アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


15.良くない機嫌(99/151)

 導師の奪還も親書の強奪も叶わず、結局任務は振りだしに戻ったらしい。皆がタルタロスに戻ってくると、シンクは兵たちに帰還を命じ、この後の移動は元のダアトの陸艦で行うと告げた。ローテルロー橋が落ちた以上、奴らはカイツールへ向かうしかないわけで、後を追うこちらにしてみてもキムラスカ領でマルクト籍の陸艦は目立つからだろう。
 結局、残ったのは陸艦を動かすのに最低限の人員と、いつも通り計画の賛同者だけだった。こうして再び作戦室に集まってみても、特に目新しい顔などいない。

「……アリエッタはどうした?」

 むしろ、アッシュはこの場に魔物使いの少女の姿がないことに気がついて、隣に立っていたフィーネに小声で尋ねた。

「あ、えっと、アリエッタは友達を呼びに行きました。ライガ・クイーンがちょうど近くにいるらしくて」

 少し背伸びをしたフィーネが、同じくこそっと耳打ちを返してくる。友達と表現するとなんともこの場に不釣り合いな感じはするが、要するに援軍ということだろう。

「なるほど」

 人間の部下には聞かれてはまずいことも多くあるが、魔物であればその心配は要らない。この先少数精鋭で事に当たるのならば、アリエッタの友人たちは大いに役立つ。
 アッシュが納得していると、そこで不意に仮面越しとは思えないほど剣呑な視線が飛んできた。もちろん、仮面と言ってもフィーネではない。

「興味ないなら、出てくれてもいいけど?」

(なんだ、またえらく機嫌が悪いもんだな……)

 どうやら年若い参謀総長は些細な私語も許せないほど、作戦失敗に苛立っているらしい。会議が始まりそうな雰囲気だったため、アッシュはあえて声を落として隣のフィーネに聞いたのだが、ぴりぴりしたシンクの態度を見るにかえって裏目に出たようだ。少なくともアッシュはそう解釈して、早く始めろとばかりに顎をしゃくった。

「さっき、ヴァンから連絡があってね。どうやらヴァンもカイツールに向かっているらしい。奴らと直接合流するつもりみたいで、表立って強襲するような真似は避けろとのお達しが来た」
「閣下が直接来られるのか……それは申し訳ない話ね」
「ま、ヴァンの目的は導師サマだけじゃないみたいだけどねぇ」

 そこまで言うと、シンクはアッシュの方を見て意地悪く笑った。先ほどの件で完全に目を付けられたのか、仮面からちらりと覗く口元が歪な形に弧を描いている。

「大事な大事な、公爵家のお坊ちゃまのお迎えだってさ」
「!」

 そのあからさまに悪意しかない口ぶりに、アッシュは思わず奥歯を噛みしめた。元々シンクはこういう奴だと知っているけれど、何しろ話題が話題だけにアッシュも看過できない。

「あいつがタルタロスに乗っていたことも、予定のうちなのかっ」

 怒りが行動に現れるのはかろうじて抑えたが、それでも言葉の勢いは噛みつくようなものだった。隣のフィーネが驚いたようにこちらを見たのを感じる。一方のシンクは気にした風でもなく、まだ薄い笑みを浮かべていた。

「違うみたいだよ。だから今は、親書よりもあいつを無事にバチカルに戻すことが優先だ。モースは躍起になってるみたいだけど、元々ボクらは戦争なんてどうでもいいんだしね」

 戦争――。
 実際のところ、アッシュだって開戦を望んでいるわけではない。今は預言スコアを妄信するモースの目を欺くために、ヴァン以下六神将は従うふりをする必要があると理解しているだけだ。アリエッタだけは本当に、預言スコアだけでなく、預言スコアを信じて『導師』を必要とする国もなくなってしまえばいいと思っているようだが、幸いにして彼女は今この場にいない。

「……」

 ひとまずレプリカルークの存在が予定外だったと聞いて、アッシュは黙り込んだ。自分だけが知らされていなかったわけではない。それがわかっただけでもまだいい。
 アッシュが黙ると、その沈黙を埋めるようにラルゴが疑問を口にした。

「導師はもういいのか?」
「導師の件は余裕があればでいい。いっそ親書を届け終わって死霊使いネクロマンサーの目が離れたあとのほうが、攫いやすいだろうしね。セフィロトを回るのはそれからでも遅くない」
「それじゃあ、私たちはこちらの計画に疑いの目が向かぬよう、導師と親書を追う振りだけすればいいわね」
「その通り。モースの命令だってことを印象付けるために、ヴァンと表立って敵対して見せるのもいいんじゃない」

 つまりこれからは、必死になって奴らを追わなくても泳がせるだけでいいということだ。一連の方針自体には納得できたものの、アッシュにはやはり呑み込み切れない思いがある。優先事項の一番にあのレプリカがあることが、どうしても納得できない。
 
「……もう殺しても、構わないんじゃないのか」

 ぽつりと漏れたその呟きは、アッシュ本人が思っていたよりも大きく作戦室に響いたようだった。一気に全員の視線が集まるのを感じたけれども、既に発した言葉は取り消せない。この場にいる面子がどこまでアッシュの過去を知っているのかは定かでなかったが、アッシュはとにかくシンクだけを真っすぐに見つめた。

「ND2018になって、セフィロトの封印解除も始まった。もう十分、預言スコア信者共は誤魔化せたと思うが」

 レプリカルークの存在価値は、それだけのはずだった。ND2018までという期限付きだったから、アッシュは人生を譲ってやっていただけに過ぎない。

「あんな情けないやつ、今すぐ居なくなっても何の支障もないだろう」

 それなのに、代わりすらろくに務めていなかったレプリカの実態を目の当たりにして、いい加減に我慢の限界だと思った。今すぐ殺すというのは預言スコアに読まれた状況を無視した、感情に引きずられただけの発想でしかなかったけれど、アッシュはしつこく食い下がる。

「ダメだね」

 しかし熱くなるアッシュとは対照的に、シンクは面倒くさそうに息を吐いた。最初に突っかかってきたのが嘘みたいに、いつの間にか笑みも消えてすっかり冷めた態度だ。煽るのでも憐れむのでもないくせに、どこかアッシュのことを軽蔑するような雰囲気すらある。

「アンタは周囲が見えなくなってる。余計なこと、しないでよね」
「……」

 釘を刺すような言葉に、アッシュは返事をしなかった。しかしながら、元々これは本題からそれた話題。アッシュが返事しようとしまいと、そこで会議はお開きとなったのだった。


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