08.強襲(92/151)
突如としてけたたましい警報音がタルタロスに響き渡り、アニスはチャンスとばかりに隣に立つファブレ公爵子息の腰に抱き着いた。
「ルーク様っ、どうしよう!」
音の正体は知らないし、深刻度もわからない。ただ守る相手のイオン様はここにいないので、今のアニスは盛大に守られる側を演じることができる。男性はおだてて、立てて、うまく使うに限る。キムラスカへの重要な伝手であることを差し引いても、このルークという青年は是非ともお近づきになっておきたい相手だった。
「艦橋! どうした?」
しかしそんなはるか先のことを考えていられるアニスとは違い、皇帝の名代として責任のあるジェイドのほうはそうもいかない。彼はすかさず壁に取り付けられた伝声管を使い、艦長に問いかける。
「報告せよ」 『前方二十キロ地点上空にグリフィンの大集団です! 総数は不明! 約十分後に接触します。師団長、主砲一斉砲撃の許可を願います』 「艦長はキミだ。艦のことは一任する」 『了解!』
歯切れのよい返事を皮切りに、艦内放送が戦闘配備を告げる。グリフィンの大集団と聞いて、ようやくアニスは少し気を引き締めた。普通、グリフィンは群れで行動しない魔物だ。もしかしてと嫌な予感が胸をよぎったところで、今度は艦体が大きく揺れる。
「どうした」 『グリフィンからライガが降下! 艦体に張り付き攻撃を加えています! 機関部が……うわぁぁ!』 「艦橋! 応答せよ、艦橋!」
ライガと聞けば、アニスが思い浮かべるのは魔物よりもとある人物である。だが、心当たりがあるのはアニスだけではないようで、ルークとミュウが不安そうに顔を見合わせた。
「ライガって、チーグルんとこで倒したあの魔物だよな」 「はいですの……」 「冗談じゃねぇっ! あんな魔物がうじゃうじゃ来てんのかよ!こんな陸艦に乗ってたら死んじまう! 俺は降りるからな!」 「待って、今外に出たら危険よ!」
ティアの制止もむなしく、聞き分けのない公爵様は一目散に駆け出していく。アニスも止めようかと思った。どう考えたってまともに戦えそうにもない彼が、一人で飛び出して行っても死ぬだけだろう。だが、アニスが声を張り上げるよりも早く、
「その通りだ」
黒い山を思わせるような巨躯の男が行く手を阻み、ルークはあえなく吹き飛ばされる。間髪入れずにジェイドが譜術での攻撃を行ったが、男はそれを振り払い、ルークの首にこれまた大きな鎌の刃を突き付けた。
「さすがだな、死霊使いジェイド」
男は不敵に笑った。その表情は挑発というよりも、純粋にただ嬉しそうに見える。息をのむだけのルークとは違って、敵と相対したジェイドもまたとても落ち着いていた。
「これはこれは。あなたほどではありませんよ。神託の盾騎士団六神将『黒獅子ラルゴ』」 「フ……。本当は正面から手合わせしたいと思っていたが、残念ながら今はイオン様を貰い受けるのが先だ」
(やっぱり、六神将はイオン様を連れ戻しに来たんだ!)
それなら魔物の集団は、おそらくアリエッタの仕業だろう。アニスは自分で情報を漏らしたくせに、ぎりりと奥歯を噛みしめる。ダアトから追っ手がかかる可能性はもちろん考えていたけれど、まさかここまで実力行使に訴えてくるとまでは思ってもみなかった。
(なんとかしてイオン様のところに行かなくちゃ……!)
しかし目の前ではファブレ公爵子息の命が人質にされている。マルクトの陸艦内で彼が命を落とすようなことがあれば、とてもじゃないが和平交渉どころの話ではないだろう。同じ理由でティアもジェイドも動き出せずにいるところ、ラルゴは不意に手に持っていた何かをジェイドに向かって投げつけた。
「まさか、封印術!?」 「ご名答」
炸裂した青い光がジェイドを包み、彼は苦しそうにその場に膝をつく。そのままラルゴはとどめを刺そうとしたのか、大きく一歩踏み出した。
「なっ……!」
だが距離が近づいたその一瞬の隙を突いて、ジェイドの体から鋭い槍の穂がきらめく。間一髪でラルゴは攻撃をかわしたが、ここで最も優先されるのは敵の撃破ではない。
「ミュウ! 第五音素を天井に! 早く!」 「は、はいですの!」
ミュウの吐いた炎が天井の譜石にあたり、周囲が眩い光に包まれる。咄嗟に顔を背けたアニスは、言われなくても次のジェイドの指示が読めた。
「今ですアニス! イオン様を!」 「はいっ!」
(大佐ってば、さっすがぁ〜)
目がくらんだラルゴの傍を走り抜け、アニスは一目散に駆け出していく。
「落ち合う場所はわかりますね!」 「大丈夫!」
イオン様が休んでいるとき、有事の際の行動については散々打ち合わせをした。基本的に導師守護役であるアニスは、敵との戦闘よりも導師の保護・避難を優先する。ただ、ジェイドはアニスに向かってこうも言った。
――場合によっては、あなたには導師よりも親書を優先してもらうことがあるかもしれません。できますか? ――はい……って、ええ!? そんなの、できるわけないじゃないですか! 大佐、私はあくまでイオン様の意思を尊重してこの旅に同行しているだけで、マルクト軍人じゃないんですからね! ――もちろんわかっていますよ。ただ、イオン様の意思を尊重するならそういう事態もありえるということです。 導師守護役はただの用心棒ですか? 主人の意を汲んでこそ、側近というべきなのだと思いますが。 ――……まったく、いい性格してますね、大佐
それほどでも、と胡散臭い笑みを浮かべたジェイドは、良くも悪くも大人だった。ただ、他の大人たちみたいに嘘や綺麗事で誤魔化さないというのはアニスにとって救いだった。
(大佐なら……私が裏切ったって知っても、淡々と切り捨ててくれるかな)
艦内を駆け抜けていくと、あちらこちらでマルクト兵と見慣れた神託の盾兵が戦っている。第一の精鋭部隊に、野生では考えられないほど統率の取れた魔物の群れ。たとえマルクト兵が殺されかかっていても、アニスには立ち止まって加勢する余裕はない。
(イオン様が大事なのはわかるけど、フツーここまでやる!? あったまおかしいんじゃないの!?)
心の中で悪態をついたが、つけばつくほど空しくなるだけだった。今この艦内で起きている惨劇は、全部アニスが引き起こしたことなのだ。高速艇からタルタロスに移ったときも、エンゲーブに着いたときにも、逐一情報を垂れ流しているのは他でもないアニス自身なのである。それでもまだ十二のアニスには、自分の起こした結果をありのまま受け止めることは難しかった。
(モースには誘拐じゃないって伝えたのに! 場所だって戦力だって報告してる! もっと穏便なやり方だってあったはずなのに……!)
パパ、ママ、と声に出してすがりたくなる気持ちを堪えて、アニスは代わりにイオン様! と叫んだ。
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mokuji
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