- ナノ -

■ 30.揺れる瞳

レオリオに言われたことは、クラピカの心の中でずっと引っかかっていた。
もちろん今日またいつものようにリアの部屋を訪ねた際、彼女の様子をそれとなく観察してはみたのだが、昼間に寝た分眠そうな雰囲気は見受けられない。

けれどもやっぱり読書量は落ちているみたいで、15分もすれば本の内容についての話はあっさりと終わってしまった。

「…ごめんね、まだそこまでしか読めてないの」

そっと本を閉じた彼女にクラピカは首を振る。

「いや、構わない。それよりもリアが無理をしないほうが大事だ」

「……」

「レオリオから少し注意されてな。やはりちゃんと休息は取ったほうがいい」

そう言うと、仄かな読書灯の灯りを受けて彼女の紅い瞳がゆら、と揺れる。そうでなくても彼女が黙るのは、何か言えないことがある証拠だった。

「本の続きは別に毎日でなくてもいいんだ。
2、3日でも1週間でも、リアのタイミングで構わない」

「……うん」

しかしクラピカはあえて彼女の隠し事について直接追及することはしなかった。いや、できなかったと言った方が正しいだろう。
いくら同族といえど、いくら少しづつ距離が縮まってきていても、まだお互いに知られたくないことくらいあってもおかしくはない。

素直に頷いたリアを見て、まだ話してくれる気はないのだなとどこか寂しい気持ちで部屋を後にする。

「それじゃあ、おやすみ」「おやすみなさい」

彼女が眠ることが無いのを知っていてそんな挨拶を交わすのは、酷く虚しいことのように思われた。





「クロロ、」

「……早かったな」

名前を呼ばれてようやく、リアが到着したことを知る。彼女はいつも念を使って隠れながらここまで来るが、クロロですらよほど集中しなければ気配に気づかない。
密会の場所は大体街はずれの空き家や廃墟で、入って来るなりリアは躊躇いなくフードを外した。

「うん、早く会いたくて」

ボロボロな椅子に腰かけ、リアは照れたように笑う。ここでなら誰かに見られる心配はないし、油断している部分もあるのだろう。不安な時のほうが瞳の色が鮮やかなためクロロは今まで気づかなかったが、彼女が笑った顔はとても可愛らしかった。

「……そういうことは俺に言うものじゃないと思うがな」

「え?」

けれどもきっと、彼女が自分に向けているのは親愛の情。そもそもリアは世の中のことを知らなさすぎるのだ。
自分をこんなにも慕うのは、恩人という部分が大きいからだろう。頼れる相手がクロロしかいなかったというだけだろう。
だからこそ今、リアの目の前に同胞である鎖野郎が現れて、クロロは彼女の心が遠ざかってしまうのではないかと密かに考えていた。

「…いや、なんでもない。
それより今日はリアの『友達』の話を聞かせてくれないか」

「…いいけど、でも最近はトランプぐらいしかしてないよ。クラピカも忙しいみたいだし、それに…」

「お前も寝てなくてぼうっとすることが多い、ということか?」

「で、でも今日はお昼に寝たから大丈夫だよ!」

図星だったのか、慌てた様子でリアが首を振るが、クロロは彼女が寝不足なことくらいとっくにわかっていた。
いや、わかっていてあえて彼女と会うペースを落とさなかったのだ。

その行動の理由は自分でもわかるようでわからない。彼女の幸せを願うなら彼女に会うべきではないことくらいわかっている。もしも鎖野郎にこの関係が露見したら、彼女の立場が危うくなるのもわかっていた。

それでも連日のように約束を取り付け、彼女を寝不足にまでさせたのは、リアにとっての自分の価値を確かめたいという女々しい思いや、いっそ鎖野郎に悟られてしまえという自分勝手な思いなのかもしれない。
しかしそれが結果的に彼女を苦しめているならそこまでして自分の想いを優先させるべきなのだろうか。

それは今まで自分の欲望そのままに行動にしてきたクロロにとって、考えさせられる問題だった「……無理な時は断ってもいいんだぞ」苦し紛れに心にもないことを言えば、彼女は昔のように紅い瞳を揺らす。

「皆、そう言うんだね……。
私は大丈夫なのに」

「皆?」

「……心配かけちゃってるの。
あ、でも別にこれはクロロのせいじゃなくて私がぼうっとしてるからだけど」

「……そうか」

やはり、狙い通りのことが起こっているらしい。そのせいで彼女はまさに板挟みのような状態だが、事が露見すればその重圧は今の比ではないだろう。
それでもクロロは相槌を打っただけで会うのをやめようとは言わなかった。

そしてその代わりに、もう一つ彼女の世界を壊すきっかけを彼女に手渡した。

「香りには眠りの質を良くするものもある。これを付けるといい」

「これ……ペンダント?」

クロロが手渡したのはアロマペンダントと呼ばれる、ハート型のチャームに香水やオイルを入れられるものだった。中には白いフィルターが入っていて、そこには既にクロロが選んだオイルが染み込ませてある。

「いい、の?私にくれるの……?」

「あぁ、もちろんだ」

リアはそれを手に取ると、ぱあっと顔を輝かせた。

「……嬉しい…嬉しいよ、クロロ」

今まで生活に必要な衣類を買ってやったことはあっても、装飾品の類を渡したのは初めてである。
早速、首元に当てて見せてくすぐったそうな笑みを見せる彼女に、クロロは知らず知らず微笑んでいた。

「ありがとう、クロロ」

「気に入ってもらえたみたいで何よりだ」

しかしその笑顔はただ清いだけではない。
香りというのは時として、誰の所有物であるかを言葉よりも明確に表すからだ。


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