アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


10.全容は知らずとも(11/151)

「おや、僕のことなんてすっかり忘れたんだろうと思ってたよ」

 イオンのレプリカが作られてからはや二週間。フィーネは教団の地下深くに用意された部屋で、静かにベッドに横たわっている幼馴染を見つめた。イオンの元の部屋は、もう次の導師が使っている。シンクの成長スピードを見るに、七番目のイオンもきっと大きな問題なく生活を送れるようになっているのだろう。既に何度か公務の入れ替わりも試しているみたいで、着々と計画は進んでいるに違いなかった。

「忘れてなんかない。今回は、本当に会わせてもらえなかったの」

 いくらフィーネでも、預言スコアに記されている期限がまだ先だからといって、イオンのことを忘れたりなんかしない。通常の第六師団での仕事に加え、シンクを鍛えるという忙しい生活を送っていたのは確かだが、それでも何度もヴァンに追いすがってイオンに会わせてくれと頼んでいた。今日はその嘆願がようやく通った日なのだ。

「知ってるよ。フィーネみたいな悪目立ちする奴に通われちゃ、ここもすぐにバレる。アリエッタだって気づくかもしれない」

 イオンはどこか遠くを見つめるようにして呟いた。それから、不意にこちらに視線を合わせたかと思うと、皮肉っぽく口元を歪めた。

「そうだ、ヴァンから聞いたよ。ガラクタを拾ったんだって?」
「……そんな言い方はしないでって前に言った」
「導師としてはてんで駄目らしいけど、どうだい? そいつに幼馴染の代わりは務まりそう?」
「導師の代わりはいても、イオンの代わりなんていないよ」
「……だと、いいけどね」

 体調が悪くなると、どうしても弱気になるのだろう。加えて、自分で作ると決めておきながら、レプリカの存在にイオンは荒れているようだった。大好きなアリエッタが、偽物と知らずに七番目のイオンを追い掛け回しているというのも気に入らないのだろう。そこへフィーネまでもがシンクの面倒を見だして、いよいよ自分が取って代わられるような気がしたのかもしれない。だからと言って、フィーネはシンクを放っては置けなかった。そもそも彼らが生まれたのは、イオンが復讐のために必要としたせいなのだから。

「えーと、何番目だっけ。そいつもまたえらく災難だね、愛想のないフィーネなんかに拾われるなんて。身近にまともな手本がいないから、情緒に問題を来すんじゃない?」
「あの子にはもう名前がある。シンクだよ」

 フィーネ自身、七番目の子についてはイオンと同じ名前になるので順番をつけるしかなかったが、他にきちんとした名のあるシンクについては、いつまでも番号で呼ぶ必要がない。ここへ来た目的はイオンと喧嘩することではなかったのに、彼の機嫌を損ねるとわかっていても言わずにはいられなかった。

「六番目だろ。イオンにもなれなかった、出来損ないの。もう情が湧いたの?」
「部下を大事にして何が悪いの」
「ハッ、正式に第六に配属されたわけでもないだろ。だいたい、フィーネはもうじき第六じゃなくなるよ」
「……え?」

 突然ふってわいた話に、フィーネは思わず間抜けな声を出した。辞令はまだ受けていなかったが、イオンは地位で言えばローレライ教団のトップだ。その彼が組織内の人事について嘘の情報を言うわけがない。

「第六師団はダアトを離れて、地方遠征に行くことが決まっている。表向きはマルクトとキムラスカの境界で治安維持活動をするためだけど、要は計画の邪魔だからダアトから遠ざけるのさ」
「邪魔って、なんで……」
「第六師団は強大だ。カンタビレは力を持ちすぎている。それでもって、預言スコア遵守を掲げるモースとは相容れない。今は教団内の政治にも中立の立場をとっているようだけど、いざってときに敵に回られたら迷惑なんだ」

 もちろん、言っていることはわかる。けれども、あんまり急な話だ。そんなに上手くいくものなのか。
 フィーネが固まっているとイオンはベッドから身を乗り出して、フィーネの仮面を取り去ってしまった。イオンの前だというのに、忘れて付けっぱなしにしていたことが気に入らなかったらしい。

「これ、六番目の前でも外すの?」
「シンクは今、私の部屋で預かってるからね。生活の中で外すことはあるよ」

 素顔を見せたところで、シンクはフィーネの兄や家族を知らないし、意味のないことだ。実際、顔を見たシンクの感想は“期待外れ。何の面白みもない顔だね”というものだったし、一度見ればそれ以上うるさく詮索されることもなかった。

「仮面のことなんて、今はどうでもいいでしょ。それより、第六師団がどうなるのか教えて」
「……別に、どうもならないよ。カンタビレはこの遠征を呑んだ。彼女自身、厄介ごとに巻き込まれるよりは戦場にいる方が好きみたいだったしね」
「じゃあ、私も師団長と一緒に、」
「着いて行くって言うのかい? 死にかけの僕や、その六番目を置いて? まあそれでもいいかもね」
「っ……」

 できない。フィーネは自分が浅はかな発言をしたと思った。今更すべて放り出して、自分だけ関係ないところに逃げるなんてそんなことはできない。イオンの死も、シンクの生も、計画のことも、フィーネはもうとっくに引き返せないところまで来ていた。

「そうだね、私は行けない。イオンとも約束をした」

――預言スコアのない世界を見届ける

 そのためにはローレライ、第七音素セブンスフォニムの意識集合体を消滅させる必要があると聞いていた。最初に聞いたときはそんな無茶な、と思ったが、預言スコアのない世界を目指していたのは元々ヴァンのほうで、計画に後から乗ったのはイオンのほうだったらしい。
 ヴァンは本気で預言スコアを滅ぼすために、ずっと前から準備を進めていたのだ。なんでも、このまま預言スコアの通りに事が進めば、このオールドラントは瘴気に包まれて滅んでしまうらしい。だから今モースとヴァンは“イオンのレプリカを作る計画”では協力しているものの、実際に目指す先は異なっている。フィーネはもちろん、ヴァン派だ。預言スコアに書かれている滅亡を運命として、ただ大人しく受け入れるつもりは毛頭ない。

預言スコアがない世界なんて、正直まだどんなものか、想像できない……。でも私も、預言スコアなんてなくなればいいと思った。だからそのために、今できることをやってる。約束は守るよ」

 フィーネはイオンの手をとった。一瞬、その手首の細さに動揺したが、すぐにそれを押し隠す。握った手の体温は温かかった。

「うえ、気持ち悪い。僕達ってそんな仲じゃないだろ」
「アリエッタじゃなくて悪かったね」
「ほんとにね」

 イオンは口ではそう言ったが、手を振り払いはしなかった。そこには艶っぽい意味なんてなかったけれど、それでも二人はしばらく手を握り合ったままでいた。


「フィーネは後で、僕を恨むかもしれない」

 やがて、ぽつりと呟かれたその言葉は、どうにもイオンらしくなかった。けれども、フィーネはそれを彼が弱っているせいだろうと思い、ただ心配ないよ、と繰り返した。

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