24.選んで (108/151)
高度が千メートル上がるごとに、気温はおおよそ六・五度下がると言われている。上空からの国境越えは少し肌寒いこと以外に何の問題もなく、アッシュを無事にリグレットに引き渡したフィーネは急ぎ、コーラル城を目指していた。
「唸れ烈風、大気の刃よ、切り刻め、タービュランス!」
ぎりぎり攻撃が当たらない位置に譜術を打ち込んで、突風による上昇気流を利用する。人ひとり抱えている分、グリフィンにも当然負担がかかるため、こうして適度に譜術で補助することでより早く移動することが可能になるのだ。もちろん譜術を使えば使う分だけ術者のほうも消耗するが、こういう時の為にまとめ買いしているミラクルグミである。
こうしてやや強引なやり方でコーラル城に辿り着いたフィーネは、城内に入ってとりあえず一番正面にあった扉を突き進んだ。左右にも階段があり部屋が続いていたようだけれど、右、左、中央の三択ならば、フィーネはそのままど真ん中を選ぶ性格である。幸いその道は正解だったらしく、程なくして巨大な音機関が目の前に広がった。ディストはもういないようだったが音機関の上には赤い髪の人物が横たわり、その手前にはシンクもいる。声をかけようとしたフィーネはふと、さらにその奥からシンクに向かってくる人物に気が付いた。
「シンク!」
ひゅっと剣が空を斬る音。現れたのはすらりと背の高い金髪の青年だ。シンクは飛びのいて空中で身を捩ったが、着地してからしまった! と声をあげる。
「斬られたの!?」 「違う!」
見れば、青年が音譜盤を拾うところだった。チッと舌打ちをしたシンクは、こちらに目もくれず彼に向かっていく。どうやらあれは奪われてはならないものだったらしい。 シンクの飛び蹴りを剣身で受け止め、青年は回転しながら大きく剣を薙ぎ払う。それを退がってかわしたシンクが次の攻撃の為に一歩前に踏み込むと、ちょうど斜め下から振り上げた青年の剣先がシンクの仮面に当たってキンと冷たい金属を立てた。いや、音だけでない。仮面が弾かれたのだ。
「……あれ? お前……?」
(顔を見られた!)
咄嗟にシンクを押しのけ、フィーネが前に出る。基本的に譜術を組み合わせない限り、素手で剣士に挑むのは分が悪い。
「三散華!」
そのため、優先すべきは敵の無力化だ。身を屈めて素早く青年の懐に潜り込んだフィーネは、彼の利き手を狙って蹴り上げる。
「うわっ!」
青年は不意を突かれたこともあってか、大きく体勢を崩した。流石に一度では上手く武器を取り落とさせることはできなかったが、衝撃で一時的に腕は重いだろう。このままフィーネが更なる連撃を仕掛けようとしたとき、
「ガイ! どうしたの!」
アニスの声が耳に届いて、フィーネは少し気をそらしてしまった。その隙にガイは下に飛び降りて、こちらから大きく距離を取る。この範囲ならまだ譜術は届くけれど、こちらにやってくる足音は複数だ。
「くそ……他の奴らも追いついてきたか」
仮面を着け直したシンクが忌々しそうに呟く。
「どうする? このまま戦う?」 「いや、いい。ここでの衝突は予定外だ」 確かに総長からは泳がせろとの通達が来ている。フィーネはシンクに従って構えを解いた。あの青年を仕留められなかったのは心残りだけれど、顔を見られたシンクが言うなら仕方がない。
「今回の件は正規の任務じゃないんでね。この手でお前らを殺せないのは残念だけど、アリエッタに任せるよ。奴は人質と一緒に屋上にいる。振り回されてゴクロウサマ」
(え、アリエッタは結局戦うの!?)
アリエッタを止めに行くわけじゃない――。最初からそう言われていたけれど、計画通りに進まないのを嫌うシンクのことだ。先に着いたからにはてっきりアリエッタを説教しているものと思っていたし、今だって自分で衝突は予定外だと言ったばかり。
「何してんの、行くよフィーネ」
フィーネが困惑していると、ぐいと腕を掴んで引っ張られる。その勢いとアニスからもフィーネ! と呼ばれたことで、つい逃げるようにシンクの後に続いた。相手も深追いはしてこなかったようで、シンクとフィーネは城の玄関口まで一気に駆け抜ける。しかしいざ城外に出る段になって、フィーネの足は減速し、ついには立ち止まってしまった。
「シンク、その、」 「アリエッタのこと?」
振り返ったシンクは、フィーネの言いたいことを全部わかっているらしい。そのうえで口調は厳しく、どこか冷笑的ですらあった。
「性格的に止めても無駄でしょ。それにアリエッタは一人じゃない。しっかり魔物のオトモダチがついてるよ」 「でも……」 「アンタさっき、アニスの声にも気を取られてたね」 「……」
気づかれていたのか。 フィーネはバツの悪い思いで黙り込む。頭ではわかっているし、目的の為に多くの犠牲を払うとも決めているが、それでも友人ともなるとまだ咄嗟に感情が先に立ってしまうことがあるのだ。
「手抜きしてないって、逆ギレしたのはどこの誰だった?」 「……シンクだって、油断して顔見られたじゃない」 「あぁ、そうだね。今回はボクも失敗した。認めたら満足?」
(そこは開き直るんだ……)
「だけど顔を見られたことよりも音譜盤を奪われたことのほうが問題だ。あれには計画の重要な情報も入ってる。なんとか取り返さないと」
シンクに言われてやっと、フィーネも音譜盤のことを思いだした。言い返すなら顔のことではなく、こちらを言えばよかったと思う。
「……ごめん」 「あれは別にフィーネのせいじゃない。ボクのミスだ」 「そうじゃなくて……嫌だったよね、顔のこと……」
本来真っ先に気づかうべきところなのに、失態として責めてしまった。実際のところ、一番素顔を見られたくなかったのはシンク本人だろう。申し訳なさからフィーネが俯くと、シンクの靴がざり、と床の小石を踏み鳴らした。
「……別にどうだっていいよ。大事なのは最終的に預言を滅ぼすことだ」 「それはそうかもしれないけど……」
フィーネの目には、どうしてもシンクが無理をしているように見える。アッシュのレプリカについてもそうだ。シンクはもっとずっと前から事情を知っていたみたいだけれど、ああしてレプリカが利用されるのを見るのは決して気分のいいものではないだろう。 アッシュが出来損ないと言ったことを思い出して、フィーネの胸はぎゅっと苦しくなった。
「……あのね、シンクのことわかりたいから……もっと色々私にも話してほしいし、嫌な気持ちになったら言ってほしい」 「はあ? ボクは言ってるよ。敬語は不快だってついこの前も言ったばかりでしょ。忘れたの?」 「それはわかったしもうしないから、もっと他のことでも話してほしいの」 「……ボクは言ってる」
シンクは再度同じ言葉を繰り返すと、苛立ちを隠しもせずにため息をついた。
「言ってるよ。アンタがくだらない感情に振り回される度、いっつも苦言を呈してる」 「くだらない感情って、」 「実際そうでしょ。アンタがお優しいのは結構だけどさ、あっちこっちに情を移して……見てて苛々するんだよ。どうせフィーネが思うほど、向こうはアンタのことなんてどうとも思っちゃいない。アリエッタには魔物がいるし、アニスだっていざとなれば他の者を優先するに決まってる」 「!」
確かに嫌なことを言ってほしいと言ったが、いきなり捲し立てるような勢いにフィーネは思わず面食らう。シンクがここまで鬱憤を溜めていたなんて知らなかったし、言われた内容自体もショックだった。しかもどうやら彼を嫌な気持ちにさせていたのは、フィーネの煮え切らない態度らしい。
「話せって言われても、フィーネがいつまでもふらふらしてるから信用できないんだよ。ボクに同志だって、共犯だって言ったのはアンタだ。それなのに……」
シンクはそこで一瞬言い淀んだが、意を決したように下唇を噛む。それから息を吐き出す勢いとともに、ここで決めて、とはっきり言った。
「ボクと来るか、残ってアリエッタを助けるか。もしくは、和解してアニスたちと一緒に行くか」 「……」
それはとても選び難い質問だったけれど、シンクの声に普段の意地悪さはなかった。代わりに切羽詰まったような、切望するような響きだけがある。
「選んでよ」
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mokuji
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