アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


07.顔はそこそこ(91/154)

 タルタロスほどの規模でなくとも神託の盾オラクルが所有している陸艦は存在する。しかも本艦は第五音素フィフスフォニムを原動力としており、ホバー走行することで海上航行も可能な優れものだ。とはいえ神託の盾オラクルにここまでの軍備が整ったのはここ数年の話であって、これほど大勢の兵士や魔物を乗せて海を渡るのも滅多にないことであった。

「標的はエンゲーブから、南に向かって陸艦で移動中。情報によればローテルロー橋が落とされて、イスパニア半島への通行が一時的に不可能になったらしい」

 いわゆる、六神将会議。いや、フィーネはこの場で唯一ただの補佐役なので、正確には総長に従う者の集まりと言った方がいいだろう。リグレットは合流したものの肝心の総長はこの場にいないため、参謀総長のシンクを中心として議論が進められていく。

「南と言うことは、ケセドニア経由でなく、カイツール経由でバチカルに向かうということか」
「だろうね。こっちとしてはそのほうが都合がいい。導師を奪還した後は、ボクとリグレットでそのままシュレーの丘に向かう」

 そう言って卓の上に地図を広げたシンクは、ルグニカ大陸を指でトントン、と叩いた。今の進軍ペースでいけば、エンゲーブとセントビナーの間くらいで追いつくことができるだろう。イオン様の出奔を看過してしまったことについて、フィーネはそれはもうかなりの責任を感じていた。絶対にここでイオン様を連れ戻さなければならない。そんなフィーネの焦りを知ってか知らずか、シンクは作戦における役割を発表していく。

「最初にグリフィンを使ってライガルを空挺降下させる。主力部隊はラルゴ、アリエッタ、それからフィーネだ。ラルゴは率先して死霊使いネクロマンサーの撃破にあたれ。アリエッタとフィーネは第一の兵とともに艦内を制圧しつつ、導師と親書の回収を目指すこと」
「わかった!」
「頑張る、です」

 フィーネは隣のアリエッタと顔を見合わせ、小さく頷く。親書というのはマルクトからキムラスカに向けた和平交渉の手紙らしい。初めは推測に過ぎなかったその内容も、シンクがいつの間にか裏を取ったようだった。

艦橋ブリッジは残りの面子で迅速に制圧するよ。操舵はディスト、アンタに任せる。さっきも言ったけど、導師の身柄を確保次第、ボクとリグレットは抜けるからね。アッシュとくだらない喧嘩をしたりして、奪い返されることがあったら許さないからよろしく。あ、そうそう、こっちの人手が限られてるから、いちいち捕虜を取る必要はないよ」

 正式に開戦していれば捕虜の扱いなどまた少々ややこしくなってくるが、導師を秘密裏に連れ出した時点でマルクト側も後ろ暗いことに変わりない。下手に敵兵を捕えればその分見張りが必要になるし、つまるところ、構わず殺せ、ということだろう。
 もちろん、会議の参加者の中でその程度のことに動揺する者はいなかった。

「やれやれ、仕方ありませんねぇ。今回だけは特別に! ジェイドを倒す役を譲ってあげますよ」

 陸艦もいわば、巨大な譜業装置のようなものだ。割り当てられた役をお気に召したらしいディストは、大げさな動きで足を組み替える。そう言えば、やけに死霊使いネクロマンサーに拘るなと思っていたが、あのジェイド・カーティスとディストの幼馴染――つまりはフォミクリーの生みの親であるバルフォア博士は同一人物らしい。その事実をディストの口から聞いたとき、フィーネはなんて因果だと心の中で呻いた。今、彼と一緒にいるはずのイオン様はこのことを知っているのだろうか。

(そもそも、イオン様が自分の生を憎んでいるかはわからないけど……)

 フィーネは地図から顔を上げ、気づかれないようにシンクを盗み見る。仮面のせいで口元しか見えないけれど、今こうして強襲作戦について話している彼はとても生き生きとして見えた。

「じゃ、これで決まりだね。各自、戦闘開始に備えて」
「おい、本当にあの死霊使いネクロマンサーをラルゴ一人でやれるのか」

 さて、滞りなく配置が決まったと思っていると、意外なところから待ったがかかった。眉間に皺を寄せたアッシュが、睨み上げるようにしてラルゴを見ている。

「別にあんたを軽んじてるわけじゃない。だが、北部戦の小賢しさを思えば、俺もそっちに回った方が良いかと思うんだがな」
「まぁ、相手の懐に飛び込むわけだからな。罠があってもおかしくはないだろう」
「ラルゴ、これを。閣下から預かってきた」

 すい、とリグレットが前に進み出て、手のひらサイズの立方体をラルゴに向かって差し出す。フィーネには何かわからなかったが、それを見た瞬間、ディストが驚いたように声をあげた。

「まさか、封印術アンチフォンスロットですか!?」
「へぇ、大サービスじゃない。ヴァンは死霊使いネクロマンサーをそれだけ高く見積もっているということか」
「本気らしいな」

 名前を聞けば、シンクもアッシュも立方体の正体がわかったらしい。流石になんですか? とこの場で聞くのは気が引けて、フィーネは話が進むのを黙って見守っていた。

「いや、元はと言えば導師の譜術を封じる用に準備していたらしいが、好きに使えとおっしゃってくださった。ダアト式譜術は脅威だが、導師の回収にアリエッタとフィーネがあたるのであれば、あれも滅多な真似はしないだろう」
「フン、よかったね。お優しい導師サマでさぁ」
「……? イオン様はいつも優しい、です」
「だろうねぇ。なんてったってアンタを突然、導師守護役フォンマスターガーディアンから外しちゃうくらいなんだし」
「シンク、」

 確かにそれは『イオン』の優しさかもしれない。執着とも呼べるかもしれないが、孤独と恐怖に耐えてまで、彼はアリエッタに自分の運命を告げなかったのだ。しかしながらそんな事情を知らないアリエッタにとっては、シンクの言葉はただの嫌味でしかない。フィーネが咎めるように名前を呼べば、シンクはふいとそっぽを向いた。

「ま、これでアッシュも文句はないでしょ。ラルゴも使いたくないとか、ワガママ言わないでよね」
「ああ。本気で手合わせできないのは残念だが、任務遂行のためだ。全力を尽くそう」

 ラルゴが頷けば、もうそれ以上誰も異議を唱えるものはいなかった。会議はそのまま解散の流れとなり、皆次々と作戦室を出ていく。フィーネはアリエッタを励ますべきか、と迷ったものの、結局彼女を追わずにその場に留まった。うまい慰めの言葉が見つからなかったのもそうだし、シンクのさっきの態度を見て、少し不安がわいたからだ。

「……なに、ボクに説教でもする気なの」

 シンクは出ていく気配のないフィーネに気がつくと、酷く嫌そうに唇を歪めた。

「いや、違う。シュレーの丘に、私もついていかなくていいのかなって」

 いくらリグレットがいるとわかっていても、シンクとイオン様を一緒にするのは精神的に良くないのではないだろうか。これまではダアト式譜術の訓練で接点があったことからも、シンクの憎しみはフィーネの幼馴染のほうへ多く向いていた。が、彼が死んだ今となっては、次に比べる先は選ばれたほうのイオン様だ。イオンと違って、イオン様はやり返すようなタイプでもないし、そもそもあちらは身体も丈夫ではない。

「アリエッタを回せないのはわかるけど……もう一人くらい、間に入ってもいいのかなって」
「フン、導師が気になるの? アンタ、よっぽどあの顔がお気に入りらしいね」
「……」

 確かに服装も相まって、遠目に見るイオン様には死んだ幼馴染がよぎることもある。散々導師という立場の愚痴を聞かされてきたから、ああやって教団の飾りにされていることについても同情していた。が、なんでもかんでもイオンに結び付けて、煽るようなシンクの言い方は気に入らない。先ほどのアリエッタの件もそうだ。シンクがイオンやイオン様を憎むことはまだ理解を示せるが、だからといって健気にイオンを思うアリエッタを傷つけていいわけじゃない。

「誰も顔の話なんてしてない」
「どうだろうね。実際アリエッタだって、二年以上経っても入れ替わりにちっとも気づく気配がないじゃないか。結局あの顔なら誰だっていいんだよ」
「じゃあその理屈だと、私もアリエッタもシンクの顔がそこそこ好きってことになるけど、ほんとにそれでいいんだね?」
「……妙な言い方をするな」

 好意を示されることをシンクは嫌う。だが、『あの顔』理論はシンクが言い出したことなので、自分で撤回するよりほかにない。
 案の定、シンクは苦り切ったように唇を噛んだ。

「だいたい……同じ顔なのに、なんでボクには『そこそこ』がつくんだよ」
「表情が違うと、印象も違うから」

 イオンも預言スコアを憎んでいたが、アリエッタと出会ってからの彼はとても穏やかで、この世のすべてを憎んでいるとまでは感じなかった。自らの死の運命を知ったあとはかなり虚無的な部分が目立ったが、元々は周囲の大人を見下しながらもそれなりに自分の境遇とは折り合いをつけていたように思う。
 フィーネの言葉に、シンクはまた皮肉っぽく笑った。

「ああそう、悪かったね。性格の歪みが顔に出ててさ」
「……」
「……なにか言えよ」
「えっと、あんまりフォローが思いつかなくて……」
「ホント、アンタ最悪」
「でも性格が悪いほうが、シンクは生き生きしてていいよ」
「どっちなんだよ。さっきのボクの態度に何かしら思うところがあったんじゃないの」
「それはそう、なんだけど……」

 自分でも帰着点を見失ってしまったが、どちらも正直なフィーネの気持ちだ。アリエッタを抉るような言動はやめてほしいし、何かにつけてイオンを引き合いに出されるのも息が詰まる。しかしながらその一方で、臆面もなく感情を露わにできるシンクの姿が好ましくもあった。
 口ごもってしまったフィーネに、シンクは呆れたようにため息をつく。
 
「まぁ、いい。とにかく作戦に変更は無いよ。フィーネはこっちのことより、自分のオトモダチの心配でもしてれば」
「お友達って……」
「導師はボクが連れて行くんだ。となると、アリエッタを止められるのはアンタくらいしかいないよ。導師守護役フォンマスターガーディアンの座を奪われたうえ、導師をたぶらかしたんだ。きっとアリエッタはアニスを許さないだろうね」
「……いくらアリエッタが怒っていても、そこまで酷いことはしないと思うけど」
「だといいね」

 不安を煽るようなシンクの物言いに、フィーネはぐっと黙り込む。たとえ計画の果てに二人の存在が失われるのだとしても、自分の友人同士の殺して殺されてを見たいわけじゃない。

「……わかった。シンクの言う通りにするよ」

 フィーネが言うと、それが当然だというようにシンクは肩を竦めただけだった。

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