アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


10.認めがたい(94/151)

(マルクト兵ってのは、軟弱な奴らばっかりだな)

 作戦はおおむね計画通りに進行中。三百名程度と聞いていた乗員の中には軍人以外の非戦闘員も含まれていて、大物と言えるのはそれこそ死霊使いネクロマンサーくらいのものだろう。やはりどれだけリスクを大きく見積もっても、六神将が総出であたるほどの任務とは思えない。

「もう終わりか」

 アッシュは無様に地に伏した敵兵を見下ろして、不機嫌そうに鼻を鳴らした。手間がかからないのは結構なことだが雑魚を甚振る趣味はない。しかしながらこの作戦の指揮官には、アッシュに新しい任務を与える気はさらさら無いみたいだった。

「奥でまだ籠城中の奴がいるみたいだけど、時間の問題だね。そっちはボクがやる。親書が別に保管されている可能性もあるからね」
「悪いが、アッシュには艦橋ブリッジ前で見張りを頼めるか。操舵室の警備に着くより、そちらのほうがいいだろう」
「……」

 あえて返事をしなかったけれど、操舵室にいるのが誰なのかを思えば、リグレットの言う通り外にいるほうが余程いい。奥へと向かったシンクとリグレットを見送って、アッシュは主砲台横にある譜術台へと登る。少し高いここからならば、艦橋ブリッジの扉に続く道をくまなく見渡すことができた。

(……フィーネのほうは上手く行ったか)
 
 制圧済みのデッキはいたって静かなもので、アッシュはつい思考を脇へそらす。ダアトから導師が出奔するのを見逃した一件で、彼女はこちらが引くくらい平身低頭していたのだ。事が事だけに気にするなとも言い難く、扱いに困って直接シンクのところに報告に行かせたが、ケセドニアで集合した際には自責っぷりがだいぶ緩和されていたのでシンクがどうにかして宥めたようではあった。もしかするとこっぴどく叱責され、かえって気が楽になったのかもしれない。いわゆる師弟の関係が逆転した状態で、もはやどっちがどっちを気にかけているのかよくわからないあの二人の関係は、傍で見ているアッシュにも謎だった。少なくともアッシュはナタリアに励ましの意味で喝を入れることはあっても、酷い言葉を投げかけた覚えはない。その意味で、どちらかと言えば理解できないのはシンクのほうだった。

(まあなんにせよ、ここで無事に導師を奪還できれば丸く収まるだろう)

 アッシュはそう結論づけると、退屈の気配を吹き飛ばすように深く息を吐いた。そのときだった。

――トゥエ レイ ズェ クロア リョ トゥエ ズェ
 
(譜歌!?)

 咄嗟に剣を少し抜き、鞘を支える左手をずらして抜き身の刃を握る。一瞬走った痛みのおかげで意識を奪われることはなかったが、譜術台の下で警備についていた兵士たちが崩れ落ちるように倒れこむのが見えた。

(チッ、音律士クルーナーがいるのか。厄介だな)

 通常、譜歌による効果は譜術士フォニマーが扱う譜術に比べると見劣りするものだが、この音律士クルーナーはとびきりの名手らしい。真っ向からやりあうよりも不意を打つべきだと考えて、アッシュはそのまま身を隠し様子を伺った。

「ティアさん、すごいですの!」
「タルタロスを取り返しましょう。ティア、手伝ってください」
「はい」

 現れた敵は少数。声からして、ティアと呼ばれた女がおそらく先ほどの音律士クルーナーだ。その女と共に、明らかに一般兵とは異なる階級章のついた軍服を認めて、ラルゴは一体何をやっているんだ、と内心で悪態をつく。しかしながらその次にアッシュの視界に飛び込んできたのは、北部戦の仇敵である死霊使いネクロマンサーすら、どうでもいいと思えるほどの人物だった。

「俺は何をするんだ?」
「そこで見張りををしていて」
「……へっ、邪魔だってか」

 それを認識した瞬間、どくんどくん、と煩いくらいに自分の鼓動が耳に響く。そうやって心臓はせわしなく動いているというのに、さあっと血の気が引いていくような感覚に襲われた。

(なんで……なんであいつがここに……)

 どうあがいたって、見間違えようもない。かつてダアトを飛び出した際に一度だけ垣間見た自分のレプリカが、なぜか今まさに目の前にいる。

(あいつは時が来るまで、バチカルの屋敷でぬくぬくと過ごしているはずじゃなかったのか!? どうしてマルクトの陸艦になんか乗っていやがる!)

 死の預言スコアが読まれているアッシュの身代わりという名目で、実質的には名前も居場所も自分からすべて奪った忌々しい存在。預言スコア通りに事が進んでいると周囲に思わせるため、ヴァンが上手く手懐けているとは言っていたが、これも予定に含まれていることなのだろうか。

(クソ! 状況がわからない以上、接触するのはまずい……)

 それに純粋な憎しみ以外にも、アッシュは自分のレプリカに対して興味があった。過去に見た際は生まれたての赤ん坊同然だった奴が、この七年もの間に一体どう育ったのか。もうひとりの自分を観察するには絶好の機会だった。見張りを任されていたことをすっかり失念するほど、アッシュは食い入るように赤髪のレプリカを観察する。

「しかしまー、あんな攻撃でどうして寝ちまうのかねぇ」
「ティアさんの譜歌は第七音素セブンスフォニムですの」
「またそれだ。第七音素セブンスフォニムってなんだよ」

 魔物と意思疎通のできるアリエッタにも驚いたが、この聖獣の子は逆に人語を介するらしい。チーグルにこの世界の常識を説かれたレプリカは、それを恥じ入るわけでもなく感謝する素振りさえも見せない。それどころかチーグルを乱暴に掴み振り回し始めたのを見て、アッシュはぐっと拳を握った。先ほど譜歌をかわすために薄く切った手のひらが痛んだけれど、それよりも今は傷つけられた誇りのほうが深刻だ。

(何が完全同位体だ! あれが俺の代わりだってのか、ヤツはただの出来損ないだ!)

 キムラスカを遠く離れても貴族らしく気高く生きることを誓っていた自分が、こんな低俗な馬鹿者に成長しているわけがない。一旦そうやって侮蔑の眼差しを向けると、奴のなにもかもが鼻について見えた。キムラスカ王家の血を引く証である赤い髪も自分のそれよりもずっと色褪せて見えるし、立ち居振る舞いや口のきき方も子供じみていて、どれをとっても貴族どころかバチカル市民以下だ。
 
「ご、ごめんなさいですの〜!」

 不意に振り回されたチーグルの口からボウッと炎がこぼれ、風に煽られたそれが倒れていた神託の盾オラクル兵の甲冑に届く。その刺激でか、意識を失っていた兵士の上体がぴくりと動いた。

「お、驚かせやがって……! 一生寝てろ、タコ!」

 低俗な売り言葉に、児戯のような蹴り。だが、起き上がった兵士の剣が風を斬ると、レプリカは慌てふためいた様子で後ずさる。

「死ね……!」
「ひっ……く、来るな!」

 完全に腰が引けた様子で、奴は左手に剣を構える。アッシュとは異なる利き手。マナー通りに矯正される前の、教育を受けていない左手だ。

「うわぁああ!」

 恐怖に満ちた声を上げて、レプリカはやたらめったらに剣を振り回している。剣術のけの字もないその動きに、アッシュはぎりりと奥歯を噛みしめた。偽物のほうだって、ヴァンが指南していたはずなのだ。それなのにこの体たらく。兵士の刃から逃れようと向けた背中からは、何の覚悟もなく甘やかされて育ってきたのがありありと見て取れる。

「わあああ!」

 間一髪、つんのめるようにして刃をかわしたレプリカは、とうとうデッキに尻餅をついた。顔を背け、敵を遠ざけるようにがむしゃらに左手を突き出す。だからそれは偶然だった。神託の盾オラクル兵の腹に剣が沈んだタイミングで、計ったように艦橋ブリッジの扉が開く。

「な、なにが起きたの!?」
「さ、刺した……俺が……殺した……?」

 状況を問う質問にもろくに答えられず、顔面蒼白になってただ震えるだけのレプリカ。その目は虚ろで焦点が定まらず、今の騒ぎで譜歌の効果が切れ始めたことにも気が付いていない。

(限界だっ!)

 その無様なさまを目の当たりして、アッシュの中で耐えに耐えた怒りがとうとう爆発した。

「人を殺すことが怖いなら、剣なんて棄てちまいな! この出来損ないが!」

 ほとんど唸り声に近い言葉とともに、デッキに氷の刃が降り注ぐ。気づいても避けきることができなかった音律士クルーナーと放心状態だったレプリカは、ものの見事にその一撃で昏倒した。が、一人だけ素早い動きで攻撃をいなした者がいる。

「さすがは死霊使いネクロマンサー殿。しぶとくていらっしゃる」

 槍で氷を薙ぎ払った死霊使いネクロマンサーは、デッキに降り立ったアッシュを値踏みするように眺める。が、その視線が顔の位置まで来ると、彼は一瞬赤い瞳を揺らした。

「師団長! こいつらはいかがしますか」

 譜歌の効果から回復した兵士たちが、続々と集まってきてレプリカと女を取り囲む。

「殺せ」 
 
 アッシュは即座に吐き捨てる。だがそれとほぼ同時に、背後から鋭い声が飛んできた。

「アッシュ! 待て!」

 どうやら騒ぎを聞きつけたのは奴らだけではなかったらしい。リグレットの制止の声に、アッシュはこれでもかというほど眉間の皺を深くした。

「シンクは捕虜をとらなくていいと言っていたはずだ!」
「それは一般兵の話だ。閣下のご命令を忘れたか? それとも我を通すつもりか?」
「……」

 ND2018。今年、こいつは死ぬことになっている。預言スコア信者の手がダアトにいるアッシュにまで届かぬよう、預言スコアがこいつを殺すまで、世間を欺く必要があるとわかっている。だから、だからこうして今まで、アッシュは灰色の人生を耐え忍んできたのだ。

「ちっ。……捕らえてどこかの船室にでも閉じ込めておけ」

 出来損ないでも、今はレプリカが公爵様だ。人質をとられた形になる死霊使いネクロマンサーも抵抗の素振りを見せず、大人しく兵士たちに取り囲まれる。

「屑が……」

 じっとこちらを監視するようなリグレットの目から逃れるように、アッシュは大股でその場を去った。


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