アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


29.架空の未来(113/151)

 ダアトの教会も荘厳で美しいと思っていたが、バチカルの街並みもまた洗練されて美しい。地に落ちた譜石の窪みに作られた縦長の街は上層に行くほど煌びやかさを増し、今回イオンたちが目指す王城は、もちろんこの街で一番高い所にある。一行はルークに続く形で城の中へと入り、とうとう謁見の間の前まで辿り着くことができた。

(とうとう僕の旅もここで終わる……)

 決して軽い気持ちでダアトを抜け出したわけではないけれど、正直まさかここまで六神将が本気で妨害してくるとは思わなかった。タルタロスの襲撃に始まり、コーラル城ではアリエッタと直接ぶつかることになったし、シンクに追われてケセドニアをなんとか出航したあとも、海を渡ってまでディストが追いかけてきたのだ。幸い、ディストの狙いは親書ではなく解析結果のようだったけれど、それでかえって六神将の目的が読めなくなった。もしも彼らがモースの命に従っているのだとしたら、同位体研究について記された音譜盤フォンディスクより、イオンや親書を狙うのが普通だろう。

「ただいま大詠師モースが陛下に謁見中です。しばらくお待ちください」

 しかしモースもやはり部下任せにはせず、自らインゴベルト六世陛下に接触しているようだった。先を越されたと思ったが、ルークは一向に構わずずんずんと進んでいく。

「モースってのは戦争を起こそうとしてるんだろ? 伯父上に変なことを吹き込まれる前に入ろうぜ!」

 ほとんど脅迫まがいの方法で強引に謁見の間に押し入ったルークには少しひやひやとしたものの、視界の先に国王の姿を認めるとイオンは心を決めた。これでも外交の場には慣れているけれど、流石に戦争がちらついていれば嫌でも肩に力が入る。

「ご無沙汰しております、陛下。イオンにございます」
「導師イオン……。お、お探ししておりましたぞ……」
「モース。話は後にしましょう。陛下、こちらがピオニー九世陛下の名代、ジェイド・カーティス大佐です」

 陛下に嘘の報告をしていたモースはこちらを見て焦った顔つきになったが、イオンは有無を言わせず発言を遮った。教団内ではいくら幅を利かせていても、外部の人間の前で『導師』を軽んじることはできない。
 アニスの手から親書が大臣に渡ると、ルークはさらに追撃するように陛下に言い募った。

「伯父上。モースが言ってることはでたらめだからな。俺はこの目でマルクトを見てきた。首都には近づけなかったけど、エンゲーブやセントビナーは平和なもんだったぜ」
「な、何を言うか! わ、私はマルクトの脅威を陛下に……」
「うるせっ! 戦争を起こそうとしてやがるんだろうが! おまえマジでウゼーんだよ!」
「ルーク、落ち着け。こうして親書が届けられたのだ。私とて、それを無視はせぬ」

 陛下の冷静な対応に、内心でイオンはほっと胸を撫でおろす。まだ色よい返事が聞けると決まったわけではないが、少なくとも陛下にはまだこちらに耳を貸して下さる余地がありそうだった。
 ジェイドと目が合い、軽く頷きあう。ここでしつこく食い下がって心証を悪くするよりも、ゆっくりと考えたうえで結論を出してもらうほうがいい。ルークはすぐに返事がもらえないことが不満そうだったが、謁見室を出てからもまた改めて場を設けてもらえるように取り次ぐと言った。

「頼もしいですねぇ、さすがの七光りです」
「いちいちカンに触るヤツだな……」
「これは失礼。実際助かりました。あなたのお陰です」
「そうですよ。僕もルークと旅ができて本当によかったです」
「ヘッ、まぁいいけどさ。俺もなんとかバチカルに帰ってこれたんだし」

 ルークはそう言って、やっとひと心地ついたとばかりにふうと息を吐く。しかしながら道中あれだけ帰りたいと言っていた割には、バチカルに着いてからの彼は浮かない顔をしていた。記憶喪失に屋敷での軟禁生活。イオンもそう変わらない生活だったからこそ、ルークの気持ちはよくわかる。

「……ジェイドはマルクトに、イオンたちはダアトに戻るんだよな?」
「そうですね、もうここにいる理由はありませんから。寂しいですか?」
「はぁ!? 誰が! あんたの嫌味を聞かなくて済むと思ったらせいせいするぜ!」
「和平が無事に結ばれれば、バチカルとマルクト間の行き来はしやすくなります。頑張ってください。もっとも、あなたが将来の王様になると考えると、ランバルディア王国もいつまで保つかわかりませんが」
「うっせーっつーの」

 ぷい、と不貞腐れたようにそっぽを向くルークからは、確かに王の威厳や風格は感じられなかった。だが、彼の心根が優しいことをイオンは知っているし、人の命の重みを考えられることは為政者にとって大事な資質だ。

(ルークが王様になるまで、身体の弱い僕が導師でいられるかわからないけど……)

 このまま無事に戦争を止められたのなら、会談の場で顔を合わせる機会もいつかあるはずだ。そんな未来を夢想するくらいは許されるだろう。預言スコアはあくまで未来の選択肢のひとつ――イオンはそう考えたからこそ、無理を通してまでダアトを出たのである。

「はいはーい! アニスちゃん、その将来の王様のお屋敷すっごく見てみたーい♥」
「あ? 別にいいけど」
「私も、今回の件でひどくご迷惑をかけたし、ルークのご家族にきちんとお詫びをさせていただきたいわ」
「他国の公爵家を訪問するなんて滅多にない機会ですからね、ぜひ見学させてください」
「あのなぁ、別にうちは観光地じゃねーぞ」

 若干呆れ気味なルークの承諾を得て、皆でファブレ公爵邸を目指すことにする。目指すと言っても、王家と姻戚関係にある公爵家は城を出てすぐ傍にあり、流石と言わざるを得ない大豪邸が広がっていた。

「わーっ、すっごーい! こっちもお城みたいなものじゃん!」

 アニスの瞳がきらりと輝くのを横目に、イオンも少し胸を弾ませていた。公務以外で、誰かの家に招待されるのは初めてだ。

「父上! ただいま帰りました」
「報告はセシル少将から受けた。無事で何よりだ。ガイもご苦労だったな」

 警備兵に守られた門を抜けると、玄関のところで早速ファブレ公爵とセシル少将が出迎えてくれる。てっきり久しぶりに再会した親子の会話が続くものと思い、イオンは挨拶のタイミングを待っていたのだが、公爵は簡単にみなを労ったあと至極あっさりと話を変えた。

「ところでルーク。ヴァン謡将は?」
師匠せんせい? ケセドニアで別れたよ。後から船で来るって……」
「ファブレ公爵、私は港に……」
「うむ。ヴァンのことは任せた。私は登城する」

 公爵とセシル少将の間で、淡々と交わされる会話。その意味が理解できずにイオンは困惑するが、そのまま出て行こうとした公爵はティアの横ではたと足を止める。彼のまなざしは鋭く、あからさまな疑念の色を纏わせていた。

「キミがヴァンの妹だと聞いているが」
「はい。この度は大変なご迷惑をおかけしました……」
「ヴァンを暗殺するつもりだったと報告を受けているが、本当はヴァンと共謀していたのではあるまいな?」
「共謀? 意味がわかりませんが……」
「まあよかろう。行くぞ、セシル少将」

 ルークが行方不明になった原因はティアだから、公爵がティアを心よく思わないことは理解できる。だが今の台詞はどちらかと言えば、ティアでなくヴァンを疑う内容だ。

「なんか変だったな。旦那様」
「ヴァン師匠せんせいがどうしたんだろう……」

 公爵をよく知るガイやルークも違和感を覚えたようで、みな一様に首を捻っている。しかしながらヴァンの件については、折よくルークの母の見舞いに訪れていたナタリア姫によって、すぐに明らかとなったのだった。

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