アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


23.不完全同位体(107/151)

 オールドラントは大小いくつかの大陸で構成されているが、その中でルグニカ大陸は唯一、キムラスカとマルクトの両国に二分されている。北をマルクトが、南をキムラスカが領有する形で、割合で言えばマルクト領がおおよそ七割を占めているだろう。かつてはちょうど中間あたりに位置する鉱山都市アクゼリュスもキムラスカ領であったようだが、採掘権がマルクトに移ってからは実質的にマルクトの支配下にあり、ホド戦争も重なってキムラスカ側は撤退を余儀なくされたらしい。

(どうせならもっと、国境から遠い所に建てればよかったのにさ)

 シンクは眼下に広がるファブレ公爵家の旧別荘を見下ろし、降りられる高さになったのを見計らって指をぱちんと鳴らした。その瞬間、空中に投げ出されて浮遊感を覚えたあと、すぐに重力によってぐっと地面に引っ張られる。両足と片手の三点で衝撃を和らげながら着地すると、石造りの地面はぱら、と小さな欠片を吐き出した。

(さて、なるべく奴らに会わないように早いとこ情報を消さないと……)

 アッシュのレプリカが造られたのは、シンクが造られるよりもかなり前の話だ。当時のことについては全て伝聞の範囲でしかないけれど、それでもこのコーラル城に探られたくない情報が眠っているのは間違いない。ましてや向こうにはフォミクリー技術の生みの親である死霊使いネクロマンサーもいるのだ。余計なことに感づかれて、もしも預言スコア通りに『ルーク』でなくアッシュが命を落とすようなことになれば、ローレライを滅ぼす計画もたちまち頓挫する。能力が劣ってしまうレプリカでは被験者オリジナルの身代わりになることはできても、ローレライを消滅させられるだけの力があるとは思えないからだ。

 シンクは城内に侵入すると、そこかしこに巣食っていた魔物たちを適当に捌きながら奥を目指していく。一応、城というだけあって防衛上の仕掛けが施されていたようだったが、それらは先行する奴らの手によって既に解除されていたため、なんなく音機関の場所まで辿り着くことができた。下の操作盤のところには、早速ディストの姿が見える。彼は目の前の装置に夢中になっているようで、気配を消して背後をとるのは実に簡単なことだった。

「アンタがそこまで気が利くなんて意外だったよ。もちろん、情報を消してくれてるんだよねぇ?」
「シ、シンク! ぶべっ!」

 驚いて振り返ろうとしたディストの椅子を思い切り蹴とばすと、その勢いでディストは無様に床に落ちる。シンクはそのまま背に馬乗りになって、素早くディストの両腕を拘束した。

「い、痛い痛い! な、なにをするんです!」
「アッシュに何を頼まれた、言え」

 フィーネからは同調フォンスロットの解放だと聞いているが、念のための確認だ。ディストは六神将の中でも目指しているものが異なるから、本当のことを言うかどうかも怪しい。

「ム、ムキー! いきなりなんて乱暴なんですか! 許しませんからねっ」

 彼は往生際悪くじたばたともがいたが、残念ながらこの状況は体格差だけで覆せるものではない。人体の構造上、どこをどんな風に押さえ込めば動けなくなるのかは、訓練時代にフィーネに教わったことのひとつだった。

「さっさと答えて。研究者って言っても、アンタは技師の端くれでしょ。腕は惜しいんじゃない?」
「わ、わかりましたよ!  アッシュから頼まれたのは同調フォンスロットの開放です!」
「……同調フォンスロットね。もっと詳しく」

 ひとまず聞いていた情報とは一致している。シンクが拘束を解くと、ディストは手首をさすりながら恨めしそうに立ち上がった。まだまだ文句を言いたそうな顔をしていたが、シンクがとんと片足を踏み鳴らせば、大人しくのそのそと椅子の上の定位置に戻る。

「……私もこの目で確認するまでは信じられませんが、アッシュとあのレプリカは音素振動数が同じ、完全同位体だそうですね」
「あぁ、そうらしいね。それでフォンスロットを繋ぐとかどうとかって聞いたけど」
「な、なんだ、知ってるんじゃないんですか! 知ってて脅したんですね!!」
「繋ぐっていうのが、具体的にどういうことなのか知りたい」

 大事なのはそこだ。シンクの被験者オリジナルはもうこの世にいないけれど、それでも他人と同調させられるなんて聞くだけでぞっとする話。しかし続いたディストの説明は、シンクの想像よりも遥かに気分の悪い話だった。
 
「おそらく、意識の共有という感じでしょうね。完璧なレプリカということを踏まえれば……もしかすると肉体を操作することもできるかもしれません」
「肉体まで……」
「まぁ、これは完全同位体での話ですから、失敗作のあなたには関係ありませんよ」

 やり返してやった、と言わんばかりのディストの口ぶりに、シンクは思わず仮面の下で頬を引きつらせた。失敗作という単語に怒りだけでない痛みが胸をちくりと刺したが、弱味を見せるのは癪だった。しかも、よりにもよってディストに言われるなんて我慢ならない。

「あぁそう。アンタが完全同位体すら造れない、口先だけのヘボ研究者で助かったよ」
「つ、造れないですって!? 馬鹿にするのも大概にしてくださいよ! これくらい、天才の私にかかれば造れるんですから!」

 ディストはまたいつもように喚き散らしたが、シンクはそれを無視することにした。今はアッシュの件のほうが重要だ。このまま同調フォンスロットを繋げさせるべきかどうか。一体、アッシュは何を考えて自分のレプリカと意識を共有しようと思ったのだろう。
 
(この場合、苦しいのはアンタのほうなんじゃないの、アッシュ……)

 アッシュは被験者オリジナルイオンと違って、本人の意思によらず無理矢理にレプリカが造られたのだ。それだけでも十分やるせないだろうに、レプリカを通して自分が本来いるべきだった場所、持っていた関係性をまざまざと見せつけられるなんて地獄でしかない。

(それにどうせあのレプリカはろくな情報を持っていない。下手に邪魔をして勝手な行動をされるより、餌を与えて大人しくさせておく方がいいだろう。ヴァンにはアッシュが聞いている可能性があることを伝えておけば、逆にうまく誘導できるかもしれないし……)

 シンクは少し考え込んだあと、まだ何かごちゃごちゃと言っていたディストを遮るように少し声を張り上げた。

「わかった、アッシュの頼みは聞いてやっていいよ。早くその同調フォンスロットやらを繋げてくれる?」
「だから、それにはレプリカ本体が要るんです! アリエッタが屋上で待ち構えているので、奴らが来たら連絡すると。その際、あのレプリカをかっさらいます。いちいちあなたに指図されなくても、天才の私に抜かりは無いんですよ!」
「あっそ。じゃあそれまで、ここにある情報消してくれる?」

 奴らに寄り道している暇はなかっただろうが、万一戻って来た際に見られるようなことがあれば厄介だ。

「まったくもう! 人使いの荒い……それが人に物を頼む態度ですか!」
「頼んでない、命令してるんだよ。早くして」

 面倒だな、と思いつつ、シンクはもう一度、今度は落とさない程度にディストの椅子の背面を蹴る。ついでに、失敗作に使われる気分はどうだと尋ねてやってもよかったのだが、やはりその単語を口にするのは気が進まず、足蹴にするだけにとどめたのだった。

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