アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


11.言葉足らず(12/151)

 朝から譜術の自主練をするように言いつけられていたシンクのもとにフィーネが顔を出したのは、日ももう沈みゆく頃合いになってからだった。ダアトから少し離れた森の中につくった秘密の訓練場は、シンクの覚えたばかりの術によって木々が倒され、少し広くなっている。

「ごめん、遅くなった」
「……別に、アンタを待ってたわけじゃない」

 元々、フィーネには第六師団での仕事がある。常にシンクに付きっ切りで指導できるわけもないし、一人で練習するのだって珍しいことではなかった。だからシンクもいつまでも森の中にいないで、適当なところで引き上げてもよかったのだが、なんとなく今日はぐずぐずとこの場に残り続けていた。

「そっか。私は今日、午後はシンクの訓練に付き合うつもりだったの。でも、思ったより遅くなっちゃって……」
「約束したわけでもないんだ、いちいち気にしてもらう必要も無いね」
「でも、部屋に戻ったらシンクがまだ帰ってなかったから」
「うるさいな。どうせ他に行くとこなんてないんだから、ボクのことなんて放っておけばいいだろ!」

 シンクがフィーネに対してトゲのある物言いをするのはいつものことだったが、今日は自分でも抑えきれないくらいに気が立っていた。理由は自覚している。彼女の昼間の行き先と関係している。だが、それを素直に認められるほどシンクの心は大人ではなかった。

「今日のシンク、なんか面倒だね」
「っ……!!」

 フィーネのところで暮らす生活は、シンクにとって嫌なものではなかった。訓練は確かに厳しかったけれど、強さを必要としているのはシンクの都合であったし、彼女の実力自体はシンクも認めている。日常生活でだって、特に虐げられることもレプリカだと蔑まれるようなこともなかった。彼女は仮面のせいで一見冷たそうに見えるけれど、過ごしてすぐに温厚でお人好しで良い奴だとわかった。ただ、あまり考えずに喋る癖があるのか、たまに絶望的にデリカシーに欠けることがある。今まさに、その彼女の悪いところが出ていた。

「だから、面倒なら尚更放っておけばいいだろ! 偽善者ぶってボクに構うな、ウザいんだよ!」
「……シンク、」

 仮面に覆われていても、今その下で彼女がどんな表情をしているか想像がつく。たった二週間足らずと言えど、シンクが一番長い時間共に過ごした相手はフィーネなのだ。
 フィーネはきっと、眉を下げて困ったような顔をしているのだろう。これまで何を言っても、フィーネが怒るところをシンクは見たことがなかった。ある意味、そんなフィーネの態度が余計にシンクを増長させてもいた。

「面倒って言ったのはそういうことじゃないの。私の言い方が悪かった。意味もなく、卑屈になってるって言いたかった」
「それも大概失礼なんだけど」
「でも、本当のことだし。私がシンクのこと放っておくわけないんだから、そうやって荒れるのは意味がないよ」
「……アンタなんて大嫌いだ」

 そう言っても、彼女はまたどうせ受け流すのだろう。そういう考えがあったからこそ、シンクは心にもないことを簡単に吐くことができた。予想に反し、彼女が一瞬きゅっと唇を引き結んだのを見て、しまったと思ったときにはもう遅かったけれど。

「……わかった。シンクが神託の盾オラクル騎士団に正式配属されるときは、特務師団以外にしてもらえるよう、総長に伝えておく」
「特務師団? アンタ、第六だろ」
「異動が決まったの。第六は地方遠征に行く。私はダアトに残りたいから、第六にはいられないよ」
「……」

 フィーネがダアトに残りたいのは、きっとここに被験者オリジナルがいるからだ。今日だって、フィーネは被験者オリジナルのところを長い時間訪ねていたのだし、その前から会う機会を作ろうとヴァンに掛け合っていたのも知っている。彼女が被験者オリジナルとどういう関係なのかははっきり聞いたことはなかったが、ただの導師と騎士団員という間柄以上のものであるのは明白だ。ヴァンの周りにいるのは、モースを除いて皆預言スコアを憎む者ばかりだった。だからきっとフィーネもそういう思想で被験者オリジナルと意気投合したのだろう。

「……ボクも特務師団でいい。あそこが一番、人数が少なくてやりやすそうだ」
「でも、配属先に最初から大嫌いな人間がいるというのはあまり健全じゃないし……」
「今でも我慢出来てるんだから、それくらいどうってことない!」

 大嫌いは本心じゃない――たったそれだけのことがシンクには言えなかった。否、今回は物理的にも言う余裕がなかった。「シンク、私の後ろに」突然魔物の低い唸り声が聞こえたかと思うと、さっとフィーネが庇うように前に出る。複数の足音が草木を分けてこちらに近づいていた。ダアトから出れば、野生の魔物に出くわすことも珍しくないのだが、気配だけでもそうとわかるくらい、この辺りにいる魔物とは格が違う。

「……フィーネの嘘つきッ!」

 そして、悲鳴のような言葉とともに目の前に飛び出してきたのは、四つ足の獣に乗るピンクの髪をした少女だった。


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