■ 49.フードの下
「リアの奴まじでどこ行ったんだよ……」
とうとう残り24時間を切って、本当にもう時間はない。
ゴンが旅団を倒しに行くと決めた後、それから必死で蜘蛛の手がかりを探した。が、一番何かを知ってそうなリアが、あの日少し席を外すと言ったっきり戻ってこない。
リアだっていつ狙われてもおかしくない身なのだから本来ならば彼女のことも探すべきだが、正直クラピカのことだけでそこまで手が回っていないのも事実だった。
キルアは寝込んだままのクラピカの横に座り込み、いなくなった彼女のことを想う。医療を志しているレオリオがずっと面倒を見ていたが、そう付きっ切りではレオリオの方が参ってしまうだろう。それに蜘蛛の団員がここに攻めてきたときのことを考えて、戦力的にも交代でクラピカの様子を見る必要があった。
「やっぱりあの時、イルミの取引に応じてたら……」
それはずっとずっと心に引っかかったままのことで、特にこうして苦しそうなクラピカを見る度に後悔の波が押し寄せる。ゴン達の前では口が裂けても言えないが、一人になれば常に考えてしまっていた。幸い、眠ったままのクラピカにその呟きは届かなかったようだが、現状は一向に変わらないのだ。
キルアはため息をつくと、とりあえず彼の額に乗せられたタオルを交換しようと手を伸ばした。
そして、今更ながらふと気づく。
「なんだ?これ……」
クラピカの頭のところに置かれた紙切れと、透き通った青色の液体が入った小さなアンプル。
紙切れを開くとそこにはガタガタに歪んだ文字で、短くこう記されていた。
クラピカ。くすり。
「リア……?」
それを見た瞬間、キルアは思わず呟いていた。今までにリアが書いた文字を見たことは無かったが、確かに彼女が残したものだと直感した。アンプルを掴んだまま、勢いよく立ち上がる。
「リア!どこだ!?」
部屋の中の気配を探るがもちろん誰もおらず、期待した返事も返って来ない。くすり、と示されたこれはたぶんクラピカを助けるための解毒剤に違いないが、なぜ彼女がこれを手に入れられたのだろう。そしてどうして直接渡さずにこんなメモを残した?レオリオと交代したのはつい先程で、彼女が誰にも気づかれずにここに来るならそのタイミングしかない。それならばまだ彼女はこの近くにいるはずだ。
キルアは慌てて窓際に駆け寄ると、身を乗り出して必死で目を凝らした。
「リア!」
そして案の定、遠くの方に見慣れたフード姿を視界にとらえる。名前を呼べば彼女はぴたりと足を止め、身体をこちらに向けた。
「どういうことだよ!これ……お前が、何で……」
声が届く届かないは関係無しに、キルアは問わずにはいられなかった。リアは相変わらずフードを被ったまま、ゆっくりと首を横に振る。それは聞くな、ということだったのかもしれない。そのまま彼女は一言も発さずに片手を上げると、手のひらを向けて小さく振った。
─さよなら。
それは最もわかりやすいジェスチャーで、キルアはただ呆然とそれを見ていた。
「っ、なんで…!おい、待てよ!リア!」
だが、すぐに我に返るとビルから飛び降り、彼女の後を追う。けれども彼女は例によって例のごとく念を遣って消えてしまった。かなり距離もあったし、残念ながらキルアは円があまり得意ではない。見失ったキルアの足が減速して、やがて止まってしまうのは時間の問題だった。
「……リア、まさか……」
ある物を手に入れるのには、何かしらの対価を払わねばならない。手に入れたいものの価値が高ければ高いほど必要な対価は大きくなり、普段の日常ではその対価に当たるものが貨幣である。
しかし今回はそれすらも違った。
取引をしよう。そう言った兄の顔が嫌でも思い出される。リアは誰と何の取引をした?彼女が対価として支払ったものはなんだ?
答えは考えなくてもすぐに出た。なぜなら、解毒剤をもっているのはイルミともう一人しかいない。そしてあの男がリアに望むことといったら……。
「……なんで、だよ……」
直接会いには来なかった、彼女のあのフードの下。そこにあの美しい緋色は存在していたのだろうか。
「リアの、馬鹿野郎っ……」
呟いて、キルアは手に持ったままだったアンプルを大事に握りなおした。とにかく今は時間が無い。彼女を探すのはクラピカを救ってからだ。そうでなければ、リアがしたことが全部無駄になる。
駆け出したキルアはもう振り返らなかった。
それが一番リアのためになると思ったからだった。
※
「チッ、結局時間切れかよ……納得いかねーな」
普段は時計を意識して生活などしていない。それでも今日は特別で、鎖野郎に毒を投与してからきっちり一週間後。アジトに戻ってきた団員たちは、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。
だが、解毒剤をリアに渡したクロロだけは、鎖野郎がまだ生きていることを知っている。それを団員たちに伝えてもよかったし、いずれは伝えるつもりだったけれど、少なくとも今はそんな気分になれないでいた。
「……で、結局団長の欲しかったものって手に入ったの?」
前に少しだけ話をしてあったシャルの質問は当然で、クロロは黙って首を横に振った。そして話すことは無いと言う風に立ち上がると、静かに自室へと向かう。
「あっれ、あの緋の目って鎖野郎のじゃなかったのかなー?わざわざ猶予を与えて絶望を味わせるくらいだから、団長が欲しいって言ってたの、絶対あれだと思ってたのに」
「アタシもちらっと見たけど、今まで見たどの緋の目より綺麗だったよね。
じゃあ一体、あれはどこから盗ってきたんだろう」
クロロは後ろに聞こえる会話にも足を止めず、そのまま廊下を歩いていく。冷たいドアノブを回すと、部屋の中の『彼女』がまっすぐにこちらを見つめていた。
「……リア、」
思わず名前呼ぶが、当然返事は返ってこない。自分の声だけが虚しく響いて、やがてそれすらも沈黙に溶け込んでいく。
そもそもクロロは本心からあんなことを言ったわけではなかった。ただ、鎖野郎を必死になって助けようとする彼女が憎くて、絶対にできないことを言ってやろうとしただけだった。
過去に目の前で両親の目を抉られた姿を見たリアは、とがったものはおろか指すら瞳に近づけるのを恐れる。だからこそ自分でコンタクトを入れることもできず、ああやってフードを被ったり盲目のふりをしたりして生きてきたのだ。そして、それを覚えていたクロロは命じゃなく瞳を寄越せだなんて無理難題を突き付けた。鎖野郎を見捨てる彼女を見たかった、それだけだったのに……。
「……欲しかったのは最初から瞳なんかじゃなかったんだ」
狭い容器の中で、煌々と輝く美しい二対の緋色。
クロロはこんな簡単なこと今まで気が付かなかった自分が憎くて憎くて仕方がなかった。
だが、残念なことに過ぎてしまった時間はもう巻き戻せない。代わりに懺悔するように瞳に話しかけ、あの時は言えなかった、気づかなかった本心を全部ぶちまける。
「俺はお前のことが好きになっていたんだ……。
瞳じゃなくて、お前自身が」
少なくとも昔は恋愛感情なんてなかった。リアが自分に向ける好意には気づいていたが、はっきり言って恋だの愛だのは全く興味の外。ただ好かれているのは都合がいい、それだけでしかない。
だが再会して目の前で変わっていく彼女を見ているうちに、色づいた瞳より笑顔に惹かれるようになった。希望に満ちた表情で幸せそうに話をする彼女がとにかく眩しかった。
本当はそれが欲しかっただけなのに、クロロは自分でその光を塗りつぶしてしまったのだ。
「はは、今更何を言っても遅いんだけどな……」
─綺麗だよ、リア。
見つめ合った瞳は確かに彼女の物だった。色だって団員達が言うように、この上なく美しい。けれどももういつもみたいに、心が満たされることはないのだった。
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クラピカend
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クロロend
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