アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


34.答えが出ない(118/151)

 遥か昔に砂に沈んだ街が遺跡になったように、崩落した外殻大地の街並みもいずれは遺跡として扱われる日が来るのかもしれない。もっともそれはこのオールドラントがレプリカ大地として存続した場合の話であり、計画に加担している身ですら本当に実現するのか疑問ではあったけれど、一度不要として捨てられてしまったシンクには、ヴァンの情けにすがる以外他に選択肢がなかった。それは衣食住という物理面でもそうだったし、何のために自分は造られたのかという精神面の意味でもだ。

 誰からも必要とされず、何の役目もなく、誰とも何のつながりもない。

 普通の人間の関係性は過去と現在が結ばれている『線』であり、相互に価値のある『輪』を描いていた。だが唐突に摂理を超えて生み出されるレプリカは、そのどこにも混ざることのできない『点』でしかない。ましてや第七音素セブンスフォニムの能力が劣化していたシンクは、代替品としての役割さえまともに果たすことができないのだ。

 それなのに一人前に姿だけは人の形をしていて、空腹を感じ、痛みを感じ、人と同じように傷つくこころがある。そんな生は苦行でしかなかったし、こんな生を与えたすべてが憎くて仕方がなかった。だから、本当はレプリカ計画のほうはどうだっていいのだ。オールドラントや未来がどうなろうが知ったことではないし、すべての元凶である預言スコアさえ滅ぼせればそれでいい。とにかく仕返ししてやりたかった。こんな理不尽を味わわされたままで終わりたくなかった。どうにかして世界に爪痕を立ててやりたい。『点』でしかない自分でも、傷跡としてなら『線』になれるかもしれない。
 生まれてすぐ自分が無価値だと理解したときから、シンクはずっとどう生きるかではなくどう終わるかを考えていた。終わりを夢想するからこそ、頑張ってこられた部分もある。ただ闇雲に、何のあてもなく走り続けるのは苦痛に拍車をかけるだけだった。この世のすべてに復讐してやりたい気持ちと同じくらい、シンクはこの苦痛から解放される日を切実に望んでいた。空っぽのレプリカが抱く望みはもう、その二つくらいしかないと思っていたのに――。

(レプリカ計画がうまく行ったら、ボクは本当に満足して終われるんだろうか)

 一歩一歩足元の安全を確かめながら、シンクはゆっくりと遺跡の中を進んでいく。微かな光だけを頼りに、暗闇の中どこまで続くかもわからない道を進み続けるのは、生きることによく似ていた。だからこそ、今更になってくだらない迷いがちらついてしまったのかもしれない。

(フィーネにはあれだけ選ぶように言ったくせに……)

 ヴァンはレプリカだけで世界を構成するつもりだから、レプリカであるシンクが新生オールドラントで生きることに反対はしないだろう。むしろ、これまでずっと人の扱い方ばかり教え込んで、不相応な役職ばかり任されてきたのは、完遂後に世にあふれるレプリカの統率を任せようという魂胆があったのかもしれない。もちろんシンクにはそこまで利用されてやる義理もなく、計画が完了したらとっとと自死するつもりでいた。満足に刷り込みもされていない、ただ量産されただけのレプリカの面倒を見るなんて地獄が新しい地獄に取って代わっただけだ。最後にそうやってヴァンの思い通りになってやらないのもまた、シンクにできる復讐の一つだろう。だが、その痛快な終わりにたどり着くということは、フィーネも既に死んでいるということだった。もっと酷ければ、その頃には彼女のレプリカが出来上がっていて、自分と同じようにどう生きればいいのか途方に暮れているかもしれない。

(そういう状況を迎えたとき、ボクは笑って死ねるんだろうか。復讐を果たした代わりにフィーネを失って、フィーネとそっくり同じ顔のヤツを見捨てて、それで自分さえ死ねたら気分よく終われるんだろうか……)

 正直なところ、今はまだ答えが出なかった。預言スコアに対する憎しみはずっとシンクの中でぐつぐつと煮えたぎっているし、そういう意味では諦めるなんてまっぴらごめんだ。だいたいここで『降りる』と結論づけてしまえば、シンクはずっと追ってきたゴールを見失って、根底から覆されて、どうすればいいのかわかなくなる。
 かといってフィーネが死んだあとの世を想像したくないし、うまく想像できる気もしなかった。水や空気があることを疑問に思わないように、いつのまにか彼女がいる生活が当たり前になっていた。他の者からすればたかが二年ちょっとの関係だろうが、シンクの人生はその二年ちょっとがすべてなのだ。それにたとえシンクの想いとフィーネの想いが同じ種類のものでないにしろ、フィーネは唯一シンクに人間的な情愛の『線』を伸ばしてくれた存在だった。初めは欠片も理解できなかったし、無遠慮に踏み込んでくるフィーネに腹が立ったけれど、彼女が破格の善意で親切にしてくれたことを今ではちゃんと理解している。強すぎず、弱すぎもしないフィーネの優しい光が、シンクを完全な闇に落とさないでいてくれたように思う。だから、シンクはなにもフィーネにまで復讐をしたいわけじゃなかった。

(だけど今更……ボクはどうしたらいいんだよ)

 振り返って確認することはできなかったけれど、後続のフィーネはきっとひどく憔悴したままに違いなかった。彼女は宣言通りイオンを突き放したようで、イオンと対面してからはまたずっと部屋に閉じこもっていたのだ。初めはそうやってフィーネが立場をはっきりさせてくれることに喜びを感じていたけれど、落ち込んだ様子の彼女を見ているとまた別のモヤモヤが胸に渦巻く。
 
 悲しませたいわけではない。傷つけたいわけでもない。

 だが、フィーネにつらい選択肢を突きつけて、常に退路を断ってきたのは他でもないシンク自身だった。その理由もまたフィーネを手放したくないからで、共通の目的で縛ることでしか、シンクは彼女を繋ぎとめる方法を知らないのだ。



「……たぶんあれだね。シュレーの丘でみたものと同じだ。」

 なるべく戦闘を回避しつつ、どんどんと地下に降りていくと、やがて少し開けた空間に出た。行き止まりになっていたから、ここが最深部ということなのだろう。教会のステンドグラスを思わせる譜術障壁を前方に見つけ、シンクは足を止める。地下の空気は循環しないせいか、砂漠に合わぬ湿気をはらんで重く淀んでいた。

「随分と深いところまで来たな。今地震でも起きたら、生き埋めになりそうだ」

 時折、さらさらと音を立てて砂の落ちる天井見上げながら、アッシュがぽつりと感想をこぼした。シンクは振り返ったことで視界に自分と同じ顔をとらえ、投げやりな気分のまま口を開く。

「別にいいんじゃない?」
「は?」
「外れたってことだからね。それはそれでいい気味だ」

 アッシュの預言スコアが、とは言わない。だがそれでも十分伝わったようで、アッシュは見る見るうちに苦々しい顔になる。ローレライを滅ぼすには超振動の力が必要なため、本当はここでアッシュに死なれては困るのだが、事故が起きたら起きたでシンクはこれ以上頭を悩ませる必要がなくなる。作戦は綿密に立てるくせに、シンクには時々そうやって何かも投げ出してしまいたくなることがあった。

「では、あとはこれを導師に解除いただくだけか」

 辺りに魔物がいないことを確認したラルゴが、促すようにイオンを見る。イオンはその表情に疲労の色を浮かべながらも、毅然とした態度を崩さなかった。

「……あなたたちは、セフィロトを回って一体何をしようとしているのですか」

 自分の身一つろくに守れないくせに、口だけは一人前に挟むらしい。ただ糾弾するのではなくこちらを諭そうとするような口ぶりも、何もかもが気に食わなかった。

「答える義理はないね。どうせアンタに拒否権はないんだ。余計な詮索はしないほうが身のためだよ」

 シンクは腕を組むふりをしながら、自分の両手を抑え込む。手が出そうになるこちらの気も知らないで、イオンはさらに言葉を重ねた。

「ダアト式封咒だけ解いたところで、何の意味もありません」
「それなら尚更構わないでしょ。しつこいんだよ、痛い目に合わなきゃわからない?」
「シンク、」

 フィーネに咎められるまでもなく、ここでイオンを殴りつけても計画に支障が出るだけだとわかっている。七番目コイツだって、別に望んで生まれたわけではないとは理解している。だが復讐とはまた別の意味で、シンクはイオンを受け入れられなかった。醜い嫉妬と言えばそれまでなのかもしれないが、明確な成功例である七番目が堂々と振舞う限り、シンクはどうしても不完全な自分と向き合わなくてはならない。

「……安心しなよ。アンタが封印を解いたところで誰もアンタを責めやしない。なんてったってアンタは、お偉い導師サマなんだからさぁ」

 シンクが意地悪く笑うと、イオンはまるで初めて他人の悪意に触れたみたいに息をのんだ。導師を飾りとしか見ていないモースでも、口調だけはイオンを敬っているから、こんな扱いをされたことなどなかったのだろう。

「……僕は、神託の盾オラクルの方々にここまで嫌われていたんですね」
「ハ、好かれるのが当たり前だったアンタにとっては、さぞ驚きだろうね」
「……」

 シンクの態度にこれ以上話をしても無駄だとようやくわかったのか、イオンは小さくため息をついて障壁の前に進み出た。従ってくれさえすれば表立って突っかかる理由もなくなるため、シンクも一旦口を閉ざす。
 シュレーの丘でも、解除にはいやに時間がかかっていた。シンクは手近な段差に腰を下ろすと、誰もいない方向に顔を向ける。フィーネが心配そうにしているのは伝わってきたが、今フィーネと話せば彼女に当たってしまう気がしたのだ。それなのに、

「おい、シンク、」

 あからさまに話したくない雰囲気を出しても、空気を読まずに話しかけてくるヤツがいる。シンクはなにさ、と思い切り声に棘を含ませながら、それでも一応返事をした。

「導師の言ったことは本当なのか」
「はあ?」
「ダアト式封咒だけ解いても意味がないと……どういうことだ」

 イオンに聞こえないように声を押し殺してはいるものの、アッシュは明らかに焦った様子で詰め寄ってきた。このままでは余計なことを口走りかねない雰囲気で、シンクは内心舌打ちをする。こんな精神状態で、アッシュのおもりまでさせられるのはごめんだった。

「本当に意味がないなら、ボクたちがこんな苦労してまでやるわけないでしょ。ちょっとはその頭使ってくれる?」
「……そいつはまた随分な言い草だな。神託の盾オラクルって組織は、情報を持っているだけで参謀総長を気取れるのか」
「……なに、本当にここで死にたいの?」

 好きで参謀総長なんてやっているわけではない。アッシュは知らされないことに苛立っているようだったが、知ることでの苦痛をちっとも考えていないのだ。世の中には知らないほうがいいことはいくらだってある。実際、預言スコアなんてものがあるせいで人間は未来に振り回され、シンクのような命が生まれたのだ。

「確かおまえは、俺を死なせるなと言われていたはずだがな」
「……勘違いするなよ、命令があるから生かしてるんじゃない。アンタを利用したいから、ボクが生かしておいてやってるんだ。代わり・・・がいるのなら、別にここで死んでもらっても構わないね」

 代わり、という言葉にアッシュの頬がぴくりと引き攣る。「おまえっ……」急所を抉られたことで、アッシュも情報を聞き出すという目的が頭から抜け落ちたらしい。こういう単純なところはとても扱いやすかったのだが、あてつけのように返された言葉は同時にシンクの急所でもあった。

「いつのまにか偉くなったもんだな。フィーネに面倒を見てもらっていたくせに」
「フィーネのことは今関係ないだろ」

 つい、声が大きくなる。名前を呼ばれた本人以外に、ラルゴやイオンまでもがこちらを見て、シンクはあからさまに勢いを落とした。

「……とにかく、アンタにいちいち心配されなくても万事順調に進んでる。むしろアンタの独断専行のせいで、こっちは余計な仕事が増えてるんだよ。わかったら大人しくしててくれない?」
「……本当なんだな?」
「信じられないのなら勝手にすれば。どうせ次のセフィロトにはアンタは近づけないんだから」

 ザオ遺跡の次は、いよいよアクゼリュスのセフィロトだ。アッシュだって自分の命は惜しいだろう。シンクが笑ってやると、アッシュは悔しそうに唇を噛んで黙り込んだ。
 そのときだった。

「イオン様!」

 導師守護役フォンマスターガーディアンの甲高い声とともに、見慣れた一行がこちらに向かって駆けてくる。
 
「チッ、もう追ってきたのか……。アッシュは導師につけ。ラルゴ、フィーネ、」
「あぁ」
「うん」

 封印の解除を邪魔されるわけにはいかない。シンク達が彼らに立ちはだかるように相対すると、アニスはすぐにフィーネに向かって呼びかけた。

「フィーネ、イオン様を返してっ!」
「……それはできない」
「奴にはまだ働いてもらわないといけないからね」
「なら力ずくでも……!」

 被験者アッシュと同じく血気盛んなのか、ルークがいきなり剣を抜く。ここで戦闘になること自体は別に大きな問題のない話だ。しかし、

「やれるの……?」

 自分からアニスの前に進み出たフィーネに、シンクは思わず問いかける。敵は他にいくらでもいるのだ。なにも自分から正面切って戦いにいかずともいい。フィーネの態度を不安に思っていた頃のシンクなら進んでけしかけただろうが、今の彼女の精神状態を思うと別の相手と戦った方がいいのではないかと思う。

「ちょっとは信じて」

 しかしながらフィーネは、シンクの問いに小さく泣きそうな声で返事した。おそらくまたシンクが試す意図で聞いたとでも思ったのだろう。

「……そう」

 弁解する余地も余裕もなく、シンクもまた敵に意識を向けることにした。これまでそういうやり方をしてきたのはシンク自身だから、誤解をされても仕方がないのだった。


prevnext
mokuji