アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


16.無知の余地(100/151)

 いの一番に作戦室を出たアッシュは、人を避けるようにさっさと自分の船室に戻っていた。想像以上に期待外れだったレプリカに、ちっとも思い通りにならない現実。一方で先ほどの自分の振る舞いが、冷静さを欠いていたこともアッシュはしっかりと自覚している。

(大事な大事な公爵家のお坊っちゃま、か……)

 当てこすられた単語に引きずられるように、脳裏にへっぴり腰の未熟な剣筋が思い起こされる。ベッドに腰を下ろしていたアッシュは、落ち着けようとした気持ちがまたざわめくのを感じた。

(あいつが本当に『ルーク』だって言うんなら……)

 わざわざ過保護に迎えになど行かなくても、奴は預言スコア通りにしか死なないはずではないか。あれが本当に『ルーク』だと言うならば、アッシュが何をしようと運命は動かせないはずだ。
 考えれば考えるほど納得できない気持ちがふつふつとこみ上げてきて、アッシュは拳でマットを叩いた。セフィロトを開くための導師よりも優先度が高いなんて、やはりヴァンは何か隠しているのではないか。カイツールにいるのなら、会って直接確かめたい。
 なにやら廊下が騒がしいと気づいたのは、まさしくそんなことを考えていたときだった。

「一体、今度はなんですか? 私、急いでるんですけど!」
「なんですかじゃないでしょ。そっちこそなんなんだよ、さっきから」

 部屋から出れば、姿こそ見える範囲になかったものの、会話ははっきりと聞こえてくる。一人はフィーネで、もう一人はシンクだった。シンクのほうはともかくも、普段大人しいフィーネが大きな声を出すなんて珍しい。
 途中だった考え事も吹き飛んで、何かあったのだろうかと、アッシュは純粋に部下を気に掛ける気持ちで声のする方へ向かった。フィーネが追っていた親書の件は先ほどの会議でどうでもいいと結論が出たばかりだったから、尚更何で揉めているのかわからない。

「……何をおっしゃってるのかわかりかねます」

 そっと影から様子を伺うと、どうやら一方的にフィーネが叱られているという雰囲気ではなさそうだった。断片的に聞こえてきた範囲では、話題も任務に関するようなものとは思えない。そもそもシンク自体が普段の役職を横に置いて、素で腹を立てているような有様だった。

「だからそれだよ、あてつけみたいに敬語なんて使ってさ。不快だからやめてくれない? 一体何がそんなにフィーネの気に障ったワケ?」
「……わかった。やめろって言うならやめる。これでいいでしょ。じゃ、」
「待ちなってば」

 ばん、とシンクが壁に手をついた振動が、こちらにまで伝わってくる。どうやら振り切って逃げようとしたフィーネの行く手を阻んだらしい。ここまでくるとただの痴話喧嘩かと呆れて、アッシュは部屋に戻ろうとした。が、

「早くアッシュ師団長のとこ行かないと。シンクが問題になりそうって言ったんだよ。それなのにさっきもあんな怒らせて……」
「それはそうだけどさ」
 
 突然呼ばれた自分の名に、思わず戻ろうとしていた足が止まった。フィーネはどうやらこちらを訪ねるつもりだったらしい。それもシンクが危惧しているからという理由でだ。
 だが、肝心のシンクはアッシュの件について、今この場で触れる気がないみたいだった。

「その話はいいよ。それより、フィーネが怒るなんて珍しいでしょ。だから……その、いい加減怒った理由を話してもらわないと納得できないね」

 言ってることとやってることは随分と高圧的だが、いつもより随分と歯切れの悪い口ぶりだ。そこに年相応の一面を垣間見た気がして、作戦室で冷笑されたばかりのアッシュとしてはなんとなく複雑な気分になる。
 結局、少年と少女の口喧嘩は、少女のほうが根負けしたみたいだった。

「……確かに、ちょっとシンクに意地悪しすぎたと思う、ごめん」
「聞きたいのは謝罪じゃない」
「……そんな大した理由じゃないよ。手抜きだって言われたのがショックだっただけ」
「でも、いつものフィーネなら凹むのが関の山でしょ。親書を見失ったのは事実なんだからさ」
「っ、たまには私だって逆ギレしたいときもあるよ」
「はぁ? なんだよそれ、」
「もう退いて」

 そんなフィーネの言葉とともに、間髪入れずに痛っ、というシンクの声がした。何をどうしたのかはわからないが、アッシュは急いで部屋へと戻る。そうするとやはり程なくして、軽い足音が部屋の前で止まった。続いてコンコン、とノックの音が響く。

「フィーネです。入ってもよろしいでしょうか」
「あぁ」

 招き入れた彼女は、別段普段と変わった様子はなかった。仮面のせいで表情こそ伺えないが、それなりに長い付き合いだ。アッシュのほうはともかくも、フィーネの側にこちらを探るような素振りはない。

「どうした」
「えっと、用事というか、半分匿ってもらいに来たようなものなんですけど……」
「シンクか」
「そうです。ここまでは追ってこないので」

 素直に肯定したフィーネは、人の部屋を安全地帯かのように言ってのける。内心で身構えていたアッシュは、そこで少し肩の力を抜いた。

(もしかすると、フィーネはあまり計画の事を知らないのかもしれない……)

 時々アリエッタがズレたことを言うように、彼女もまた命令に従っているだけで計画の深いところには関わっていないのかもしれない。一瞬そう考えて、アッシュはすぐに自嘲した。ろくに情報を与えられていないのは、自分もまた同じだと思ったからだ。
 ひとまずこちらも何も聞いていないふりをして、ごく普通に会話を続ける。

「会議の時から機嫌が悪そうだったからな」
「まぁ……親書の件は本当は私が悪いんですけど……」

 そこまで言って口ごもったフィーネに、アッシュは椅子を勧めた。避難所扱いのつもりならば、どうせしばらくここを出れまい。それに彼女が何も知らないのだとしても、彼女が何を命じられているのか知ることはアッシュの役に立ちそうだった。

「全部過ぎたことだ。それに何もフィーネの責任だけじゃない」
「……そう言ってもらえるとありがたいです」
「ま、実際、一番シンクに目を付けられてるのは俺だろうしな」

(さて、どう出る……?)

 アッシュが鎌をかけたことを知ってか知らずか、フィーネは小さく苦笑した。見る限り一瞬の躊躇いも、誤魔化す様子もない。

「シンクって、アッシュ師団長になぜか無駄に突っかかりますよね。一番年が近い同性だからかな……。いつも遠回りな言い方するからよくわからないけど、さっきもアッシュ師団長を怒らせようって気が満々でしたよね。ほんとにすみません」
「……」

 どこからどう見ても、いつものフィーネだ。そのことにかえってアッシュが出方をはかりかねていると、フィーネのほうが急に何かを思いだしたみたいにハッとする。

「あの、そういえば、あのとき殺しても構わないって……」

 普通ならそういえば、という切り出しで聞くような内容ではなかった。正直まだレプリカのことについて話すつもりのなかったアッシュは、必然険しい顔になる。フィーネは今更のように声に緊張を漂わせると、ぎゅっと膝の上で手を組んだ。

「……まさか、イオン様のことじゃないですよね?」
「……」

 じっとフィーネを見つめると、彼女はますます不安そうに唇を引き結ぶ。すぐに返答しなかったのは、彼女にどこまで情報を明かすか迷ったからだった。

「そんなわけあるか。別件だ」
「……っ、ですよね! 私、びっくりして」
「俺が導師を殺すわけないだろう」
「そうですよね、はい。すみません……」

 フィーネ自身を疑っているわけではない。だが、フィーネの背後にはシンクがいるし、シンクの後ろにはヴァンだっている。ここまできて今更のように、アッシュはヴァンに対して不信感を抱き始めていた。明らかに世間知らずに仕立て上げられていたレプリカを見て、ヴァンから見た自分も実際にはあれと同じなのではないかと思ったからだ。

「でも、それなら一体誰のことを……あ、なぜかマルクトの陸艦に乗ってた、公爵家の息子ですか?」
「……そうだ。マルクトの手の内であいつを殺せば、和平交渉などその時点で叶うはずもないだろう」
「でも、公爵家ってキムラスカのですよ? それに、そんなことをしたら本当に戦争になります。師団長はキムラスカ国民が傷つくのは嫌なんじゃ……」
「どのみち預言スコアを滅ぼせば、戦争なんぞやってる暇もなくなる」
 
 きっと開戦には反対していると思われていたのだろう。アッシュの発言を聞いて、フィーネはちょっとぽかんと口を開けた。それからすぐに慌てたように、だめですよ、と言い募る。

「余計なことはするなって、シンクにも言われてましたし」
「敵対するふりなら良いと言ってたはずだがな。親書を狙ったことで、こちらは開戦を望んでいると思われてるんだ。逆に公爵家の人間を狙わないほうがおかしいし、ヴァンもいるなら当然庇うだろう。問題はない」
「そりゃ、本当にふりなら良いとは思いますけど……」

 困惑するフィーネをよそに、アッシュはベッドから立ち上がった。そしてそのまま脇に立てかけていた剣を腰に佩く。

「師団長……? まさか、」
「止めても無駄だぞ。公爵家の奴をどうするかはともかく、俺はヴァンに用事がある」
「え」
「来たければお前も一緒に来い。おおかたシンクの奴に、俺を見張れと言われているんだろう」
「……」

 元々一人で抜け出すことを考えていたが、撒けないのならフィーネごと連れて行くのもありだ。まったく行方をくらませてしまうと躍起になって探されるだろうが、フィーネという情報源がいれば、シンクも少しは自由行動に目を瞑るかもしれない。
 同じように立ち上がった彼女は説得の言葉を探してか、しばし口をぱくぱくと動かしていた。が、アッシュの目を見て説得は無理だと悟ったのだろう。ややあって諦めたようにため息をつく。

「わかりました、私も行きます」

 見張りを否定しなかった素直な部下に、アッシュはまだこちらに引き込む余地がありそうだな、と思った。


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mokuji