18.犠牲はつきもの(102/151)
――退け、アッシュ! ――ヴァン、どけ! ――どういうつもりだ。私はお前にこんな命令を下した覚えはない。退け!
昼間の一幕を思いだし、アッシュはまた腹の底がぐらぐらと煮え立つような錯覚に陥った。こちらも一応あの場でレプリカを斬り捨てるつもりは無かったけれど、うまい具合に利用されたものだと思う。あの後、ヴァンは奴らと共に宿屋に向かったようだが、さぞかし弁明も捗ったことだろう。 アッシュは気持ちを静めるように深く息を吐くと、少し離れたところにあるカイツールの砦を眺める。去り際にヴァンが口の形だけで、落ち合う時刻を指定してきたのだ。
「……フィーネは連れてこなかったのか?」
やがて鈍く輝く月が真上にまで昇った頃、ヴァンはアッシュの前に姿を現した。 ゆっくりとこちらに近づいてきたヴァンは、歩幅三つ分くらいの距離を空けて立ち止まる。周囲を見回してアッシュの他に誰もいないことを確認すると、ほんの少し顎を引いた。
「あいつに聞かせられる話じゃない。ただ、近くに待機はさせている」 「フン、とんだ見張り役がいたものだな」 「……フィーネは身内に甘いところがあるからな。あんただって、フィーネに聞かれないほうが都合がいいんじゃないか? あいつに色々と隠しているだろう」 「さて、どうだかな。案外お前よりもフィーネのほうが詳しいかもしれないぞ、アッシュ」 「……」
(惑わされるな……ヴァンは揺さぶりをかけているだけだ。『ルーク』に対する反応を見るに、フィーネはレプリカのことを知らない)
今目の前にいるヴァンは、優しい師匠の表情はしていなかった。神託の盾騎士団の主席総長として――いや、預言を滅ぼす計画の首謀として、冷たい目でアッシュを見据えていた。
「それで、お前が命令を無視してカイツールにやってきたのはなぜだ? 話を聞こうではないか」
命令違反を指摘しながらも、表面的には鷹揚な態度で。 上官としては立派な振る舞いだったけれど、アッシュにはそれがかえって空恐ろしく感じられた。
「……あんたに直接確かめたかった。なぜあのレプリカをそこまで重要視する? セフィロトの封印解除を進めるなら、導師が優先順位の一番に来るはずだ」 「はぁ、一体何の話かと思えば。忘れたのか、アッシュ。ルークがいなければ、誰がお前の代わりに死ぬというのだ」 「……」
それはこれまでに散々聞き飽きた話だった。アッシュだってそんな回答をもう一度聞くために、ここまで追ってきたのではない。
「だからもう十分だろう! シュレーの丘の解除は上手く行ったと聞いている。死ぬ死なないの話をするなら、それより先にローレライを滅ぼしちまえばいい!」 「甘いな。セフィロトを活性化させても、すぐにローレライが見つかるとは限らない」
ローレライという単語に、アッシュは一瞬黙り込んだ。実はこちらもヴァンに伝えていないことがある。成長するにしたがって、酷い頭痛とともにアッシュの頭の中に声が響くようになったのだ。
(……確かにいるんだ。あれがおそらく、ローレライなんだ)
告げなかったのは確信が持てなかったのと、こちらから自由に接触できるわけではないせいだった。下手なことを言って、ダアトでまた研究材料にされるのは御免だったというのもある。だがやはり今になって、この男にすべてを話さなくて良かったと直感が告げていた。
「気が逸ってしまうのはわかるが、どうしても時間が足りないのだ。まずはルークを使って預言通りに事を進める。これでは納得できぬか、アッシュ?」 「……あぁ、あんたは他にも何か隠している。俺はあのレプリカと違って、ずっと箱入りの世間知らずのまま育ったわけじゃないんでな」
ぎろりとヴァンを睨みつけると、ヴァンはやれやれとでも言うように小さく肩を竦めた。まるで聞き分けのない子供を相手にするようなその態度に、アッシュはまたカッとなる。しかし、アッシュが食って掛かるよりも早く、ヴァンがさっと手のひらをこちらに向けた。
「わかった。いい加減、話さねばならぬようだな」 「……」 「預言のことだ。お前の死の預言のことで、私は確かにお前に伏せていたことがある」 「!」
ヴァンがのらりくらりと誤魔化すのではなく、話す気になったこと自体はいい流れだ。けれども同時に一番恐ろしい話題が飛び出してきて、アッシュは嫌な汗をかく。
「昔、お前には教えたな? 『ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとしキムラスカの武器となって消滅す』……」 「……まさか、預言そのものが嘘だって言うんじゃないだろうな?」 「フ、そうあってほしいか? 残念ながら、大筋は変わらない。私がお前に伏せていたのは、お前が大勢を巻き込んで死ぬと言うことだ」 「なんだと……!?」
死にまつわる預言というものは相変わらず秘中の秘だ。自分の死だけでもかなり衝撃的だったのに、他人を巻き込むと言われてくらりと眩暈がする。 ヴァンはそんなアッシュの動揺を見透かしたように、また薄く笑った。
「お前も特務師団の長を務めていれば、少しは情報が入ってきているだろう。あの街は今、酷い障気に包まれている。キムラスカ王家はお前の超振動の力を使って、障気を打ち消すつもりなのだ。マルクト側もそれを望んでいる。これが本当の和平交渉の第一歩になるだろう」 「……」 「だが、お前が――いや、ルークが障気を打ち消す際、既にその身に障気を吸い込んだ人間も耐え切れずに一緒に消えてしまうのだ。おそらく……五千人は下らぬだろうな」
アクゼリュスの人口は約一万人――救助して治療すればまだ救える者もいるかもしれないというのに、半数もの人間が強制的に犠牲になるというのだ。
「そんな馬鹿な……。いくらなんでも無茶苦茶だ!」 「だが、預言にはそう読まれている。読まれている以上、預言信者共はルークをアクゼリュスに向かわせる」 「あんたはそれをわかっていて見過ごすっていうのか!?」
それでは預言信者と何が違うというのか。唯々諾々と預言を受け入れる奴らと何一つ変わらないではないか。 アッシュはヴァンを睨みつけたが、彼は涼しい顔をしている。アッシュがこうして反論することは、すべて想定内のことらしい。
「そうだ、だが今だけだ。ローレライを――預言を滅ぼすには時間がかかる。お前を死なせたくないのだ。だからこれまで黙っていた。大事を成すには犠牲はつきものだが、十歳のお前にはきっと呑み込めなかっただろう」 「……」
ヴァンの言い方は、暗に今なら呑めるはずだというものだった。そこまで言うと不意に彼の眼光が鋭さを増し、真っすぐにアッシュに突き刺さる。一切の甘えを許さぬそれに、自然とアッシュの背筋はぴんと伸びた。
「大勢の人間が死ぬ預言は何もこれだけではない。一時の感情で身勝手な行動をし、レプリカではなくお前が死ぬようなことがあれば、預言を消すことも叶わなくなるのだぞ。なに、軍人として何年も生きて、お前だって既に罪もない人間を大勢殺してきたではないか。今更犠牲を恐れるようでは、あのレプリカと大して変わらぬな」 「っ……」
実際のところ、アッシュの手は既に汚れている。そうせざる得ない状況に追い込んだのは誰だという話ではあるが、たとえあのままキムラスカにいたとしても間接的か直接的かの違いしかない。王として国を背負うということは、国民を守る一方で国民に犠牲を払わせる立場でもあるからだ。 ヴァンは狼狽するアッシュに向かって、お前ならわかるはずだ、と重ねるように言う。
「国家の、いや世界の為に何を優先すべきか。失望させてくれるなよ、アッシュ」
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mokuji
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