- ナノ -

■ 06.爆発する感情

男をあっさりと殺したイルミは、早速仕事が完了したことを依頼主と実家に連絡した。この船から逃走するためには迎えに来てもらう必要があり、それまでの時間、死体の発見を遅らせなければならない。イルミは男のスラックスのポケットから鍵を奪うと、しっかりと施錠して部屋を出た。そして不要になった鍵はそのまま廊下の窓から海中へと投げ入れる。
そのうち一緒に来ていた女が男を探すだろうが、まさか中で殺されているとは思わないだろう。船中を探し尽くし、いよいよこれはおかしいとなってマスターキーが登場する頃には、イルミ達はもうここにはいない手筈である。

迎えが来るまでおそらく15分もかからない。海の上のほうの小型私用船をこっそりこの船に繋げるつもりだが、最後にそこでまたナマエの出番だ。文字通り身体を張って彼女が調べた配管内に念弾を通らせ、制御室でちょっとした爆破騒ぎをやる。その騒ぎで皆の注意が逸れた隙に脱出すれば、今回の仕事はそれでおしまいだ。

しかし、せっかくこの仕事の終わりが見えたというのに、イルミはどうもすっきりとしなかった。問題は言わずもがなナマエのことである。

眠れない夜を過ごしたイルミはもちろん機嫌がいいとは言えなかったのだが、広々ベッドで寝たはずの彼女もまた酷く機嫌が悪く、朝からろくに口もきかない。別にイルミだって話すこともなかったし、話したいとすら思わなかったが、普段から喧しい彼女といて会話がなかったのは初めてのことだ。それはそれでなんとなく収まりが悪い。

そういえばパーティー会場で彼女はヤケ酒のように何杯も飲んでいたが、酩酊して念が使えないなんて馬鹿なことになっていないだろうか。少し心配になって、足早に自分たちの部屋に戻る。最後の最後でヘマをされては、迷惑極まりなかった。

だが、残念ながら悪い予想というのは当たるもので、部屋に戻ったイルミは顔を真っ赤にしてソファに腰掛けたナマエに迎えられる。部屋の鍵は不用心にも開きっぱなしだったし、床にはいつの間に持ち込んだのかブランデーのボトルが転がっていた。ナマエが寝ていないことが不幸中の幸いだとしか言いようがなかった。

「ナマエ、これは一体どういうことなの」
「……どうもなにも、見たまんま。お酒飲んでるの」
「へぇ、だいぶ酔ってるみたいだけど、この後の予定忘れたわけじゃないよね?」

一応会話は成立している。が、仕事中ということを忘れないで欲しい。悪びれた様子のまったくないナマエに早くもイルミは苛立っていたが、それがお酒のことに関する苛立ちだけではないことくらい、自分でもわかった。わかっていたのに全部一緒にまとめて、感情のままに彼女にぶつけた。

「ナマエさ、いい加減にしてよ。そんな酔っ払った状態で正確に念弾をコントロールできるの?こっちは遊びじゃないんだ、"プロ"を名乗るんならもっと真剣にやってくれる?」
「……」
「そもそも今朝から機嫌悪いし、そんなにオレと寝るのが嫌だったわけ?安心しなよ、オレ昨日はソファで寝たから。何を勘違いしてるのか知らないけど元々お前に興味なんてないし、自意識過剰も大概にしてよね。そのうえそんな酔っ払って、唯一の取り柄である念まで肝心な時に使えなかったらどうするつもりなの?だいたいナマエは、」
「わかってるよ!」

どん、とテーブルを叩く大きな音で、イルミの言葉は遮られた。もちろん、イルミがその程度のことに怯むはずもなく、余計にムッとしてさらなる追撃を仕掛けようとしたが、その時ナマエの表情を見てハッとする。それはいつも馬鹿みたいにへらへらしている彼女が今までに見たことないような女の表情で、ぽろぽろと涙をこぼしていたからだった。

「……わかってるよ、私はプロなんかじゃない。イルミが昨日ソファで寝たのも、私のことなんてなんとも思ってないのも、念しか取り柄がないのもわかってる!全部わかってるの!」
「……ナマエ、」
「イルミは私のこと、ただの馬鹿だって思ってるんでしょ。馬鹿で安上がりで利用しやすいって思ってるんでしょ。自分で言ってたじゃん、食事で殺しの依頼受ける奴なんて普通いないってさ……。
ほんとは私だってありえないと思う。でもこうでもしなきゃイルミと一緒にいられないんだもん!私を馬鹿でいさせてるのはイルミだもん!」

言いたいことだけ言ってわぁん、と声を上げて泣き出したナマエはもう、どこからどう見ても子供の泣き方だった。初めに見せたような、涙をこぼすだけの綺麗な泣き方ではない。だが、イルミはこっちのほうが彼女らしいと思った。そして彼女の告白に驚きつつ、鼓動が早くなるのを感じていた。

「き、昨日だって、ほんとは起きてたの!たとえイルミが私のことなんとも思ってなくたって、ドブネズミだと思ってたって、それでも私はドキドキしてた!なのに、気にしないよって言ったくせにイルミはソファで寝るんだもん!そんなに嫌なら初めから床で寝ろって強制された方がましだったよ!」
「いや、それは……」
「うるさい!今私が喋ってんの!」
「うるさいとはなにさ、だいたいその事と今ナマエが職務放棄して酔っ払ってることは関係ないだろ」
「あるよ!イルミのことが好きだからこんなことになってんでしょ!もういい、忘れて!勝手に好きになって悪かったね!」
「はぁ?」

ほんと、酔いすぎ。何を言っているのか全然わからない。泣きながら怒るという器用な真似をしてみせたナマエは、今度は完全な泣きのスイッチが入ったらしくわんわん泣き出す。流石にそこまで豪快に泣かれては、イルミもそれ以上糾弾することができず途方に暮れるしかなかった。第一、告白しながらキレるというのはいかがなものだろう。うるさいなどと、それが好きな相手にいう言葉なのか?ほんとに好きなのか?と問い詰めたくなるが、残念ながら今はそんなに悠長にしていられない。まるで図ったかのように、携帯が鳴って迎えが来たとわかった。

「ねぇナマエ、もういいから……とりあえずまだ念使える?」
「ううっ……えぐっ……たぶん……」
「そう、じゃあ計画通りにそれやって。ナマエのことはオレがちゃんと連れ出すから」

頷いて指先から念弾を放った彼女に、ひとまずほっとする。先程は苛立ちのあまり色々と酷いことを言ったが、彼女の能力を買っているのは本当である。酔った挙句酷い醜態すら晒しているが、この分ならきっとやり遂げるだろう。
イルミは彼女を小脇に抱え、予め決めておいた脱出経路を辿る。まだ小さく啜り泣きのようなものが聞こえていたが、それでもしっかり指先を動かしているあたり、彼女も相当プロ意識があると言っていいだろう。

程なくして爆発が聞こえ、船全体がぐらりと揺れた。予定より少し爆発の規模が大きいように感じたが、この際細かいことは言っていられない。

「イルミ様、こちらです」
「うん」

私用船に飛び移ればもうおしまい。イルミはやけにすっきりした気分で、とん、と甲板に着地した。

[ prev / next ]