13.手抜き(97/151)
作戦は三割成功、七割失敗というところだろうか。マルクト軍の抵抗虚しく、陸艦タルタロスは驚くほど簡単に拿捕することができたし、そもそもの目的であるイオン様も無事に奪還して、シュレーの丘での用事も問題なく済んだらしい。 が、
「導師イオンは見つかったか」 「セントビナーには訪れていないようです」
アニスを追って一時的に下船していたフィーネが戻ると、戦況はものの見事にひっくり返されていた。どうも事前に聞き及んでいた以外にも戦力となる者がいたらしく、弱体化したはずの死霊使いにイオン様を奪い返され、緊急停止させられたタルタロスの動力機関も復旧までにしばらくかかると言う。 ひとまず最寄りのセントビナーの入口に検問を敷いたがこちらも空振りだったようで、番兵からの報告を聞いたリグレットとアリエッタの表情が曇った。どうやら最後にイオン様を護衛していたのは、彼女達だったらしい。
「で、導師守護役のほうはどうなったのさ」
不意に横合いからシンクの不機嫌そうな声が飛んできて、フィーネは思わずハッとした。他人の任務のことを気にしている場合ではない。フィーネが任されていた親書の件に関しても、現状悪い報告しかないのだ。
「ごめん……見失った。どうやらマルクト軍と接触してたみたいなんだけど、機密事項って言われて何も教えて貰えそうにない」
マルクト軍にイオン様が誘拐された、と騒ぐことができればまた事情が変わったかもしれないが、こちらもタルタロスの乗員を始末してきたばかりである。そもそも基本姿勢として中立のローレライ教団がマルクト軍の内部事情に深く介入できる権利もなく、いくら掛け合ってみても門前払いであった。 フィーネの報告を聞いたシンクは、呆れたように肩をすくめる。
「はぁ。まさかとは思うけど、友情とやらを優先して手を抜いたんじゃないだろうね?」 「!」
(もう既にイオン様とアニスには失望されたと思うのに……。それでも計画の為には仕方ないって思ってるのに……)
アニスを取り逃がしたのは失態だから、叱責されること自体は仕方ないと思っていた。だが能力ではなく気持ちのほうを疑われるとは思わず、フィーネはほとんど反射的にムッとする。結果がすべてだとわかっているけれど、シンクに疑われるのだけは悔しくて仕方がなかった。なぜなら今のフィーネは、幼馴染との約束の為に行動しているのではないからだ。
「……そう思われる働きしかできていないのは私の責任です、申し訳ございません」
だがそれも突き詰めればフィーネの我儘なわけで、抱いたもやもやを直接伝えることはできなかった。それでもどうしても不満はあるものだから、ほんの少しあてつけめいた態度をとる。
「な……」
突然フィーネが返した他人行儀な言葉に、シンクはぎょっとしたみたいだった。ばっとこちらを見た彼の口が何か言いたげに動いたが、シンクが言葉を発するよりも早く頭上から別の謝罪が降ってくる。
「いや、そもそも俺があの死霊使いに後れを取らなければ、アニスを取り逃がすこともなかった。面目ない」
負った傷は深いだろうに、律儀にセントビナーまで着いてきたラルゴが神妙そうな顔つきで言う。彼も彼で責任を感じているようで、フィーネのことを庇おうとしてくれたらしい。もはやこの場で明るい顔つきをしているのは、マイペースを地で行くディストだけであった。
「ハーッハッハッハ! だーかーらー言ったのです! あの性悪ジェイドを倒せるのはこの華麗なる神の使者、神託の盾六神将、薔薇のディスト様だけだと!」
彼は浮遊した椅子に乗ったまま、ぐるりと大きく旋回する。そんなこの場の雰囲気にそぐわない賑やかさが、どうやらシンクの気に障ったみたいだった。
「薔薇じゃなくて死神でしょ」 「この美し〜〜い私がどうして、薔薇でなくて死神なんですかっ!」 「美しいねぇ、お得意の譜業でも使ってとっととマトモな目に入れ替えたら?」 「なっ、それじゃあまるで私の目が悪いみたいじゃあないですか!」 「ハ、目だけだったらいいけどね」 「ムキー!」 「今はくだらない言い合いをしている場合ではない。どうするシンク?」
暇なときならともかくも、これからの方針を話し合うべき時にシンクがここまで脱線するのは珍しい。しかしながらリグレットが諫めた甲斐もあって、最終的にはディストを無視することに決めたようだった。参謀総長としてこの場を取り仕切るべきは彼なのだ。シンクは気分を切り替えるように小さく息を吐く。
「エンゲーブとセントビナーの兵は撤退させるよ」 「撤退だと? そんなわけには、」 「アンタはまだ怪我が癒えてない。 死霊使いに殺されかけたんだ。しばらく大人しくしてたら? それに奴らはカイツールから国境を超えるしかないんだ。このまま駐留してマルクト軍を刺激すると外交問題に発展する」 「おい! 無視するな!」 「カイツールでどう待ち受けるか……ね。一度タルタロスに戻って検討しましょう」
ラルゴが兵の撤退を命じ、同時にこちらもお開きの流れとなる。ディストはまだ食い下がっていたけれど、シンクは完全に視界に入れないことにしたらしかった。彼の仮面の切っ先がこちらを向き、フィーネもフィーネで慌てて顔を背ける。先ほどの態度について何か言われると思ったから、先手を打って立ち止まっていたアリエッタに声をかけた。
「戻らないの?」 「うん……。イオン様、また取られちゃったから……もっとお友達を呼んでこようと思うの。ちょうど今、ママがエンゲーブ近くにいるはずだから」 「そっか、里帰りの時期だったね。でもライガの森ってエンゲーブからかなり北じゃなかった?」 「ううん、いつものところとは違うの。火事で焼けちゃって……お引越ししたって」 「え、大丈夫だったの?」
何やら背後から物凄い圧を感じるが、フィーネは構わずアリエッタとの会話を続ける。わざわざ自分からシンクの小言を聞きたいとは思わないし、何よりライガの森が燃えたというのは一大事だ。フィーネが尋ねると、アリエッタはこくんと頷いた。
「うん、住処はなくなっちゃったけど……誰も煙に巻かれずに済んだって」 「そう、ならよかったね」 「フィーネ、」 「……」
流石に呼び止められてしまっては、いくらなんでも無視するわけにも行かない。フィーネは足を止めて仕方なく振り返ったが、それでもまだ普段通りに振舞う気にはなれなかった。
「なんでしょう」
敬語を続行すると、シンクは気勢をそがれたみたいに開きかけた口を閉ざす。それでも話しかけたのはシンクのほうなので、彼のほうから何か言わなければフィーネの側に用はない。
「さっきの……親書の件、もういいから」 「もういいってなんですか」 「言葉通りだよ。フィーネはアッシュを見張ってて。こっちのほうが問題になりそうだ」
そういえばアッシュは今も一人でタルタロスに残っているようだが、元々一人で行動するのが好きな人だし、どのみち上官がみんな陸艦を降りるわけにはいかなかったから仕方ない。 問題が何を指すのかはいまいちピンと来なかったけれど、もとよりフィーネに拒否権は無かった。
「かしこまりました」 「……」
他人が聞けば、いかにも模範的な返事。それなのにシンクはとても不服そうに、ぐにゃりと唇を曲げたのだった。
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mokuji
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