アンチ・アンチナタリズム
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20.いつか知れる(104/151)

 船の手配が整うまでの間、和平の使者の御一行様はしばらくカイツールに滞在するらしい。ヴァンが先に軍港に行ってしまったことで抑止力が無くなったと思ったのか、フィーネは以前にも増して気を張りつめているようだった。しかし、生憎アッシュは今のところ表立って動くつもりはない。アリエッタにはグリフィンで既に指示を飛ばしたし、アッシュが今現在待っている相手についても、性格的に絶対に来るだろうと確信していた。
 そしてその確信は思っていたよりもずっと早く現実のものとなった。

「アッシュ! なんですあの手紙は! あなたって人はいつもいつも、天才である私を馬鹿にしてぇ!」

 こうして目の前できぃぃぃ、と感情的に髪を振り乱している男は、お世辞にも本人が言うような天才には見えない。だが実際、ディストがこんなにも早くアッシュたちの所にやって来られたのは、彼の技術を結集した譜業あってのことだろう。

「ディ、ディスト様までなんでここに……」

 ディストの到着で一気に場がやかましくなり、明らかに戸惑った様子でフィーネがこちらに顔を向ける。彼女はアッシュがアリエッタ以外の人物に手紙を送ることなど、欠片も予想していなかったようだった。

「なぜってそりゃ、この男がフォミクリーのことで私を馬鹿にしたからですよ! 一体誰が完成させた技術だと思ってるんですか! あれはあの性悪ジェイドと美しく天才である薔薇のディスト様の、スーパーウルトラゴージャスな合作なんですから、私に知らないことなんてあるはずがないんですよっ!」

 椅子に座ったまま器用に空中で地団太を踏み、ディストは大声で喚き散らす。元々自尊心がバチカルよりも高い男ではあるが、自身の専門分野にて馬鹿にされることは特に我慢ならないのだろう。アッシュはそれをわかったうえで、あえて手紙に煽るようなことを書いたのだったが、意外だったのはディストよりもディストの言葉を聞いたフィーネの反応だった。

「っ、フォミクリー……」

 仮面のせいで表情こそわからないものの、彼女はわりと声や態度に感情が出るほうだ。フォミクリー自体は一般にも無機物を複写する技術として存在を知られているが、その通常の使用法においてはそれほど身を強張らせる必要はないだろう。気にはなったものの、今はディストがうるさかった。アッシュはディストを黙らせるために、わざと大きく咳ばらいをする。

「そうは言っても、興味はあるんだろう。それともあんたは苦情のためにわざわざここまでやって来たのか?」
「違いますよっ! 完全同位体とは、それが本当なら非常に興味深い話ですからね! 本当ならの話ですが!」
「本当かどうかはこれから確かめてみればいい。そして、確かめたのなら、そのご自慢の頭脳で俺と奴との間に同調フォンスロットを解放してくれ」

 同調フォンスロットのことは、かつてバチカルで実験に付き合わされていたときに知った。アッシュの音素フォニム振動数がローレライと同じということで、今だ観測されていないそれと交信を図ろうとした研究があったのだ。当然それは国家機密であったため、ただの護衛役、そして幼いアッシュの心の支えとして研究施設への送迎をしていただけのヴァンの知るところではない。アッシュも詳細な原理まで理解しているわけではなかったが、ルークもアッシュと同じ音素フォニム振動数を持つのであれば、交信を図れる可能性があると思ったのだ。

「同調フォンスロットねぇ……ま、理論上できないことはないでしょう。やって差し上げるのは構いませんがね、それにはあのレプリカを捕まえて、どこか設備のあるところまで連れて行かないと無理ですよ」

 あれほどカンカンに怒っていたくせに、研究の話となるとディストはすっかり真面目な顔つきになっていた。わかりやすいと言うか、扱いやすいと言うべきか。とにかく、協力自体は上手く取りつけられそうである。ディストが挙げた懸念については、当然アッシュも先に考えていたことだった。

「カイツールから南東に進んだ海沿いに、コーラル城という別荘がある。設備はそこで揃うだろう。既にアリエッタには奴をおびき出すように命じてある」
「ほーう? 直情型のあなたにしては、これまた随分と準備がいいではありませんか」
「あんたにそう言われるのは癪だが……一筋縄ではいかない相手なんでな」

 アッシュは苦々し気に吐き捨てたが、そのとき思い描いていた人物は自分のレプリカではなかった。

(ヴァンはこれから先、奴と行動する……。奴を通して、ヴァンの動向を探れるかもしれない)

 多大な犠牲を払って、死の預言スコアを出し抜く。アッシュだって、大事を成すには犠牲がつきものだという話が全く理解できないわけではない。しかしながらやはりどうしても感情的には受け入れがたく、ましてやあの問答でヴァンに対する不信感が完全に払しょくされたわけでもなかった。

(これほどのことを黙っていたんだ。ヴァンはまだ他に何か隠している可能性がある……)

 一旦は納得した振りをして引き下がったが、一度湧いた疑念というのはどんどんと膨れ上がっていくものだ。とはいえ、まだアッシュの中にヴァンを信じたい思いも少しは残っている。やり方は到底許せるものではなかったが、実の両親や血縁の王家がアッシュを使い捨てようとしていたなかで、唯一お前を死なせたくないと言ってくれたのはヴァンなのだ。そんな彼に対する疑念を否定する意味でも、自分自身で真実を確かめたいと思う。

「まあ正直、同調までして監視しなくても、あのレプリカはヴァンが上手くバチカルまで連れ帰ると思いますがねぇ」
「……念のためだ」
「わかりましたよ、ただし報酬としてデータはきっちり頂きますからねっ!」
「好きにしろ」
「あのっ、ディスト様、」

 ようやく話がまとまって、ディストが椅子ごと高く飛び上がる。それを引き留めたのは他でもない。今までずっと口を挟まずに、大人しく話を聞いていたフィーネだった。ディストは高所から彼女を見下ろして、今更思いだしたようにうんうんと頷く。

「おやおや、フィーネ。そう言えばあなたも居ましたね。あなたが何も言わずに陸艦を出たから、シンクの機嫌が悪くてそれはそれは迷惑したんですよ? まったく……戻ったらさっさと謝るのをおすすめします。まぁ私は謝る気なんてありませんがね」
「シンクは今よくて……いや、よくないけど、その……同調フォンスロットって、レプリカって……」

 一体どういうことだというように、フィーネはアッシュとディストを交互に見た。控え目な性格で余計な詮索をしないのは彼女の美点だったが、さすがにここまでの会話を聞いては尋ねずにいられなかったのだろう。
 本音を言えば、アッシュはフィーネに知られたくなかった。だが、このまま彼女が自分について回るならいずれは知れることだし、フィーネからシンクに情報が漏れることを心配する必要もない。シンクはとうにアッシュの経歴など知っているのだ。知っていて、人の傷口を抉るような真似を平気でしてくるのだ。

「あぁ、なんでも完全なレプリカと被験者オリジナルの間には、フォンスロットを通じて一種の繋がりが出来るそうですよ。実際には完全同位体自体、お目にかかったことはありませんがね。まぁこの美しく天才である薔薇のディスト様にかかれば、フォンスロットを開く程度のことは簡単ですよ」
被験者オリジナルとレプリカを繋ぐ……? じゃあ、そのレプリカって……総長がバチカルまで連れて行くのって……」

 今にも答えに辿り着きそうなフィーネに、アッシュはとうとう覚悟を決めた。ゆっくりと、気持ちを落ち着けるように息を吐く。既に混乱している様子の彼女に、八つ当たりをするのは本意ではない。

「キムラスカの公爵子息、ルーク・フォン・ファブレは……俺だったんだ」
「っ、じゃ、じゃあ……」
「ああ、そうだ。今追っているあれは、出来損ないのレプリカだ」

 アッシュがそう言った瞬間、彼女から奔波のような怒気を感じたのは気のせいだろうか。それは潮が引くようにさっとかき消えてしまったが、代わりに彼女は無言になる。仮面に覆われていないフィーネの口元は、わかりやすいくらいに引きつっていたのだった。


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