アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


19.あるべき形(103/151)

 グリフィンという魔物はとても賢く、人間で言うなら六から八歳程度の知能を持つと言われている。もっともこのオールドラントでは魔物の研究はそう進んでいないけれど、実感として人の顔や声を正確に識別しているようだし、記憶力に関しても申し分ない。一般的な通信手段である伝書鳩よりもずっと速く遠くまで飛ぶことができ、他の生き物に襲われにくい分、機密事項のやりとりにも向いていた。唯一の難点は攻撃性が高いために飼い慣らすのが難しいことだったけれど、魔物と意思疎通のできる人間がいれば特に何の問題もなかった。

(どうやらアリエッタと合流したらしいな)
 
 夜半にうるさいくらい船窓をコンコンとつつくのは、遠慮というものを知らないグリフィンの嘴だった。片づけるべき仕事もここにはないのに、なんとなく眠れないでいたシンクはすぐに立ち上がって窓を開ける。流石に大きさ的に窓から入ってくることはできないようだったが、グリフィンは翼をはためかせて器用にその場でホバリングし、鋭いかぎ爪のついた足をシンクに向かって突き出した。半身を乗り出すようにして、シンクはグリフィンの足に結びつけられた小筒を開く。

――現在フーブラス川を渡り切ったところ。行き先はカイツール。アッシュ師団長の目的は総長と話すこと。

 差出人の署名はなかったけれど、読めば誰からのものなのかは一目瞭然だった。そもそも、フィーネに書類の書き方を指導していたシンクは、彼女の筆跡を嫌というほど知っている。内容は酷く簡素で端的なものだったが、小さな紙はまだまだ文字でびっしりと埋まっていた。どうやら報告事項はたくさんあるらしい。

――フーブラス川でアリエッタと合流した。アリエッタの話ではライガ・クイーンが奴らに殺されたとのこと。

「は……?」

 ライガ・クイーンと言えば、アリエッタの母親代わりのライガのボスだ。それが、死んだ? しかも、奴らに殺された? この状況での奴らとはつまり、親書と導師を運ぶあの一行のことだろう。しかしながらあまりに唐突すぎる展開に、しばし文意を呑み込むのに時間を要する。もしや何かの比喩や暗号かとすら疑ったけれど、フィーネにそんな高度なことができるはずがないと思い直した。

――アリエッタは復讐を計画している。アッシュ師団長に焚きつけられて、アリエッタは一足先にカイツールの軍港へ向かった。戦闘になるかもしれない。アッシュ師団長もいつもと様子が違って何を考えてるのかわからない。こわい。シンク、どうしよう。

「どうしようって言われてもな……」

 淡々と紡がれていた文章の最後は、ただ心細さを吐露したもので終わっていた。報告書としては最悪だし、シンクはこんな書き方を指導した覚えもない。ただフィーネからの報告を読んで、自分の中に困惑と呆れ以外の感情が湧くのも感じた。

(なんだよ……よそよそしく敬語使ったくせに、結局ボクを頼るワケ?)

 釈然としない気もする一方、やっとあるべき形に収まったような感覚もある。フィーネは訳の分からない逆ギレなんかしていないで、素直に謝ってシンクを頼っていればいいのだ。

(いや、断りもなく陸艦を出た件については謝ってもらってないけど)

 シンクはもう一度手紙を見返してそこに謝罪の言葉がないのを確認すると、丁寧に折りたたんで上着のポケットへとしまった。一連の流れを見守っていたグリフィンが、不思議そうに鳴き声をあげる。だいたい彼らに運ばせる手紙は燃やしたり細切れにしたりして処分するのが常だからだろう。

「いいんだよ。どうせ大した内容じゃないしね」

 アリエッタではないから、シンクの言葉はグリフィンには通じない。代わりにシンクは二度手を打ち鳴らし、右腕を大きく三回転させたあとに真上に上げる。ハンドサインはすぐに理解して、グリフィンは高く舞い上がり上空を旋回し始めた。しばしの待機命令だ。

(復讐で頭がいっぱいのアリエッタと、自分勝手に行動するアッシュか……。いくらヴァンがいると言っても奴らの手前、表立っては動けない。フィーネ一人で抑えるのは流石に荷が勝ちすぎる)

 行くしかない、とシンクは思った。
 ラルゴは負傷しているし、戦闘になるようであればディストを差し向けても仕方がないし、リグレットはどうもアリエッタに甘いところがある。階級的なことを考えてもリグレットとアッシュではアッシュのほうが上だし、ここはシンク自ら出たほうが早いだろう。幸いにして奴らを泳がせるという方針になっているため、陸艦に残ってやらねばならない仕事は何もなかった。
 
(徒歩で追いかけるとなると億劫だけど、グリフィンを使えば移動も楽だしね)

 シンクは手早く準備を整えると、リグレットを探して部屋を出る。不在にするならするで、一言声をかけてから出るのが本来あるべき形だろう。報告、連絡、相談は基本中の基本だ。フィーネにもきちんと教えたはずなのに、彼女のそれはいつもなんだかズレている。

(考えるより先に動くからだいたい事後報告だし、相談しろって言ったらとんでもない角度から問題を投げてくるし……どうでもいいことに限って思い悩んで心配するくせに、現実逃避を極めた結果で妙に楽観的で危機感が無いときもあるし……)

 ひとたびフィーネの愚痴を言い出すと、数時間くらいは優に語れそうな気がする。とはいえ、今それを聞かせる相手も時間もないので、シンクは足を速めてリグレットの部屋へと急いだ。が、

「いない……」

 扉を数回ノックしても、リグレットは出てこない。彼女なら寝ていても音で起きるだろうから、在室していないということだ。

「まったく、こんな時間にどこに行ってるんだよ」

 リグレットのことだから無断で陸艦を出ているということは無いだろうが、この艦内を探すとなればそれなりに面倒である。

(まぁ伝言だけなら、ディストでもいいか……)

 真夜中に怪我人のラルゴを叩き起こすのは忍びなかったため、シンクは消去法で仕方なくディストの部屋に向かうことにした。もう眠っているかもしれないが、あれを叩き起こしたところで大した問題はない。そう思って、シンクは強めに扉を叩いたのだったが――

「……いない。一体どうなってんのさ?」

 どいつもこいつもちっとも大人しくしていない。シンクは舌打ちをして、今度は機関室を目指した。操舵室とも迷ったが、現在この陸艦は停止しているし、距離的にも機関室のほうが近い。暇を持て余した自称天才譜業博士がほっつき歩いていることを考えても、機関室にいる可能性のほうが高かった。

「ディスト、陸艦を勝手に改造するのは許可しないからな!」
「!」

 足で蹴って勢いよく開けた扉。中にいたのはあの椅子眼鏡ではなくリグレットで、驚きのあまりシンクも一瞬固まる。

「……なんでリグレットが」
「シンクこそどうしたんだ、驚くじゃない」
「ボクはディストを探して……いや、元はといえばアンタを探してたんだけど」
「私を? 何かあったのか?」

 ひとまずシンクは当初の目的通り、自分が陸艦を離れることをリグレットに伝えた。話を聞いたリグレットは頷いて、それは確かに行ったほうがいい、と同意する。

「フィーネはアリエッタにもアッシュにも甘いからな。あいつ一人では止められないだろう」

(……それはアンタにも思ったんだけど)

 余計なことを言うと話が長引きそうだったので、シンクは胸の内に仕舞っておくことにした。これで一応用事は片付いたのだが、やはりどうしてもディストの姿が見えないことが気にかかる。

「で、ついでに聞くけど、ディストがどこにいるか知らない?」
「いや、実は私もあいつを探しに来たんだ。ふと窓の外を見たら、ディストの部屋のほうへグリフィンが飛んでいくのが見えてな。そのあとしばらくして、例の『ムキー−!』という大声が聞こえて、何かドタバタ騒がしかったから」

 シンクの部屋までディストの声は届かなかったけれど、配置的にリグレットは騒音被害にあったのだろう。当然彼女はまずディストの部屋を訪ねたが、そのときにはもうもぬけの殻だったという。それでリグレットも操舵室をまわって、機関室まで探しに来たらしい。

「グリフィンがディストのとこに来たってのは確かなの?」
「確かかと言われると困るけれど、場所的にはそうね。シンクやラルゴの部屋は私の部屋より南に位置するだろう。グリフィンは私の部屋の窓を通り過ぎて、さらに北側に向かった」

(ということは、ディストも手紙を受け取ったのか? ボクに送って来ていたフィーネがわざわざ別でディストに送るとは思えないし……まさか、アッシュが?)

 どんなお世辞を使っても、どんな贔屓目で見ても、仲が良いとは言えない二人だ。それなのにアッシュからディストに接触があったなんて、どう考えても面倒事の予感しかしない。

「わかった。一応、ディストのことは探してみてくれない? もしかするとあの馬鹿も、勝手にここを抜け出してるかもしれないけど」
「ええ、わかった。こちらのことは任せておいて」

 ようやくまともに言うことを聞いてくれそうな相手が見つかって、シンクはちょっと脱力する。これでようやくグリフィンのところに行ける。奴もいい加減に上空で待ちくたびれていることだろう。

「それじゃ、頼んだよ」

 参謀総長になってからももう一年ほどは経つが、この仕事も大変なことばかりだ。しかしながらいつも作戦立案以外の部分で悩まされているような気がしたので、元凶はこの六神将という面子の協調性の無さにあるのではないかと思う。

(利用されるのも、楽じゃない)

 昇降口を出て平原に降りたったシンクは、目を細めて上空を旋回する黒点を見上げる。あんなに自由に空を飛んでいるグリフィンでさえも、人に使われているという点では大して自分と変わり映えのしない生に見えた。

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