31.詮無い話(115/151)
バチカルを発って以降、陸艦の窓には細かな雨の雫がずっと打ちつけられていた。とめどなく降りしきる雨は一向に止む気配がなく、曇天のせいでどことなく艦内までもが暗いように感じる。次の目的地は砂漠にあるザオ遺跡だと聞いていたが、砂漠に降る分の雨が全部こちらに費やされているのではないかと思うほどだ。 今回遺跡に向かうメンバーはラルゴ、シンク、フィーネ、そしてアッシュの四人だった。アリエッタは総長に疑いの目が向かぬよう一旦ダアトに送り届けられているので、リグレットが解放に向かっている。ディストはというとやりたい実験があるとかでふらりといなくなってしまったため、現状動ける面子全員で次のセフィロトへと向かっている状態だ。
(遺跡にアッシュ師団長を連れて行くのは、とにかく少しでも預言から遠ざけるため。でも、その代わりあのルークって人は……)
ケセドニアでシンクから教えられた、アッシュレプリカであるルークのこれからのこと。 もちろん、フィーネだって何も知らないレプリカがそのように利用されることに胸が痛まないわけではない。しかし預言を滅ぼすにはどうしても超振動の力で必要で、なんとしてでもアッシュの死の預言を回避しなくてはならないのだ。 そして、代わりと言っても預言に縛られていないレプリカであれば、そのまま筋書き通りにアクゼリュスで命を落とすとは限らない。希望的観測かもしれないが、フィーネはそういうレプリカの可能性みたいなものを信じていた。死の運命から逃れられなかった幼馴染を知っているだけに、オールドラントの住人のあがきより、レプリカがもたらしてくれる変化に期待しているのである。
(イオンは十二で死んでしまったけれど、シンクにもイオン様にもその先があった。姿かたちが似ていても、同じ名前や役割を与えられても、運命までが同じになるわけじゃない)
それは結局レプリカが被験者とは別の存在だからという話に尽きるのかもしれないが、世界に置き換えても同じことだと思う。たとえレプリカが今の人類とはまったく別の存在だとしても、このまま無為に滅びるくらいなら次にバトンを渡したほうがいい。少なくとも、既にこの世に生まれ落ちたレプリカたちをオールドラント滅亡の道連れにせずに済む。
(イオン様だって、未来のあるレプリカなのにな……)
フィーネは陸艦内に与えられた自室のベッドに転がって、低い天井を見上げていた。服はすっかりいつもの団服に着替えていたが、一人ということもあって仮面は外している。体勢としてはくつろいでいるものの、気持ちの面では塞ぎこんでいた。思いを馳せた先のイオン様は、今まさに同じ艦内に軟禁されているのである。
――どうする? またフィーネが囮役でもする? アンタから話があるって言えば、あのお人好しの導師サマならホイホイついてくると思うけど
シンクの予想通り、親書を届け終えたあとの一行はばらばらに行動しており、警戒はかなり緩んでいた。それでも作戦は必要だからとシンクから提案された内容は、また試されたのか、単に合理性だけを追求したのか、なんとも判断しかねるところだった。
――……そうなったらきっと、アニスも着いてくるよ ――それじゃ別の駒でも使うか
だが、フィーネが難色を示すといやにあっさり引いてくれたので、ケセドニアの件でだいぶ信用はされたらしい。シンクはにやりと笑うと、すぐに代わりの作戦を用意した。
――秘密をばらされたくなかったらって脅せば、あの厄介な導師守護役からも上手く引き離せるだろう。あいつだって、後ろ暗いことに変わりないからね ――……
シンクの言った秘密とは、導師イオンが『偽物』だということに違いなかった。脅しのネタとしてはこれ以上ない。さすが容赦がないと思ったが、それでもフィーネは自分が囮になるとは言いださなかった。一度ああして素顔を晒してしまったからこそ、今更イオン様にどんな顔をして会えばいいのかわからなかったのである。 そういうわけでイオン様をバチカルから攫ってきた後も、フィーネは同じ艦内にいながら彼とは接触しないようにしていた。ザオ遺跡ではどうしても一緒に下船することにはなるだろうが、他の六神将も一緒であれば会話をしなくても済むかもしれない。 しかしながらそんなフィーネの考えは、どうやらうまくはいかないらしかった。
がちゃ、と扉の鍵が引っかかる音がして、フィーネはベッドから身を起こした。ノックも無しに当たり前のように部屋を訪ねてくるのはシンクくらいのものだ。いつのまにか騎士団の宿舎の部屋には合鍵で自由に出入りするようになっていたので、ついついいつもの癖が出てしまったのかもしれない。
「今開ける」
フィーネも相手がシンクとわかっているから、わざわざ仮面を着け直したりはしなかった。そんな無駄な行動をして、待たせたりしたら文句を言われかねない。部屋の中に招き入れると、シンクは開口一番不機嫌そうにこう言った。
「導師サマはアンタをご所望らしいよ」
まさについさっき、顔を合わせたくないと考えていたばかりだ。フィーネはなんと返事をしたらよいものかわからず、まじまじと彼を見つめ返す。 まさかシンクがイオン様と接触しているとは思えないので、そういう報告が上がってきているということだろう。シンクの口元はゆるく弧を描いていたが、彼の纏う空気はあからさまにピリピリとしていた。
「食事どころか、水を摂るのも拒否してるそうだ。そうやって自分の命を脅しに使えるなんて、良いご身分だよねぇ」 「……それで、イオン様の要求は私と話すことなの?」 「みたいだね。アイツは甘ちゃんだから、話せば分かり合えると思ってるのさ」
シンクは吐き捨てるようにそう言ったけれど、無視できないからこそこうしてフィーネのところに要求を伝えに来ているのだ。確かに元から身体の弱いイオン様が食事をとらないのは非常にまずい。これから砂漠越えやセフィロトの封印解除をしてもらうことを考えると、体調には十分に気を付けてもらわねばならないのである。
「行けってことだね」 「嫌なら嫌だって直接伝えてくるだけでもいいよ。どうせ話せることなんて何もない。そうでしょ?」 「……」
簡単に言ってくれるけれど、嫌と伝えることもフィーネにとってはそれなりに勇気の要ることだ。現状対立してしまっているとはいえ、別にイオン様のことが嫌いになったわけでもなんでもない。
(話せることはない、か……)
念を押すようなシンクの物言いに、フィーネは床に視線を落とした。 これが他の『人間』相手なら、確かにその通りだと思う。こちらの目的を伝えたところで、狂人扱いされるのが関の山だと思う。だが、
「……あのね、イオン様もレプリカ計画に賛成してくれるってこと、ないのかな……。イオン様にだって、預言を憎む動機がないわけじゃないんだし……」
彼がレプリカだからこそ、理解してもらえる可能性をまだ拭い去れずにいる。甘ちゃんなのはフィーネも同じだった。元々機嫌の悪そうなシンクにそんなことを言えば、盛大にやり込められるだろうということは予想できているのに。
「それはアンタのほうがよくわかってるんじゃない?」
シンクは小さく肩を竦めると、たっぷりの棘を声音に含ませた。
「レプリカだろうがなんだろうが、アイツは必要とされている。このオールドラントに居場所があるんだよ。捨てられたボクやアンタとは同じじゃない」 「……」 「実際、アイツは預言を憎んでたかい? 生まれてきたくなかったと、一度でもアイツがそんなことを言った?」
シンクの言う通り、イオン様は世界のことも、預言のことも、生まれたこと自体も呪うような素振りは見られなかった。そうなるように育てられたから、というのもあるかもしれないが、平和を望み、他者を慈しむ心に溢れている。預言は未来の選択肢のひとつだと考えるようになった彼が、オールドラントの住人を諦めるなんてどうにも考えにくかった。
「……そうだね。どうしようもないことを言った。ごめん」
フィーネはため息をつくと、行ってくる、とベッドの脇に置いてあった仮面を手に取った。
「なんとか食事を摂ってもらうようにだけ、お願いする。余計なことは話さない」
シンクへの宣言が半分、自分へ言い聞かせるのが半分。「着けていくの?」フィーネが部屋を出ようとすると、シンクがこちらを見て首を傾げた。
「もう顔は知られてるだろ?」 「対話しないって意思表示だよ」
人を傷つけるには、自分がされたくないことをするのが一番だ。いつまでもイオン様に期待されてもこちらもつらいから、ここらではっきりさせたほうが良いだろう。
「ハハ、そいつは傑作だね」
後ろから聞こえてきたシンクの声音は、幾分明るさを取り戻していた。
「アンタに突っぱねられるアイツの反応が見れないのが残念だよ」
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mokuji
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