アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


33.意識を向ける(117/151)

 完全同位体にのみ同調フォンスロットが開くというからには、一度開通すればもっと簡単に扱えるものだとばかり思っていた。

(応えろ……! 応えろ……!)

 アッシュは思い出したくもない顔を脳裏に思い浮かべながら、心の中で何度も念じる。同調フォンスロットの難しいところは、いわゆる送信側だけでなく受信側の意識もある程度向いていなければならないということだ。コーラル城を出たあと、アッシュはすぐにレプリカに意識を集中させたのだが、当のレプリカが呑気で無自覚なものだからちっともうまくいかなかった。

(だが、いい加減あいつも俺の顔を見て理解したはずだ)

 雨の中、至近距離で鍔迫り合いをして、こちらの顔を正面から見たあいつは確実に息を呑んでいた。自分とそっくり同じ顔の人間が突然目の前に現れて、気にしないほうが無理な話だ。今頃あのレプリカも混乱でぐちゃぐちゃになりながら、必死でアッシュのことを考えているだろう。

(応えろ……! このグズが……!)

 再びアッシュが強く念じると、キーンと耳鳴りのような音がして米神が締め付けられるように痛んだ。それでも我慢して念じ続けていると、かすかに頭の中に声が聞こえてくる。

『い……ってぇ、誰だ……おまえは……!』

 どうやら頭痛を感じているのはアッシュだけではないらしい。はっきりと“誰だ”とこちらを認識した発言に、アッシュはようやくかと皮肉気に口角を歪める。

(わかってるだろうがよ、そっくりさん)

 そんな回りくどい言い方をしたのは、まだ自分の中に迷いがあるからだった。このままヴァンを信じて、多少の犠牲を呑むかどうか。ヴァンの計画に乗り続けるのであれば、今ここでルークにレプリカという事実を告げてしまうのは非常にまずい。

『おまえ、アッシュか……!」
(どこをほっつき歩いてんだアホが。イオンがどうなっても知らないぜ)
『おまえ……っ! 一体どこに……』
(ザオ遺跡……。おまえには来られないだろうがな。グズのおぼっちゃん)

 しかしながら完全にヴァンを信じられない思いがあるのも事実で、アッシュはあえてルークに情報を流した。もしここでルークの足止めに成功し、アッシュもアクゼリュスに向かわなければどうなるのか。それが可能なのだとしたら、障気に覆われたアクゼリュスの街は放棄せざるを得ないかもしれないが、アクゼリュスに住む人々は別の形で避難させることができるかもしれない。もちろん、多少の小細工では完全に預言スコアが描く結末から逃げきれないかもしれないけれど、イオンにセフィロトの封印を解除させるのは今のところ上手く行っているのだ。預言スコア通りに大人しくアクゼリュスに向かうより、稼いだ時間でローレライを探して滅ぼすほうが余程いい。時間が足りないというヴァンの言葉は、やはり何かを誤魔化しているようにしか聞こえなかった。


「ちょっとアッシュ、聞いてるの?」
「!」

 慣れないレプリカとの通信に、ひどく集中していたせいだろう。
 ふと我に返ると、腕を組んだシンクが随分と剣呑な雰囲気を醸し出している。照りつける日差しと砂埃に目を細めながら、アッシュは今更のようになんだ、と聞き返した。

「なんだじゃないんだけど。ほら、さっさと動いてよ」
「……」
「まさか、ほんとに聞いてなかったワケ?」

 これ見よがしにため息をつかれたが、流石に今回ばかりは別のことに意識を向けていたアッシュが悪いだろう。ザオ遺跡に着いたアッシュたちは、皆揃って陸艦を降りていた。しかしながら遺跡は非常に暗く、内部の構造も不明だったため、第六音素シックスフォニムの得意なフィーネが先行して偵察に向かっていたのだ。

「フィーネはもう戻ったのか?」

 アッシュが問うと、視界の端でぴょこ、とフィーネが背伸びをした。

「います。戻ってます」
「……暑さで頭がやられたの? すぐそこにいるじゃない」
「うるせぇ。それで、どうだったんだ」
「だいぶ階段を下りましたが、セフィロトの扉のようなものは見当たりませんでした。おそらくですが、もっと奥にあるのかと……」
「魔物もかなりいるみたいだ。こっちにはお荷物もいるんだし、きちんと備える必要があるね」

 導師がすぐそこにいるにもかかわらず、シンクはひどく面倒くさそうに言った。現状、敵対行動をとり続けているとはいえ、教団のトップに対してお荷物とはなかなかの言い草だ。大詠師モースのほうはともかく、導師イオンには悪い噂は聞かなかったため、アッシュはこの無垢な年下の少年をほんの少し不憫に思った。とはいえ、誘拐してこの場に連れてきているのは六神将なので、それもこれも今更な感情ではあったが。

「聞いてなかったヤツがいるからもう一度言うけど、安全を期してボク、フィーネ、ラルゴで三角に陣形を築く。アンタは導師サマと一緒に中央に入ってよね」
「は? 待て、どうして俺まで中央なんだ」
「砂のせいで足場が悪いからね。うっかり導師サマが転んだり穴に落ちたりしないよう、誰か側についてる人間が必要でしょ」
「俺じゃなくて、フィーネでいいだろう」

 フィーネは導師守護役フォンマスターガーディアンと仲良くしており、その流れでこの導師ともそこそこ懇意にしていたはずだ。敵対してもなお導師を気に掛けるアリエッタを知っているだけに、アッシュは本当になんの気なしにフィーネに中央を勧めた。が、

「……」
「……」

 フィーネだけでなく、イオンすらも気まずそうに目を伏せ、何やら重苦しい沈黙が流れる。そんな反応が返ってくるとは思ってもみなかったので、アッシュは完全に虚をつかれて眉をあげた。

(なんなんだ……?)

「空気が読めないなら黙っててくれない?」

 呆れとも苛立ちともつかないシンクの声を聞いてようやく、アッシュは自分が何かしらの地雷を踏んだのだと理解した。レプリカやヴァンのことで頭がいっぱいになって気が回らなかったが、こちらはこちらで色々とあったらしい。シンクの采配はどうやらそのあたりのことも加味してのことだったようだ。

「……」

 しかしこの場で事情を聞くわけにもいかず、素直に謝る気もないアッシュもどう返答したものか困る。するとまるで助け船を出すかのように、ラルゴが話題を引き取った。

「陣形はわかった。それで先頭は誰が行く? 俺の傷はもう問題ないぞ」
「いや、気持ちはありがたいけど、アンタに前に立たれると逆に死角ができるからね」
「じゃあ私が行こうか? 一度先に入ってるし」
「いい、先頭はボクが行く。フィーネに後ろから照らしてもらった方がやりやすい」
「そうか。ではアッシュ、導師を頼む」
「あぁ」

 流れでアッシュまで守られるような配置になるのは癪だが、決まった以上は仕方がない。それにレプリカとの通信のせいでまだ頭痛がしていたから、率先して戦わなくて済むのはありがたくもあった。

(あのグズはちゃんと追いついてくるだろうか……)

 わざわざヒントまで与えたのだ。いくらあれがひどい出来損ないでも、もはや導師は必要ないと見捨てて先に進むことは流石にないと思いたい。
 遺跡の入り口に立ったアッシュは、最後にもう一度だけオアシスの方角を振り返った。ヴァンのことも、あのレプリカのことも、信じたくないようで信じたいのだった。


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mokuji