アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


21.僕の感情(105/151)

「あー早く帰りてー」

 いかにも愚痴っぽくそうこぼしながらも、カイツールでヴァンと再会してからのルークは目に見えて機嫌が良かった。ガイが迎えに来たときも彼は嬉しそうだったけれど、師匠であるヴァンに対しては嬉しさと同じくらい安心感もあるのだろう。国境を越えてキムラスカの領土に足を踏み入れたことで、さらに緊張が解けたというのもあるかもしれない。軍港に向かうルークの足取りはとても軽かったし、戦闘に対しても一定の心構えができてきたようだった。

「そうだ、ヴァン師匠せんせいはイオンを探しにダアトに戻るって話だったんだよな。じゃあもうイオンは見つかったから、またしばらくバチカルにいられるのかな」
「さぁ、どうだろうな。イオンが見つかっても、六神将やモースの件は片付いちゃいないぜ」
「ちぇっ、そーだった。ったく、なんなんだよあいつら。師匠せんせいの部下のくせに好き勝手しやがって。あームカつく」
「まぁまぁ、ヴァン謡将がいない間は俺が相手になってやるよ。それで新技でもサクッと身につけて、謡将を驚かしてやろうぜ」
「お! いいな、それ!」

 ルークとガイの会話は主従と言うより兄弟みたいで、聞いていて気持ちが和やかになる。一方で話題のヴァンと本当の兄妹きょうだいであるティアの表情は、ずっと物憂げなままだった。

(もちろん、行き違いという可能性もある。だけど、彼女がここまで疑うということは何かあるのだろうか……)

 対話を拒み、分かり合える機会をふいにするのは愚かだという意見自体を変えるつもりはない。現にカイツールの宿屋では、ヴァン自身の口から大詠師派ではないこと、今回の六神将の強襲に関わっていないことを聞くことができた。言葉だけでなく彼は襲ってきた鮮血のアッシュを退しりぞけたし、旅券の問題も片づけてくれたのだってヴァンその人である。

(それなのに、僕自身もどことなくヴァンに不安を覚えてしまう……これは僕の個人的な感情なのだろうか)

 イオンの人生は初めから他人の続きだった。既に出来上がった人間関係。イオンには存在しない過去の思い出話を、何も知らずに持ち掛けられることも珍しくない。ローレライ教団を率いる導師として、自分が目指すべき姿も最初から認定されていた。
 そうやって目的が明らかだったからだろうか。どうして自分を造ったのだという憤りのようなものは感じない一方、代わりにどこまでが自分の意思や感情で、どこからが周囲の期待なのかわからなくなることがあった。

「でもでもぉ、実際総長のことどこまで信用していいのかなぁってカンジだよね」
「!」

 突然耳に届いた、まるでこちらの心を読んだかのような発言。
 イオンは弾かれるようにして顔を向けたが、当のアニスはそこまで深い意図があったわけではないようだ。本音半分、浮かない表情をするティアの肩を持つのが半分、と言ったところだろうか。
 アニスの言葉にティアはそうね、と複雑そうに頷く。

「兄さんも完全には信用できないし、どのみち六神将に追われていることに変わりないもの。軍港に着いても油断はしないようにしましょう」

 そしてその警戒が正しかったことは、カイツールの軍港についてすぐ、魔物の鳴き声と大きな破裂音が聞こえてきたことで証明されたのだった。

「……あぁ? なんだぁ?」
「港のほうね。行ってみましょう」

 爆発でもあったのか、あからさまな火の手こそ見えないものの奥のほうで灰色の煙が立ち上っている。現場に近づくにつれてそこら中に魔物と兵士の死体が転がっており、ルークが小さくうめくのが聞こえた。イオン自身もまるでタルタロスでの出来事をなぞるような光景に、恐々としながら精いっぱい急いで足を進める。
 やっとのことで喧噪の中心にたどり着くと、そこには剣を構えるヴァンとアリエッタの姿があった。

「やっぱり根暗ッタ! 人にメイワクかけちゃいけないんだよ!」

 お世辞にも仲良しとは言い難いが、彼女たちのやりとりはダアトではよく見た光景だった。だからなのかどこか気安さすら漂わせながら、アニスはほとんどいつもの調子でアリエッタを叱り飛ばす。アリエッタもついそんなアニスに引っ張られたという様子で、甲高い声で叫び返した。

「アリエッタ、根暗じゃないモン! アニスのイジワルゥ〜!!」

 そんな二人の掛け合いがあまりに子供じみていたからか、ヴァンもゆっくりと剣をおろす。真っ先に彼に質問をしたのは、彼の妹であるティアだった。

「兄さん、なにがあったの」
「アリエッタが魔物に船を襲わせていた」

 淡々と答えたヴァンに、皆の注目が集まる。特にルークを除いた面々はしばし黙り込み、ヴァンの言葉を吟味する風ですらあった。しかしその沈黙を破ったのはこちら側の誰でもなく、この事態を引き起こしたアリエッタである。フーブラス川ではあれほど敵意満々だった彼女が、ヴァンに対してはひどく申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

「総長……ごめんなさい……。アッシュに頼まれて……」
「アッシュだと……」
「アッシュって、検問所で俺を襲ってきたあいつか!」

 ルークが声を上げるのと、アリエッタが一瞬の隙をつき、魔物の足を掴んで上空に逃げるのはほぼ同時だった。彼女は呆気にとられるイオン達を高所から見下ろし、たどたどしい口調で宣言する。
 
「船を修理できる整備士さんは、アリエッタが連れていきます。返してほしければ、ルークとイオン様がコーラル城へ来い……です。二人が来ないと……あの人たち……殺す、です」
「あ、ちょっと、待ちなってば!」

 アニスの制止も虚しく、アリエッタはそれだけ言うと魔物で飛び去ってしまう。今の言葉を聞くだけでも、彼女が命令されて動いているのだということははっきりとわかった。

「ヴァン謡将、他に船は?」

 今やもう黒煙をあげ始め、今にも沈んでいきそうな船を目の前にガイが困ったように頬をかく。

「……すまん。全滅のようだ。機関部の修理には専門家が必要だが、連れ去られた整備士以外となると、訓練船の帰還を待つしかない」
「うわ、まじかよ……」
「では、アリエッタが言っていたコーラル城というのは?」
「確かファブレ公爵の別荘だよ。前の戦争で戦線が迫ってきて、放棄したとかいう……」

 ガイの説明に、ジェイドはふむ、と少し考え込む素振りを見せた。タルタロスの強襲に比べれば、人質という方法は今更過ぎるとでも思っているのだろう。それについては正直イオンも違和感を覚えていた。しかも名指しで呼び出されたのは、イオンだけでなくルークもなのだ。

「どうする? コーラル城自体はここから東の海沿いに行けばたどり着くが」
「へぇー俺の家の別荘、こんなところにもあったんだな」
「おまえなー! 七年前におまえが誘拐されたとき、発見されたのがコーラル城だろうが」
「ええ? でも俺、その頃のことぜんっぜん覚えてねーんだってば。……もしかして、行けば思い出すかな」

 人質とは別の理由ながら、ルークはほんの少しコーラル城に興味を持ったようだった。イオンとしても整備士達を見殺しにしたくないし、アリエッタのことも気にかかる。あとはこの危険な寄り道をジェイドが認めてくれるだろうかと考えを巡らしていたところ、結局ジェイドよりも先にヴァンから反対意見が飛び出した。

「行く必要はなかろう。訓練船の帰還を待ちなさい。アリエッタのことは私が処理する」
「待ってください、処理って……」

 反対されること自体は予想していたものだ。だが、想像を上回るきつい表現に、思わずイオンも目を見開く。確かにこの軍港でも死人が出ているし、他国の船を破壊したとなれば外交的な意味でも大問題だ。それでも彼女に対して多くの罪悪感を抱えるイオンは、ヴァンの言葉を聞き流せない。

「これは失礼しました、導師。ご安心ください。きちんと然るべき規則に則ったものです。部下の不始末は私の責任でもありますから」
「……ですが、僕たちが行かなければアリエッタの要求を無視することになり、整備士達を危険に晒す可能性があります」
「今は戦争を回避するほうが重要なのでは?」
「……」
「ルーク。イオン様を連れて国境へ戻ってくれ。ここには簡単な休息施設しかないのでな」
「は、はい、師匠せんせい
 
 ヴァンの言葉にルークはあっさり二つ返事で頷く。実際のところ、言われた通りのこのことコーラル城まで出向くのは、危険なうえに旅の目的に背く行為だというのはわかっていた。誰も行こうとは言いださないところを見ても、皆冷静にリスクを冒すべきではないと考えているのだろう。
 イオンがうまい説得を思いつけずにいる間にも、ヴァンは残ったキムラスカ兵の協力を仰ぐため、場を離れる。そうなると残された一行の足は、自然と軍港の入り口を目指す形となった。

「イオン様、アリエッタが心配なんですか……? でも、きっと大丈夫ですよ。総長だって責任問われる立場なんだし、そこまで極端な罪には……」

 表情を曇らせたまま無言で歩くイオンに、アニスが気づかわしげに話しかけてくる。その心遣いはとても有難かったけれど、今回ばかりはイオンもうまく微笑み返すことができなかった。

「ええ。それはそうかもしれませんが……」

 アニスはまだフーブラス川での一件を知らない。どう伝えたものか躊躇われたため、チーグルの森で殺してしまったライガ・クイーンが、アリエッタの母親だったとは知らないのだ。クイーンの件で、イオンがアリエッタに抱く罪悪感はまたひとつ大きく膨らむことになった。そしてその罪悪感も、元を辿れば結局同じところに起因する。

(もしもあの場にいたのが僕ではなく、ライガ・クイーンと面識のある被験者オリジナルだったら……)

 魔物は人よりもずっと鋭敏だ。彼らは偽物であるイオンをとうに見抜いていたがゆえに、聞く耳を持たなかったのかもしれない。もちろんそれはすべてイオンの想像に過ぎなかったけれど、どうしてもその考えが重苦しく胸にのしかかる。やはり、このままアリエッタの要求を無視するのはよくないのではないだろうか。

「せめて一度、僕は彼女ときちんと向き合うべきなのではないかと――」

 イオンは立ち止まり、再度説得を試みようとした。そのときだった。

「お待ちください、イオン様!」

 行く手を阻むように男が二人、目の前に飛び出してくる。それに驚いたイオンが何かを言う前に、アニスが庇うようにさっと間に割って入った。

「導師様に何の用ですか?」

 男たちはどう見たって民間人だった。それもいかにも作業服といった服装をしている。アニスが問うと、彼らはとても必死な顔つきで揃って懇願し始めた。

「妖獣のアリエッタに攫われたのは我らの隊長です! お願いです! 導師様のお力で隊長を助けてください!」
「隊長は預言スコアを忠実に守っている、敬虔なローレライ教の信者です。今年の生誕預言スコアでも、大厄は取り除かれると読まれたそうで安心しておられました!」
「お願いです、どうか……!」

 男たちの気迫ももちろん凄まじかったけれど、預言スコアという単語に風向きが変わったのを感じた。イオンは旅の同行者たちの顔を見まわし、それからもう一度男たちのほうへ向き直る。

「……わかりました」
「よろしいのですか?」
「アリエッタは私に来るように言っていたのです」
「私も、イオン様の考えに同意します」

 モースの部隊に所属しているだけあって、ティアの預言スコアに対する信仰心は厚い。そしてどうやら彼女の口ぶりを聞くに、彼女も内心では整備士達が気がかりでイオンと同じく向かうための口実を探していたようだった。

「あのぅ、私もコーラル城に行ったほうがいいと思うな」
「コーラル城に行くなら、俺もちょっと調べたいことがある。ついてくわ」

 アニスとガイからも、控えめながら賛成の言葉をもらえた。ジェイドはどちらかといえば反対寄りの立場に見えたが、彼なら本当にまずいときはもっと有無を言わせないだろう。

「ご主人様も行くですの?」

 最後に残ったルークに、ミュウが小首をかしげて尋ねる。ルークはわしゃわしゃと頭をかいて、不貞腐れたように唇を尖らせた。

「……行きたくねー。師匠せんせいだって行かなくていいって言ってただろ」

 目の前に頭を下げて頼み込む人たちがいるのだ。言葉だけ聞けば随分な言い方だが、ルークは自分の安全どうこうより、ヴァンの言いつけを破ることに対して迷う部分が大きいのだろう。それでも彼の心根が優しいことを知っているイオンは、ルークならきっと最後には頷いてくれるだろうと思った。

「隊長を見捨てないでください! 隊長にはバチカルに残したご家族も……」
「お願いします、どうか!」
「……わかったよ。行けばいいんだろ? あーかったりー……」
「ありがとうございます!」

 果たして結果は、イオンの予想通りの結末となった。ジェイドのほうをちらりと見ると、肩を竦められただけでそれ以上の反対はない。無事にコーラル城に向かうことが決まって、イオンはほっと肩の力を抜いた。

「よかったですね、イオン様」
「はい。後押ししてくれてありがとう、アニス」
「いえいえ、私もやっぱりこのまま無視するのはちょーっと寝覚めが悪いなって思ってましたし。それに私はイオン様の気持ちを尊重したいですからね」

(僕の気持ち、か……)

 ダアトを抜け出してまで、この旅に出たのはイオンの意思だ。ヴァンに少し不安を覚えるのもきっと、イオンの感情だ。そしてアリエッタに対する強い罪悪感も、被験者オリジナルのものとはまた別の、イオンだけの感情だろう。決して良いものばかりではないけれど、それでも確かにこの感情は自分のものだと言うことができる。そう考えるとなんだかむずかゆいような気持ちと申し訳なさが相まって、イオンはほんの少し眉尻を下げた。

「アニス、あなたには我儘ばかり言うことになってしまいすみません……」
「何言ってるんですか、イオン様はもっと我儘言ってもいいくらいですよ! そりゃあんまり危険なのは困りますけど、いざってときには導師守護役フォンマスターガーディアンの私が守りますからね」

 自分の気持ちを聞いてくれる相手がいること、気持ちを尊重し、肯定してもらえること。それはとてもかけがえのないものだとイオンは思う。

「ありがとう」

 そしてにっこりと眩しい笑顔を向けてくる彼女に心がふわりと温かくなるのも、イオンが自分のものだと自信を持って言える感情の一つだった。

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