アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


26.素顔(110/151)

 キムラスカの領事館に行った後、船の準備が整うまで時間があるとのことで六神将が持っていた音譜盤フォンディスクを調べることとなった。解析機は商人のアスターが持っているという話で、屋敷に着くとあっと言う間に解析が完了する。

「何かご入用の節には、いつでもこの私にお申し付けください。ヒヒヒ」
「ありがとうございます」
「それにしてもすごい量だな……」
「だな、ここまで多いと船の上で読むか」

 元のディスクと解析結果の紙は、そのままガイが預かる。イオンは再度アスターに礼を言い、一行はそのまま屋敷をあとにした。ちょうどキムラスカの伝令兵から、港へお越しくださいとの連絡も入ったのだ。

「しっかし、ここまで高性能だと解析機もちょっと見せてもらえばよかったな……」

 港に向かう途中、ガイは遠くからでもよくわかる豪奢な屋敷を少し名残惜しそうに振り返る。イオンもつられて同じように振り返りながら、彼に向かって話しかけた。

「ガイは音機関に興味があるのですか?」
「ま、ちょっとした趣味みたいなもんだな。結構、自分でいじくるのも好きなんだ」
「ふむ、剣術に卓上旅行、音機関いじりとは多趣味でいいですねぇ」
「使用人にはそれだけ息抜きが必要ってことなんですよ、大佐」
「まぁ、お察ししますよ。子守りは大変でしょうから」
「おい、誰が子供だって?」

 こんな感じでただ世間話をするにも毎回一苦労なのだが、不思議と最初の頃ほどの険悪さはない。イオンが慣れてしまっただけなのかもしれないが、教団内の建前や綺麗事ばかりの会話より、よほど気楽なものだと思った。

「まったく、ずっと屋敷に閉じ込められて息抜きが必要なのはこっちだっつーの」
「ルークの趣味は剣術ですか?」
「あぁ、ヴァン師匠せんせいと剣術の稽古してるときが一番楽しいんだ。そういうイオンはどうなんだ?」
「え」
「だから趣味だよ趣味。いくら導師って言っても、休みくらいあるだろ?」
「そうですね……」

 相手を知ろうとすれば、自分のことも聞かれることになる。それは当然だと理解している一方で、趣味と呼べるほどのものが思いつかず、イオンは返答に困った。読書はたくさんしているが、それは欠けた知識を補う意味合いが強い。彼らのように純粋に、楽しいと顔を輝かせて言えるものではないように思われた。

「趣味と言っていいのかわかりませんが……僕は、アニスとお茶をしている時間が一番好きです」

 唯一、ただ楽しいという感情で過ごしている時間。お茶なら息抜きという意味でも一般的だろう。そう思って答えたイオンの発言に、思いがけず大きな反応が返ってきた。

「な!」
「あら」

 それまで会話に加わってなかった女性陣から一斉に注目を浴び、まずいことを言っただろうか、とイオンは目を瞬かせる。困惑してアニスを見つめかえせば、彼女はりんごみたいな頬をして何か言いたげに口をぱくぱくさせていた。

「あの、もちろんアニスも仕事をきちんとしてくれていて、お茶はあくまで休憩時間のことなんですが……」

 さぼりの告発とでも思われたのだろうか。それは誤解だとイオンが言葉を重ねると、やれやれ、とジェイドが眼鏡のブリッジを押し上げる。

「へぇ、お茶を飲むだけが楽しいのかよ? イオンってやっぱ変わってるな」
「そうでしょうか……?」
「いや、俺はいい趣味だと思うぜ。なぁ、アニス」
「もう、ガイは黙って! ほら、ぺたぺたぺたぺた」
「う、うわぁ、やめろ!」

 アニスのわざとらしい攻撃に、女性恐怖症のガイは大きく飛びのいて身をよじる。コーラル城でガイの記憶喪失の原因にも関わっていると聞いたため、アニスも本気で触れるつもりはなかったみたいだが、ガイの反応はいつも通りすさまじかった。

「ひえ、勘弁してくれぇ!」
「きゃっ」
「おっと、おわ! すまん!」

 こんな人通りの多いところで、急な方向転換は危険である。アニスから逃れたガイは、結果的に近くを通りがかった少女とぶつかってしまった。咄嗟に手を差し伸べようとした彼は、また相手が女性なことに気がついて固まる。体格差と勢いのせいで派手にしりもちをついてしまった少女は、ひどく怯えた様子でうつむいた。

「ほ、ほんとにすまない! 大丈夫か? 怪我は?」
「い、いえ、あの……」

 心配しつつも助け起こすことのできないガイは、あたふたと少女の周りを回ることしかできないらしい。

「ったく、しょうがねーなぁ」

 見かねたルークが少女に向かって手を差し伸べると、ようやく彼女は顔をあげて、それからルークを見て逆に手を引っ込めた。

「いや、えっと、あなたじゃなくて……」
「は?」

 なぜか彼女はガイと同じくらいあたふたとしながら、座り込んだままぎゅっと膝の上で手を組んだ。年齢はイオンと同じくらいだろうか。ケセドニア風の、砂漠の日差しや砂埃を避けるのに適したローブを身にまといながらも、その肌は現地人に似つかわしくないほどに白い。その挙動不審ぶりと、どこか品のよさを感じさせる顔立ちが相まって、どこかの貴族のお忍びだったのだろうか、なんて考えがよぎった。

「大丈夫、何もしないわ。立てるかしら」

 今度はティアがしゃがんで少女に視線を合わせ、手を差し伸べる。同性のティアであればと思ったが、またしても少女は困ったように身を縮こまらせた。

「あの、だからえっと……」
「?」
「あ、あの人がいい、です」

 緊張した様子で彼女が指さしたのは、他でもないガイだった。

「お、俺!? いや、そもそも俺がぶつかったんだけど、でもその……あぁ、悪い!」
「ガイ御指名って、なになにぃ〜新手のナンパだったの?」
「ナン……! 違う! いや、違わない……!?」
「いやどっちなの……」

 からかい半分で話しかけたアニスすら、少女のしどろもどろっぷりには呆れたみたいだった。指名を受けたガイはぐっと歯を食いしばると、決意を固めるように息を吐く。

「いや、でも俺が悪いんだ! ここは責任もって……」

 左手で右手の肘を固定するようにして、ガイはなんとか手を差し伸べようとする。普通の感覚からすればなんとも大げさで滑稽な状況なのだが、彼にとっては大きな試練なのだろう。ガイの緊張につられたのか、少女のほうも真剣な顔つきになる。

「頑張ってください、ガイ」
「いや、なに見せられてんだよこれ……」

 ルークがぼやく気持ちもわかるが、ここは見守るしかないだろう。あとちょっと、もう少しで指先が触れる――そう思ったときだった。

 びゅうっと突風が吹いたかと思うと、勢いよく黒い何かがすぐそばを駆け抜けていく。

「ぐっ!」

 目の前の少女に集中していたガイは、咄嗟にかわし切れず『それ』にぶつかった。ぶつかった弾みでガイは倒れ、持っていた音譜盤フォンディスクと解析結果を地面にぶちまける。

(あれは……シンク!?)

 イオンがその影の正体を認識するのと、庇うようにアニスが前にでるのはほぼ同時だった。

「くそ、データが、」

 ガイは起き上がりながら散らばった書類に手を伸ばしたが、「フィーネ!」シンクがそう言った瞬間、今まで座り込んでいた少女が弾かれたように書類をかき集める。ガイも少女も互いにすべては回収できなかったようだが、イオンは信じられない思いで目を瞠った。

「フィーネなんですか……?」
「嘘っ!? 仮面外したの!?」

 今まで彼女の素顔を見たことはなかった。いつか自分から話してくれればと思って深くは追及しなかったし、たとえ素顔を知らなくても友情の前では大した問題でないとも思っていた。だが、彼女は六神将にはとっくに素顔をみせていたのだろうか。あれだけ頑なに隠していた素顔を作戦に組み込んでしまえるほど、彼らの結びつきは強いということなのだろうか。

「残りも渡してもらうよ」
「ここで諍いを起こしては迷惑です。船へ!」

 動揺するイオンとアニスは、ジェイドの声にハッとする。先に身体が動いたアニスはトクナガを大きくすると、乗ってください! とイオンに手を差し伸べた。

「くそっ! 何なんだ!」
「逃がすかっ!」

 シンクに追われる形で、一行はキムラスカの港へ走る。最後にミュウを引っ掴んだルークがなんとか乗り込んだところで、船はケセドニアを出港した。


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