■ 47.仕組まれた取引
イルミがそう言いだすことは、なんとなく予想していた。
そして案の定、キルアがイエスもノーも言わない内から、兄は取引の内容を話し始める。
「解毒剤は今のところこの世に2本。1つはクロロに毒と一緒に渡した。そしてもう一つはオレが持ってる。クロロにそこの金髪を助けるなとは言われてないし、オレとしてはそいつが生きていても特に問題はない」
「……」
「だからキルに解毒剤を渡してあげてもいいんだけど、ほら、うちってギブアンドテイクが基本だろ?でも生憎、オレはお金には困ってないしね」
それならばイルミがキルアに望むこととは一体なんだろうか。残念ながら答えは聞かなくてもわかっている。キルアの迷いを感じ取ったのか、さらにイルミは畳みかけるように選択肢を一つ潰した。
「アルカは前よりも厳重に管理されてるよ、一度母さんをダシに使ったお前に、親父がまたアルカの使用許可を出すとは限らない」
「……アルカはモノじゃない!」
「お前にそれを言う資格があるの?」
イルミの言葉に、キルアは黙り込むしかなかった。確かにどれだけ綺麗事を言おうと、自分がアルカの能力を利用しようとしていることには変わりない。イルミは二人の間に生まれた沈黙を楽しむように、僅かに目を細めた。
「キル、何も難しいことじゃないよ。お前だって、アルカを一人残してきて心配なんだろう?お前が頑なに拒絶したところで家業が変わるわけでも、オレや親父に殺される人間が減るわけでもない。
それなら、少しでも家族で協力して仕事をした方がいいじゃないか。アルカを使えば今までよりもずっと効率よく安全に仕事を遂行できる。アルカも牢から出られて万々歳さ」
「は……家族だって?笑わせんなよ。先にアルカを家族じゃないって言ったのはお前らの方じゃねーか!」
「制御できない力を恐れるのは当たり前だろう?
ま、いいよ。お前が『家族』であるアルカを守るために、その『トモダチ』を見捨てるって言うならオレも文句はないからね」
「……っ!」
結局のところそうなのだ。いくらここで押し問答をしようと、イルミの手に解毒剤があることに変わりはない。キルアは口内の乾きを感じて無意識のうちにごくりと唾をのんだ。自分だけならばまだしも、アルカのこともかかっている。そう簡単には決断できなかった。
「キルア、耳を貸すな、私のことは放っておけ……!」
後ろからクラピカに袖を引かれ、キルアはハッとする。しかし振り返って見た彼の表情は苦しそうで心が揺れた。「ふーん、お前の『トモダチ』ってやっぱりその程度なんだね」抑揚のないはずのイルミの声が、どこか楽しげに響いて聞こえる。
キルアはぐっと拳を握りしめた。やっぱり他にクラピカを救う方法なんて思いつかない。
「その程度なんかじゃない……オレは、」「バカヤロー!」
不意に、何もかも打ち消してしまうような怒鳴り声。キルアが驚いて顔を上げるといつのまにか外にいたはずの二人が戻ってきていた。
「何がその程度だよ!ダチっつうのは平等なんだ!だからこそどっちかが犠牲になんてなれるか!」
「キルア!イルミの言うことなんて聞く必要ないよ!キルアが辛い思いをする必要なんてない!」
「ゴン、レオリオ……お前ら……」
二人はまっすぐに目の前のイルミを睨みつけ、険しい顔をしていた。一方でイルミはというと、またお前らかと言わんばかりにゆっくりと瞬きをする。
重苦しかった空気が一気に変わって、少し呼吸がしやすくなったような気さえした。
「キルアがなかなか降りてこねーなと思ったら、またおめーかよ。いい加減にしろよな!」
「はぁ、それはこっちの台詞なんだけど。だいだいオレは解毒剤の情報を持ってきたんだから、感謝されこそすれ文句を言われる筋合いはないよ」
「そ、そうなのか……?」
解毒剤、という言葉に、一瞬レオリオの表情が和らぐ。どうやら『トモダチ』うんぬんのところしか聞いていなかったらしく、ようやく話の重大さがわかったみたいだ。
しかしゴンはキルアの前に割って入ると、全く怖気づくこともせずにイルミに向かってくってかかった。
「どうせ簡単には渡してくれないじゃんか!」
「当たり前だろ、これは取引なんだ。キルアがうちに帰ってくるなら、そっちの金髪を助けてあげる」
「そんなことできるわけないだろ!お前らがキルアをどうするかはわかってるんだ!」
「だったらせいぜい残りわずかの日数で、思い出作りにでも励むんだね。世界中探したってその毒の解毒剤はオレとクロロしか持ってないから」
決定的な一言を言われ、キルアは唇を噛んだ。ゴン達が来てくれて嬉しかったしとても心強いけれど、このままじゃ状況は何も変わらないのだ。「ゴン……やっぱりオレ、」ゾルディックに戻ったところで、キルアは死ぬわけじゃない。それなら急を要するクラピカを優先するのは至極当たり前な判断なのではないだろうか。庇ってくれたその気持ちだけで十分だと、キルアはゴンの肩に手を置いた。
「だったら、旅団に頼みに行くよ!それで駄目なら、戦ってでも貰う!」
「…っ!?」
ゴンの力強い宣言に、キルアは驚いて固まってしまった。これには流石のイルミも予想外だったみたいで、細い眉がぴくりと動く。
「……は?お前どこまで馬鹿なの?蜘蛛に挑もうってわけ?」
「そうだよ、方法があるなら最後まで諦めない!」
「……」
ゴンの言葉が冗談ではないとわかって、イルミは顎に手をやると少し考え込んだ。「ま、どうせ無理だろうけど、向こうにはカルもいるしクロロだってキルを知ってるし…」そして最後には、好きにしたら?なんてあっさりと首を傾げた。
「何度も言うけどあくまでこれは取引だから無理矢理には連れて行ったりしないよ。でも後で後悔しないようにせいぜい頑張ってね」
じゃ、とイルミは自然な動作で窓枠に足をかける。ひらりとその姿が視界から消えてやっと、キルアはふうと息を吐いて脱力した。「大丈夫?キルア」「あぁ……平気だよありがとな」もしあのタイミングでゴン達が来てくれなかったら、と思うと嫌な汗が背中を伝う。
「ゴン、でも旅団と戦うって、」
「そうだ、お前たちまで巻き込むわけにはいかない……奴らは私が…」
「やるしかないよ」
クラピカを助けるためには、それしかない。
ゴンが覚悟を決めた様子でそう呟いたため、誰もすぐには反論できなかった。
が、正直イルミが言ったように望みは薄い。それにまずは蜘蛛を見つけるところから始めなければならない。
「とりあえずリアが戻ってきたら作戦を立てよう。リアなら何か蜘蛛のことを知ってるかもしれない」
「……そうだな」
ゴンはリアとクロロが会っていた時の様子を見ていない。キルアは頷いたが、あんなに笑顔だったリアが蜘蛛を売るのかどうか、確信が持てないままでいた。
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