アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


30.水臭い(114/151)

「あら、お父様から聞いていらっしゃらないの? あなたの今回の出奔は、ヴァン謡将が仕組んだものだと疑われているの」

 ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア王女。
 金色の髪に勝気そうな瞳を輝かせる彼女は、人に守られるというよりは人を守る気持ちの強いお姫様らしい。直接外交には関わらない彼女とイオンが顔を合わせるのは初めてだったが、率先して北部戦の慰問へ訪れたなど噂はかねがね聞いている。
 彼女はひとしきりルークを心配し、ガイを叱った後、今現在ヴァンに向けられている疑惑について教えてくれたのだった。

「はぁ? なんだよそれ、師匠せんせいはどうなっちまうんだ!」

 ルークの心配はもっともである。暗殺を企てていたというティアですら不安そうな顔をしていたが、ジェイドはいつも通りの調子で可能性のひとつをさらりと挙げた。

「姫の話が本当なら、バチカルに到着次第捕らえられ、最悪処刑ということもあるのでは?」
「はぅあ! イオン様! 総長が大変ですよ!」

 流石にそこまで一足飛びに決まることは無いだろうが、今回は六神将が起こした始末の件もある。組織の中で六神将はヴァンの部下の位置づけであるし、たとえ裏で命令していたのがモースだとしても、うまく利用され、まとめて責任を取らされることもありうる。

「そうですね。至急ダアトから抗議しましょう」
「なぁ、師匠せんせいは関係ないんだ! 皆だってこの旅でわかっただろ? ヴァン師匠せんせいは俺を迎えに来てくれたし、六神将のアッシュからも守ってくれた! アリエッタだって、アッシュに命令されたって言ってたじゃないか」
「……私が兄と共謀していないことはユリア様に誓えるわ。それにルークの言う通り、少なくともこの旅で兄さんに和平交渉を妨害する素振りは見られなかった……」
「旅券をくれたり、船を手配してくれたのは全部ヴァン謡将だもんな」
「ほらな? ナタリア、頼むから誤解だって伯父上に取りなしてくれよ! 師匠せんせいを助けてくれ!」

 ヴァンの為ならルークがこうして懇願することを、付き合いの長いナタリアは予想していたらしい。実際にルークは無事にバチカルに戻ったのだし、彼女個人としてはそうヴァンを疑っていないようである。
 ナタリアは一度神妙そうにわかりましたわ……と呟いたあと、今度は一転してにっこりと笑顔を浮かべた。

「その代わり、あの約束、早く思いだしてくださいませね」
「なっ! ガ、ガキの頃のプロポーズの言葉なんて覚えてねーっつーの!」
「!」
「!」

 突然の話の変わりように、驚いたのはイオンだけではない。特にプロポーズという単語に対する女性陣の反応は大きなものだった。しかしながら流石王族。肝が据わっているというべきか。ナタリアは皆がびっくりしていることにも構わず、うっとりしたように胸の前で両手を組んだ。

「記憶障害のことはわかってます。でも最初に思いだす言葉が、あの約束だと運命的でしょう♥」
「い、いーからとっとと帰って、伯父上に師匠せんせいの取りなしして来いよっ!」
「もう……意地悪ですわね。わかりましたわ」

 物腰は非常に優雅であるのに、どこか嵐のような勢いを感じさせる女性だ。彼女が城に戻るために部屋を出て行ったあとも、一行はしばらく圧倒されたままであった。

「はは、早速のナタリア節だったな」
「なんか、お姫様〜な感じの人だったね〜。ルーク様、尻に敷かれそう……」
「そのほうがルークにはいいのではありませんか? 頼りがいがあって」
「なんで俺がナタリアに頼る前提なんだよっ」
「しかし、ヴァン謡将の件で彼女の口利きが必要なのは事実です。彼女ほど意見を言える方であれば、陛下にもきちんと奏上してくださるかと」
「……」
 
 それはイオンも思ったことだ。ナタリアが陛下に取りなしてくれると思うととても心強い。無実の罪でヴァンが裁かれるのは由々しきことだし、これからまたダアトに戻ることを考えても、ヴァンを処刑させるわけにはいかなかった。ヴァンがモース派でないのなら、これ以上のモースの専横を止めるためにも神託の盾オラクルの主席総長たる彼に失脚してもらっては困る。

(ダアトに戻っても、これまで通りの生活というわけにはいかないだろうな……)

 この旅を始めたとき、ここまでモースが強硬手段を取ってくるとは予想もしていなかった。査問会を開くことは必至だが、第六を除くすべての師団長が関与したとなれば、神託の盾オラクルはほとんど再編になるかもしれない。地上の教団で過ごすイオンが関わる団員は導師守護役フォンマスターガーディアンくらいのものだったけれど、それでももう一人、イオンには友人がいた。少なくとも、イオンのほうはそう思っていた。

(フィーネとの関係も、今回の件で壊れてしまうのだろうか……)

 ダアトを出奔する際、フィーネに事情を話せなかったのはこちらが悪いと思っている。そのあとタルタロスで会ったときも、彼女の職務や立場を考えれば仕方がないことだと思う。だが、ケセドニアで初めてフィーネが素顔を晒したことを知って、当たり前のように彼女の顔を知っていた人間がいた事実を目の当たりにして、そこでイオンは初めて彼女に突き放されたような気がした。

(ずっと考えないように……ひとまず親書に集中しようと思っていたけれど……)

 無事に陛下への謁見も済んだあとでは、どうしても考えずにはいられない。アニスもそんなイオンの胸中を察してか、連絡船の中でフィーネのことを話題にすることはなかった。
 けれども、

「……イオン様。フィーネのこと、気にされてるんですか?」

 ルークの屋敷を辞したあと、バチカル城で与えられた客室で、アニスはとうとうその名を口にした。心配そうに、そして彼女自身も傷ついたように。確かにイオンは偽の幼馴染なので、先にフィーネと友人になったのはアニスのほうなのである。

「……ええ」

 イオンが頷くと、アニスは複雑そうな表情を浮かべて「イオン様も、フィーネの素顔は見たことなかったんですね」と痛いところを突いた。ケセドニアでイオンが驚いたのを、アニスはしっかり覚えていたらしい。

「……そうですね、彼女は僕と出会った頃から仮面をつけていましたから」
 
 嘘ではない。

「いつか心を開いて、外してくれればいいとは思っていましたが……」
「イオン様も、フィーネがどうして仮面をつけているかはご存じないんですか」
「はい……それも、彼女が話してくれるまで待つつもりでした」
「……マルクトの秘密部隊出身ってウワサ、流石に嘘ですよね?」
「ジェイドも否定していたし、違うと思います」
「……もう、わけわかんない」

 アニスはぽつりと呟いて、それから急にぐしゃっと表情を歪めた。怒りなのか悲しみなのか、はたまたその両方か。ぎゅっと眉根を寄せた彼女は、そのまま視線を床に落とす。

「私ショックでした。先に騙したのは私のほうだけど、それでも……フィーネはシンクには普通に顔を見せてたんだなって思ったら、悔しくて」
「……」
「任務で敵対したことは仕方ないって思ってます。だけど、」
「ええ、わかります。僕も同じ気持ちです」

 寂しい。悲しい。
 一緒に過ごした時間が楽しかったからこそ、彼女に心を許してもらえなかったことが寂しくて仕方がない。イオンはアニスとのお茶の時間が好きだと言ったが、フィーネを交えて三人で話をするのも楽しみなひとときだった。偽物とわかったうえで、それでも『イオン』として振舞うことを許してくれる彼女に救われている部分もあった。

「六神将の件……このまま査問会にかけて終わりってこと、ないですよね?」
「ええ。今回の件でモースに与していた者たちにはしかるべき咎めがあるはずです。でもそれとは別に、『フィーネ奏手』ではなく、フィーネと話す機会を設けたいと思っています。僕もこのまま終わりにはしたくない」
「話すときは私も呼んでください」
「もちろんです」
「一言文句言ってやんなきゃ、気が済まないです! フィーネのバカ」

 アニスはそう言うと、どこか吹っ切れたみたいに顔をあげた。

「あーもう、気を使って私もバカみたい。フィーネのことだから、案外聞けばあっさり仮面を外してくれたのかも。バカバカバカ、ほんっとうにバカ」
「アニスがその調子でいる方が、フィーネも気が楽かもしれませんね」
「どうせいつもみたく、『ごめん……』ってしにょっとするだけですよ、フィーネは!」
「それでもいいじゃないですか」

 謝るべきことはこちらにもある。話し合って、和解して元通りの関係に戻れるのなら、それに越したことはない。イオンが言うと、アニスもそう思ったらしい。

「ですね」

 ようやくいつも通りの笑顔を見せた彼女に、イオンの心もほんの少し軽くなったのだった。


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