- ナノ -

■ 1.忘れられない思い出

「そんなところで、何をしている?」

暗く汚い路地裏には、あまり似つかわしくない落ち着いた低音の声。
幼いリアはこれでもかと言うほど小さく身を縮め、自分以外の全てを恐れるようにうずくまっていた。

「おい、聞こえていないのか?」

声からしておそらくまだ若い男だろう。
しかし普通の人間にリアの姿が見えるはずもないため、リアは当然のように顔を上げなかった。きっと、男は他にも沢山いる浮浪者や犬か何かにでも声をかけているのだろう。
リアは自分の能力を奇妙だとは思っていたが、同時に深く信頼もしていた。このおかしな能力のお陰で、呪われた瞳を持ちながらも今まで生きてこられたのだから、今日も大丈夫だと思っていた。

が、安心していられたのはそこまで。不意に両肩を捕まれ、ぐらりと揺さぶられる。

「お前だよ。俺の質問に答えろ」

触れられたことに驚いて、リアは弾かれたように顔をあげた。恐怖よりも先に予想外の事態に頭の中が真っ白になる。フードの隙間から男と目が合った瞬間、男は小さく口を開けて固まった。

「お前……その目は…」

しかし、目という単語を聞いた途端、考えるよりも先に身体が動いていた。リアは男が言い終わらないうちにぱっと手を払って、転びそうになりながらも駆け出す。

見られた。
逃げないと、殺される……!!

それはもはや一種の強迫観念だった。
あの男の反応からして、彼はこの瞳の価値を知っている。だから捕まることはイコール死だ。
いつもなら万一見られてしまったとしても、能力を使って姿が見えないようにし、急いでその場を離れるだけでよかった。

だが、この男は確実に追って来た。
正確にはリアが見えていないかもしれないが、気配をたどるかのようにこちらに向かってくる。「なんで……っ」こんなことは今までになかった。距離を確認するように走りながら振り返り、リアは目を凝らして男を見る。すると男の周りに変な湯気のようなものが見えた。

「あれ……私と同じ……!」

見えるはずのないものに気をとられた瞬間、男と視線がばっちりと絡み合う。男は綺麗な顔にこれまた綺麗な笑みを浮かべた。

それがクロロとの出逢いだった。



その日以来、リアはそのクロロと生活を共にすることになる。
どうしてそんなよく知りもしない赤の他人と暮らす気になったのかははっきりしない。

ただ、当時12歳になったばかりのリアはもう、一人で生きていくことに限界を感じていた。
それは経済的な面や社会的な意味ではなく、誰にも助けを求めることができない孤独と、誰からも狙われているという恐怖のせいだった。

リアの瞳は美しい。
リアの瞳は鮮やかな緋の色。
そしてそれは決して褪せることのない強烈な赤。

リアの瞳は、彼女が10歳の時以来、ずっと緋色のままだった。
途切れることのない怒りと悲しみは彼女の瞳を永遠に染め上げてしまった。

「リア、俺がいれば何も心配することはない」

そう言ってくれたのはクロロだけだった。
リアの瞳を見ても奪おうとしなかったのは彼だけだったのだ。
リアにとってクロロは、命の恩人であり、兄代わりであり、初恋の人。
強くなるために、修行だってつけてくれた、それなのに…。



「リア、悪いがしばらく会えない」

「えっ…どうして!?」

ある日、唐突に告げられた別れの言葉にリアは愕然とするしかなかった。
クロロが仕事だって言って、長期で家を空けることは今までだってたくさんあったがいつもはそんなこと言わない。だからこそ改めて告げられた言葉は重く、クロロの「しばらく」はリアの感覚とは違うのだと思わせた。

「俺がいなくても、もう大丈夫だろう?」

「そんな……!」

実際、クロロの言う通り、リアは既に一人でも生きていけるだけの力は持っていた。
だが、精神的にはそうではない。また一人ぼっちになるのかと思うと、きゅうっと胸が苦しくなって吐き気がした。

「嫌だ、嫌だよクロロ!」

「そんなに俺に会いたいか?」

「うん!クロロに会えないなんてやだ!」

結局、彼と暮らしたのは2年足らず。
今から思えば、彼はこうなることがわかってて簡単な修行をつけてくれたのかもしれない。
もちろんリアだってクロロとずっと一緒にいられるなんて、そんな甘いこと考えたわけじゃなかったけれど……。

「だったら、生きろ。
そうすればまたいつか俺に会える」

突き放すような言葉には不釣り合いなほど優しい笑顔。
リアの視界はぼやけて、世界が全て歪んで見えた。

「その目、誰にも取られるなよ。
お前は俺のものだ、リア」

「…わかったっ!」

クロロがどんな気持ちでそれを言ったのかはわからない。
おそらく他の人間に言われていたら、不快でしかななかっただろうと思う。
だがリアは信じていた。クロロだけがリアを「物」として見ていたのではないと。

「さよなら……」

だからわがままを言って彼を困らせるようなことはしない。
リアは再び彼と会える日が来ることを、硬く強く心の底から信じて待っていた。

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