アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


27.覚悟に触れる(111/151)

 照りつける日差しから逃れるように、フィーネは裏通りの建物の陰でシンクが戻ってくるのを待っていた。いや、本当に逃れたいのは日差しからではなく、街ゆく人々の視線からかもしれない。誰も自分のことなど見ていないとわかっていても、仮面が無いだけでうまく息ができないような気がする。
 回収できた分の書類を胸の前で抱え、落ち着かない気分で足元に砂が舞うのを見つめていると、程なくしてこちらに近づいてくる足音が聞こえた。

「ここにいたの」
「……あ、うん」

 フィーネが隠れていたせいで、シンクには無駄に探させてしまったかもしれない。とはえシンクは特に怒ったふうでもなく、自然な動作でこちらに手のひらを向ける。フィーネは書類をシンクに渡すと、どうなったの? と事の顛末を尋ねた。

「逃げられた。でも、ディストが後を追ってるよ」
「そっか……。データも全部は回収できなかったし……まずいかな」

 一般人のふりをして近づき、解析結果を盗み出す――。それは元々フィーネが自分から言い出したことであり、仮面を外したのは計画への覚悟を示すためであった。コーラル城で選択を迫られて、シンクとともに行くことを選んだものの、信頼を勝ち取るにはそれ相応の行動で示す必要がある。フィーネの提案にシンクも初めは驚いたようだったけれど、特に反対されはしなかった。そもそもフィーネが個人的な理由で隠しているだけで、この素顔を晒したところで計画には何の支障もないからである。

 だが、フィーネがかなりの勇気を出してこの作戦を決行したにも関わらず、蓋を開ければ実に中途半端な結果に終わってしまった。すれ違いざまにガイとぶつかること自体は予定のうちだったけれど、思わぬ勢いでしりもちまでついてしまうし、か弱い少女のふりまでしたのに助け起こしすらしてもらえなかったのは地味に傷ついた。

(これまで仮面のせいで人に怖がられてると思ってたけど、そうでなくても全然女の子としての魅力が無いのかな……)

 魅力どころか、ガイはまるで気持ち悪い虫にでも触るかのような態度だった。別に自分の容姿に自信があったわけではないけれど、あそこまで拒絶されると凹まざるを得ない。むしろ普段フィーネが素顔を晒していても普通に接してくれるシンクは、かなり優しかったのかもしれないと思った。

「中を見たけど、重要そうなところは回収できてたからいいよ」
「……」
「……なに?」

 うっかりいつもの調子で書類を確認するシンクを眺めていたフィーネは、慌てて目をそらした。

「あ、いや、ごめん。なんでもない。今、仮面着けるから……こんな顔見せてごめん」
「? ボクはフィーネの顔なんてずっと知ってるけど」

 確かにその通りではあるものの、『現実』を認識した今となっては気後れする。もう十分覚悟を伝えることはできただろうしとフィーネが仮面を取り出せば、何を思ったかシンクは急にフィーネの手を仮面ごと引っ掴む。それだけでもかなり驚いたのに、彼はフィーネを拘束するみたいに掴んだ手を後ろの壁に押し付けて、ぐっと身体を寄せてきた。

「えっ」
「情けない顔」
「!」
「今にも泣きそうってカンジ。フィーネが自分から仮面を外すって言ったときは驚いたけど、今更後悔してるの?」

 一瞬、何か怒らせたのかと思ったが、どうもそういう雰囲気ではなさそうだ。

「……後悔はしてないよ」

 まるで尋問みたいだな、と困惑しながら、フィーネは小さな声で返事を返す。自分で決めたことだから、成果はともあれ別に後悔はしていない。けれども作戦が終わったのなら、一刻も早く仮面を着けて安心したいのが本音だ。

「あの、離してほしいんだけど……」
「でも、顔を晒すのが嫌なことに変わりないんでしょ」
「それは……うん」

 だから早く仮面をつけたいのに、シンクは一向に離してくれる気配がない。どうすればいいのかわからなくて彼の視線から逃れるように俯けば、不意にシンクの手が頬に触れてすくうように顔をあげさせられた。

「っ、なに」

 向こうは仮面を着けているけれど、それでもかなり距離が近い。フィーネは動揺して目を泳がせたが、手を掴まれたままであり、壁を背にしていることもあって逃げ場がなかった。

「あいつらに見せてやるのは少し惜しい気もしたけど、フィーネが嫌な思いまでしてちゃんと選んだのなら意味はあったね」
「……」
「怖い? それとも恥ずかしい?」

 シンクの問いは素顔を晒すことについてか、この状況についてなのかわからなかった。前者についてはもちろん怖いし、後者については怖いよりも困惑が先にきていた。今まで訓練などで互いの身体に触れることはあっても、こんな形の接触は初めてだ。まるで迫るかのような体勢に、フィーネの心臓はだんだんと動きを早めていく。

「シンクの仮面が刺さりそうで『怖い』よ」
 
 なんとなくどうしていいかわからなくて、そんなふうに茶化して誤魔化した。実際顔を近づけすぎるせいで、仮面の先が危ない感じにこちらを向いている。シンクはフィーネの抗議を受けて少し身を引くと、先端がそれるように少し首を傾けた。その動きでちらりと口元が覗いた瞬間、フィーネは想像した。この体勢も相まって想像してしまったのだ。

「は、」

(恥ずかしい、何考えてるんだろ)
 
 かっと顔面に熱が集まる。フィーネとシンクは別にそういう関係じゃない。これまでだってそうだったし、これからだってきっとそうだ。

(計画を成し遂げるまでの間、それまで傍にいられればそれで十分……)

 フィーネはシンクに感謝している。
 ずっと自分が生まれたことは間違いだと思っていたし、今でも正解だったとは思えない。でもシンクの強い感情にぶつかって、泣いて、笑って、怒って、初めて生きられた・・・・・気がした。

(だから、それ以上を望むなんて馬鹿だ)

 望んで、今のすべてを失うことも恐ろしい。望まなければ、選ばれない・・・・・現実に向き合う必要もない。耐え切れなくなったフィーネは、シンクの胸を手で押した。それからもう一度離してと口を開こうとしたとき、不意に頬に添えられていたシンクの手がずれて、親指でぐにと唇を押された。

「むぐ!」
「ははは!」

 シンクの笑い声とともに、ぱっと手が離される。フィーネは状況が呑み込めずにぽかんとしていたが、シンクは構わず笑い続けた。

「やっぱりフィーネに女を使うのは向いてないよ。近づいて盗むどころか、近づいただけでこれじゃない」
「……」
「フィーネの覚悟は伝わったけどさ、これに懲りたらもうしないことだね。ま、もう顔は割れたし、二度同じ手は使えないか。……さっさと仮面つけたら?」

(ち、近づいたのはそういうこと……。でも、覚悟が伝わったのならいっか……?)

 シンクの行動にまだ心臓はうるさかったものの、発言内容は色気の欠片もない話だ。やはり彼は『同志』としてのフィーネを望んでいるのだろう。やっと解放されたフィーネは、まだどきまぎとしながらも言われた通りに仮面つける。そうやって視界が遮られると、やっとひと心地つけたような気がした。そもそも今は大事な任務の途中なのだ。余計なことを考えている場合ではない。

「こ、このあと、どうするの」
「このまま奴らはバチカルに行かせるよ。和平交渉を終えてやつらが油断したところで、導師を回収する。次に目指すのはザオ遺跡だね。うろちょろされると面倒だし、遺跡にはアッシュも同行させるよ」
「……あのルークって人はどうなるの」
「知りたい? 知らないほうが良いと思うけど」

 いつもならフィーネには知る必要がない、と切り捨てられていたことだろう。シンクの問いにフィーネはごくりと唾をのむ。傍にいるということは、辛いことも受け入れるということだ。

「教えて」


prevnext
mokuji