アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


28.欲張り(112/151)

 シンクが港から街のほうへ引き返してきても、フィーネはまだ律儀に仮面を着けずに待っていた。別に命令したわけでも、誠意を見せろと言ったわけでもないのに、随分と殊勝なことだと思う。明らかに人目を避けるような裏通りにいる点を除けば、仮面を外していつもの団服すら着ていないフィーネは、どこからどう見ても普通の少女だった。少しの間、離れたところからそんな彼女の姿を観察していたシンクは、まるでたった今見つけたばかりかのように声をかける。

「ここにいたの」
「……あ、うん」

 シンクの声に、俯いていたフィーネはぱっと顔を上げた。戦う人間だけあって、きちんと相対すれば姿勢や動きのひとつひとつがきれいだったけれど、自信の無さそうな表情のせいでとてもじゃないが強そうには見えない。彼女は抱えていた書類をシンクに渡してしまうと、癖のように自分の顔に手を触れ、それからまた落ち着かなさそうに視線をさまよわせた。
 
(どうせこの辺りの誰も、マルクト貴族の顔なんて知りやしないのに)

 いまだにずっと緊張したままのフィーネに大袈裟だと呆れる一方で、彼女がそんな無理までして計画に向き合っていることに嬉しさがこみあげる。

(全部、被験者オリジナルのためだってことはわかってるけどさ)

 それでも少なくとも、フィーネがこの先も自分と来てくれることには変わりない。コーラル城でのシンクの問いに、彼女はきちんと行動で答えてくれたのだ。そしてだめ押しとばかりに、シンクはわざと奴らの前で彼女の名を呼んだ。本来まったく言う必要のなかった事実を明らかにして、フィーネはこちらのものなのだと奴らに知らしめてやりたかった。同時にフィーネの逃げ道を無くしてやろうという、浅ましい意図もあったかもしれない。
 書類の内容を確認し終えたシンクは、ゆっくりと彼女のほうに向きなおった。

「中を見たけど、重要そうなところは回収できてたからいいよ」
「……」
「……なに?」

 作戦は確かに中途半端な結果だったかもしれない。だが、シンクは内心とても満足していた。これからもフィーネが裏切らず、自分と同じ目的を目指して傍にいてくれるなら十分だ。
 そう思っていたのに、今にも泣きそうな顔で目をそらした彼女を見て、何か良くないものが腹のあたりでうずいた。フィーネが、普段と違う格好をしていたせいかもしれない。いや、自分と来ることを選んでもらえて、単にシンクが舞い上がっていただけか。

「情けない顔」

 気づけばもっと見たい、という衝動に突き動かされて、シンクは仮面を着けようとした彼女の手を押さえ込んでいた。壁際に追い詰めて、逃げられないようにして、やっていることはただの嫌がらせに等しい。だが、決して彼女に怒りや憎しみを覚えているわけではなく、この衝動はシンク本人にも説明が難しかった。ここまで攻撃的なものでないにしても、時とともにフィーネに対して望むことが増えてきたように思う。
 
「っ、なに」

 たとえばそう、彼女の柔らかそうな頬に触れてみたいとか。
 するり、とシンクの手が頬を撫でると、フィーネは戸惑った声を上げた。瞳は動揺に揺れていたけれど、のぞき込んでみてもそこに嫌悪は浮かんでいない。その様子があまりに無防備で、可愛げがあって、だからつい、もう少し近づきたいと欲が出た。

「怖い? それとも恥ずかしい?」

 フィーネが嫌がったらすぐやめるから。
 そう自分に言い訳したが、拒絶されないのをいいことにどんどん距離を詰めていく。フィーネが一瞬を身を固くしたのはわかったけれど、相変わらず困惑の色ばかりが強くて拒絶や嫌悪の感情は見えない。このくらいは許されている。でも厄介なことに、それはそれでまた面白くなかった。

(ボクが本気で酷いことをするはずがないって安心しきってるのか? それとも、まだいざとなればボクに負けるはずがないって思ってる?)

 陸艦で追い詰めたときには腕をつねられて解放したが、いつもいつもそれくらいで逃してやる義理はない。
 最後に本気で手合わせをしたのはもう二年も前の話だ。シンクが第五に配属されてからはわざわざ師団を超えて訓練するようなこともなかったので、フィーネはまだシンクのことを甘くみているのではないだろうか。

(もうずっとアンタより力も強いし、それに……もっとアンタに触れてみたいと思ってる)

 昔はフィーネの感情を引き出せるだけでも満足だった。他の奴らは知らない、彼女の性格や素顔や、ちょっとした癖なんかを知っているという優越感だけでも十分だった。だけどいつからだろうか。それだけでは物足りなくて、触れて、注意を引いて、こっちを向かせたいと思うようになった。

(もちろん、望んだって無駄だってことはわかってるよ)
 
 命を賭けるくらいなのだ。未だにフィーネの心が被験者オリジナルに向いているとは知っている。おそらくこの感情に気づかれたら、フィーネはそんなつもりはなかったと血相を変えて拒絶するだろう。それでもただ眺めるだけでは満たされなくて、許されるところまでは踏み込んでみたい。そんなぎりぎりの綱渡りをするような心持ちで、シンクはフィーネの様子を伺っていた。

「シンクの仮面が刺さりそうで『怖い』よ」

 だが結局、フィーネの口から出たのは色気の欠片もない真っ当な返しだった。やはりそういう意識はされてないのだろう。残念なような、ある意味彼女らしいと納得するような気持ちで、シンクはここまでかと少し身を引いて首を傾けた。すると、

「は、」

 どういうわけか、フィーネは迫った時より離れたときのほうが大きく狼狽して、まるで沸騰したみたいに瞬間的に耳まで赤く染まった。彼女がどうしてそうなったのかちっとも理解できなかったけれど、初めて見る彼女の表情に仕掛けた側のシンクの心臓もつられて早鐘を打つ。
 もし。もしも、このまま――。

(いや、さすがに駄目でしょ)

 胸を押されて、シンクはぎりぎりのところで我に返った。吸い込まれそうになる欲求に抗うように、ぐに、と親指でフィーネの唇を押し潰す。

「ははは!」

 半分は動揺を誤魔化すための虚勢で、もう半分は自分を嘲笑するものだった。フィーネの赤面はどうせくだらない、聞けば拍子抜けするような理由に違いない。シンクが期待するような、そんな都合のいい話があるわけがない。

「やっぱりフィーネに女を使うのは向いてないよ。近づいて盗むどころか、近づいただけでこれじゃない」
「……」
「フィーネの覚悟は伝わったけどさ、これに懲りたら二度としないことだね。ま、もう顔は割れたし、二度同じ手は使えないか。……さっさと仮面つけたら?」

 自分でもぺらぺらとよく回る舌だと思った。だが明らかに解放されてほっとした表情になる彼女に、これでよかったのだと思う。

被験者アイツは十二で終わったけど、ボクとフィーネは十四になった。今のフィーネは、アイツの知らないフィーネだ)

 だから、それ以上を望むのは欲張りというものだろう。
 計画の先を知りたがるフィーネに、きっとまた彼女は傷つくのだろうなと思いながら、シンクは全て話すことにした。


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