

「う……うるさ……」
「ご主人様、大丈夫ですの?」
「ルーク、しっかりして」

 ミュウが心配そうに下からルークをのぞき込み、ティアも慌てて彼に駆け寄る。「黙れ……っ! 俺を操るなっ!」しかしルークはそんなティアに向かって、何の前触れもなく剣を抜いた。

「ルーク!? どうしたの!?」

 日光を反射して、きらりと刃が光る。
 これには流石のティアも硬直し、イオンもまた息を呑んだ。だが、剣は振り下ろされることはなく、それどころか柄を握りしめているルーク本人が必死に抗っているように見えた。

「ち……ちが……う! 身体が勝手に……! や、やめろっ!」

 ルークは最後、振り絞るようにそう言うと、それから不意にばたりと倒れこんでしまった。意識を失ったのだろう。イオンを始め、みな起きたことが理解できずに固まったが、真っ先に我に返ったジェイドが素早く指示を出す。

「ひとまず宿に運びましょう、ガイ」
「あぁ!」
「手伝うわ」

 ガイがルークを助け起こし、ティアと二人で肩を貸すような格好でルークを運ぶ。ルークの四肢からは力が抜けており、人形のようにぐったりとしていたが、それでも意地みたいに剣の柄はしっかりと握ったままだった。




「起きないな……」

 ルークを宿屋のベッドに寝かせてからもう一時間近くは経つが、彼はなかなか目を覚まさない。初めに比べれば顔色は随分と良くなったものの、まだどこか苦しそうな寝顔を見ながらガイがぽつりと呟いた。

「ルークのやつ、どうなっちまったんだろうな」
「元気そうに見えましたが、ルークも何か健康に心配があったりするのでしょうか」

 まだ確信があったわけではなかったけれど、コーラル城の解析結果やアッシュの顔を見て、イオンはルークが自分と同じなのではないかと考えていた。もちろん、アッシュのほうが、という可能性もないわけではなかったが、ルークには七年より前の記憶がないと言うのだ。

「いや、頭痛は昔からだったけど、他は普通に健康体のはずだぜ。もしかしたら、またあのアッシュって奴が何かしたのかもしれない」
「アッシュが? それもまたって……?」

 もしかしたら、という前置きのわりに、ガイは随分とはっきり名指しする。不思議に思ってイオンが首を傾げると、イオンの隣に控えていたアニスが説明を引き継いだ。

「実は、イオン様がザオ遺跡にいるって教えてくれたのはアッシュだったんです。なんか、ルークが言うには頭の中に直接声が聞こえてきたって……」
「そうなんですか?」
「ええ、ルーク自身がそう言っていましたわ」

 にわかには信じがたい話だが、それならアニスたちがすぐに救出に来られたことにも納得がいく。解せなかったのは、なぜアッシュが情報を漏らしたか、ということだ。それも一度顔を合わせた際に直接伝えるのではなく、ルークにこっそりと伝えるようなやり方で。

(アッシュは完全に六神将の側ではないということなのだろうか……)

 来たる戦争を読んだ預言スコアと、そこにまるで仕組まれたかのように介入するレプリカの存在。そしてそれだけでなく、戦争とは別に六神将が進めているセフィロトの封印解除。生まれや立場ゆえに比較的情報を持っているはずのイオンでも、彼らが一体何をしようとしているのかちっともわからない。特に生きたレプリカが存在するなんて思ってもみない他の者たちは、尚更状況が読めないだろう。
 考え込んだイオンが口を閉ざすと、

「……大佐、ルークのこと、何か思い当たる節があるんじゃないですか」

 まるで部屋に流れた沈黙を破るように、ティアが静かな口調で問いかけた。

「……そうですねぇ」

 彼女がジェイドに尋ねたのは、おそらくコーラル城でのジェイドの態度を覚えていたからだろう。何かと博識な彼は、城にあった音機関を見て表情を変えていた。同位体の研究はマルクトでも行われていたらしいし、ジェイドであれば自分でその可能性に辿り着いてもおかしくない。

(ジェイドなら、いずれは僕のことも見抜いてしまうかもしれない……。だって僕の予想が正しければ、おそらくシンクも……)

 シュレーの丘に向かうときも疑念を抱いたが、今回は過ごした時間がそれより長かった。いくら仮面で顔を隠していたって、背格好や声などいくらでも他に手掛かりはあるし、顔を晒せない理由にも納得がいく。あまりにも自分と雰囲気が違ったのと、他のレプリカは廃棄されてしまったと聞いていたからはじめは半信半疑だったけれど、実際対面してみればイオンが気づかないはずがなかった。

(シンクも僕と同じように導師のレプリカなのだとしたら……それなら、フィーネが彼と一緒にいる理由もわかるような気がする)

 イオンだって身体が弱いなりにダアト式譜術を収めようとしたのだ。同じ拳士ということを除いても、フィーネとシンクの戦い方が似ていることくらいわかる。
 きっとイオンが導師の代わり・・・としての研鑽を求められている間、シンクはシンクでフィーネの元で修練を積んだのではないだろうか。

(……シンクは彼女の素顔を知っていた。結局、彼はフィーネの幼馴染イオンになれたということなのだろうか)

「ジェイド! もったいぶるな!」

 不意に耳に届いた大きな声に、イオンはハッとして考え事から引き戻される。ガイが声を荒げるなんてとても珍しいことだった。それだけガイが本気でルークを心配しているということなのだけれど、ジェイドは普段の態度を崩さない。

「もったいぶってなんかいませんよ。ただ、ルークのことはルークが一番に知るべきだと思っているだけです」

(確かにジェイドの予想が当たっているのなら、外野が先に知るべきことではない)

 そう思いながらイオンが眠っているルークに視線を落とすと、ぴくりと彼の眉が動いた。

「ご主人様が目を覚ましたですの!」
「……っ」

 小さく呻きながら目を開いたルークは、次にゆっくりと上体を起こす。周囲を見回して二、三度瞬きこそしていたものの、意識ははっきりしているみたいだった。

「……俺が、どうしたって?」
「いえ、なんでもありません。どうです? まだ誰かに操られている感じはありますか?」
「いや……今は別に……」

 それでもまだ少し頭が痛むのか、ルークはずっと米神を押えている。不機嫌そうに見えるのは、皆の前で倒れてしまった気恥ずかしさもあるのだろう。

「たぶん、コーラル城でディストが何かしたのでしょう。あの馬鹿者を捕まえたら術を解かせます。それまで辛抱してください」
「……頼むぜ、まったく」

 ジェイドがそう言うと、ルークは自分の身体のことなのに随分とあっさり話を打ち切った。どうやら今の彼には、親善大使の使命のほうが余程重要らしい。

「ところでイオンのことはどうするんだ、アクゼリュスにまで一緒に行くつもりなのか?」
「その……もしご迷惑でなければ、僕も連れて行ってもらえませんか」

 このままダアトに戻れば、またモースか六神将に捕まるだけのことだろう。軟禁されるだけならまだしも、彼らはイオンを何かに利用しようとしているのだ。アクゼリュスには主席総長であるヴァンもいることだし、このままルーク達に着いて行くほうが良いように思える。

「ええっ!? イオン様、バチカルではダアトに戻るつもりだって……」
「すみません、アニス。考え直したのですが、僕は和平の使者としてピオニー陛下から親書を託されました。ですから陛下には、アクゼリュスの救出についてもきっちりとお伝えしたいと思っています」

 足手まといになるため迷惑をかけてしまうのは申し訳ないが、イオンは真剣な表情で頼み込む。アニスは気乗りしない様子だったけれど、都合がいいことにイオンの同行にはティアもジェイドも賛成してくれた。

「私もイオン様は一緒のほうが安全だと思うわ。六神将の目的が分からない以上、また狙われるかもしれないもの」
「陛下に報告するのであれば、アクゼリュスでの活動が終わり次第私と首都へ向かいましょう……ああっと、決めるのは親善大使の・・・・・ルークでしたね」
「……勝手にしろ!」

 投げやりではあるものの、一応ルークの許可も取れた。駄目押しとばかりにイオンがアニスの表情を伺うと、彼女はかなり迷った様子でうーんと唸る。

「……もう、わかりましたよ。障気がいっぱいのところに行くんですから、イオン様は絶対無理しないでくださいね」
「ありがとう。それでは皆さん、またしばらくよろしくお願いします」

 ダアトから始まった、イオンの和平の旅はまだ少し続く。
 たとえ偽物でしかないとしても、イオンは平和に対する使命感をきちんとその胸に抱いていたのだった。
 

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