- ナノ -

■ 2.ぶつかる視線

「クラピカ、ボスが呼んでるわ」

「そうか…わかった。すぐに向かう」

センリツの言葉に、クラピカは思わず暗い表情になる。
一体今日で何度目だろうか。
他にもやらねばならない仕事は山のようにあるのだから、いちいち下らないことで呼び出されては迷惑だとしか言いようがない。

だがそれでもクラピカは、やりかけの仕事をそのままに席を立った。

「今度は何だ?」

部屋の入り口で佇む彼女に問いかけると、困ったような表情になる。

「またいつものことよ…強い不安の心音。可哀想なくらいだわ」

クラピカは小さくため息をついた。

ネオンが占いを出来なくなってからというもの、ボスである彼女の父親はヒステリー状態だった。
まぁ、無理もない。
実際このファミリーはネオンの占いでここまで大きくなったも同然であるし、ヨークシンの競売では多大な負債を背負った。
それをクラピカがほとんど一人で立て直したものだから、当然ボスの関心は、娘のネオンからクラピカへと移行する。

今や単なるボディーガードではなくなったクラピカはノーストラードファミリーにとって欠かせない人物となっていた。

「それじゃ伝えたわよ。クラピカ」

「ああ」

部屋を出て、長い廊下を歩く。
今はネオンの計らいでスクワラの弔いに再びヨークシンへと戻ってきている。
侍女のエリザのために行動できるようになるなど、彼女もずいぶんと成長したようだ。
しかし、目立った装飾品は売り払われ、本家よりもさらに寂れてしまった屋敷にいると、こちらの気持ちまで滅入ってきそうだった。

「失礼します。
ボス、お呼びでしょうか」

部屋に入ると、椅子に腰かけていたボスは立ち上がった。
ここ数年の間にすっかり老けてしまったようにも思える。
よろよろとよろめきながらクラピカの前まで来ると、ぐっと両手でクラピカの手を掴んだ。

「どうだね、どうなっているんだね?」

「セルリオーネファミリーとの取引は無事成功しました。
今のところ何の問題もありません」

わざわざセンリツに聞くまでもなく、目の前の男に瞳にはありありと不安が滲んでいた。
大きなお世話かもしれないが、とてもファミリーのボスをやれるような器ではない。
クラピカは特に慰めるわけでもなく、淡々と事実を口にした。

「そうか、そうか。それは…よかった…だが、気を付けなければ奴らはいつ裏切るかわからない…」

「抜かりはありません。
もし奴らが我々を裏切れば、こちらもそれ相応の対応に出るのみ。
…私は引き続き仕事がありますので、もう下がってもよろしいでしょうか?」

「ああ…ああ、クラピカ…お前が居てくれて本当に助かっているよ…お前だけが頼りなんだ…」

ボスの目は、だからこそ裏切るな、という強い警告の色を宿していた。
いや、実際は懇願に近い。
けれども実際、緋の目のことがなければ、クラピカがここにいる必要もなかった。

「ありがとうございます。
では、失礼します」

にこりともせずに、退室する。
クラピカの目的はこのファミリーを救うことなんかではない。
あまりにお門違いの期待に、呆れるしかなかった。




浮かない気持ちが、さらに沈むことをわかっていながらも、クラピカの足は自室へと向かっていた。

いつまでもノストラードファミリーに見切りをつけず、ここに残っているのは、この仕事で知り合った仲間たちと緋の目のため。
ボスや本当の収集家であるネオンでさえ知らぬうちに、クラピカは緋の目を数組所有していた。

もちろん、正規の手段で入手したのではない。
そんな法外な金額を用意できるわけもなく、クラピカはあくまで取引の中でこの緋の目を手に入れた。
いくら落ちぶれてしまったとしても、ネオンの知り合いにはたくさんの人体収集家がいる。
そしてそういった奴らは、叩けばすぐに埃が出るような連中ばかりだ。
そのため、不本意ではあったが、取引という脅しは非常に有効であったわけで。

クラピカはファミリーの仕事をする傍ら、そうした外道の情報をも集めていたのだった。

「はぁ……」

しかし、考え事をすればするほどより鬱々とした気分になるだけ。クラピカは自分でも無意識のうちにため息を零したが、ふと、見知らぬ気配を感じで自室の扉の前で立ち止まる。
しかもこれは部屋の中から。緋の目が隠してあるのはまさにここだ。
そもそもクラピカが緋の目を持っているのを知っているのは、センリツとバショウくらいなものなのに
、生憎気配はその二人のうちのどちらでもない。

クラピカは警戒しながらも、牽制の意味も込めて勢いよく扉を開いた。

「誰だ、お前は…!!」

部屋の中央で立ちつくす人物。
長いローブを羽織り、フードに隠されていて顔もわからないが、そいつは確かに緋の目の入った容器を抱えていた。

「貴様っ…どうしてそれを!!」

クラピカがそう言うと、そいつは弾かれたように窓の方へと動いた。

素早い動き。
そして、目の前から消えてしまったのかと錯覚するほどの絶。おそらく並の遣い手ではない。

「逃がさないっ!!」

だが、クラピカだって緋の目のことになればいつも以上に神経が研ぎ澄まされるわけであるし、何より目の前で絶をされても、その存在はとっくにわかっているのだ。
伸ばした鎖はそいつの体に巻き付き、窓から飛び降りようとしていた相手はぐい、と室内に引き戻される。

しかし、バランスを崩して背中から床に落ちるかと思いきや、勢いよく体をひねり、逆に鎖を巻き取ってくる。
意外と簡単に相手を捕らえられたことで油断をしていたクラピカは、思わぬ反撃に前のめりになった。

「くっ…!」

僅かなその隙に起き上がり、再び逃げようとするフードの相手。
攻撃はしてこないが、それでもまだ緋の目を手放さない。
前のめりになった反動を生かしてクラピカは床に手をつくと、側転の要領でそのまま思い切り相手に体当たりをし、組敷いた。

「何者だ!答えろ!」

ただの泥棒だとしても、なぜここに緋の目があるとわかったのか。
相手は答えずに必死でもがくが、鎖はそう簡単に壊せない。
恐らく旅団員ではないはずだから、チェーンジェイルは使っていないのだが、腕力でどうこうするほどの力も持っていないようだった。

「今のうちに答えなければ、無理矢理にでも答えさせることになるぞ!」

念を使われる危険を頭の片隅に置いたまま、クラピカはバッ、とフードをめくった。

「…なっ!?」

ぶつかり合う視線。
怯えた表情。
そして、その瞳の色は、これまで見たどんな色よりも鮮やかな緋色。

思いもよらない事態に、クラピカは固まった。

ビュン−
頬掠めた痛みを認識すると同時に、クラピカの体は突き飛ばされる。
壁には投げられたナイフが突き刺さるが、それでもまだ呆然としてクラピカは相手を見ていた。

「待ってくれ…!お前は…」

一瞬、緩んだ鎖。
彼女は器用に身をひねると、するりと抜け出した。
そして、フードを目深に被り直すと、今度は緋の目を置いたまま、窓からひらりと飛び降りる。

ほんの数秒にも満たない時間だったが、時が止まったように感じられて、身動きひとつできなかった。

「頼む!待ってくれ!」

ようやく我に返って窓に近寄り、下を覗き込むも、もうその姿はない。
だが、クラピカは逃がした残念さよりも、血の沸き立つような興奮を覚えていた。

あの瞳、見間違いなどではない。
彼女は紛れもなくクルタ族で、つまりはクラピカ以外にも生き残りがいたということだ。

クラピカは壁からナイフを抜き、しげしげと眺めた。残念ながらありふれたナイフで彼女を探すためには何の手がかりにもならないだろう。しかし、自分が最後の一人だと思っていたところへ、突如として現れた同胞なのだ。絶対に何がなんでも必ず見つけ出してみせる。

クラピカは床に落ちた緋の目の容器を拾い上げて、中の瞳と視線を合わせる。
いつもならそうすることで酷く滅入った気持ちになるが、今日はいつのまにか鬱々とした気分でさえ晴れ渡っていた。

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