- ナノ -

■ 05.猫を殺した好奇心

ごくごく小さな爆発音と共に、男の頭上のスプリンクラーが作動する。周りにいた人間はとっさに飛び退いてそこまで大事に至らなかったみたいだが、もろに水を浴びた男は目を白黒とさせていた。

「お客様、大丈夫ですか?」
「な、なんなんだこれは!どうなっている?!」

殊勝にも、女のために飲み物を取りに行っていた男はグラスを両手に持ったまま困惑した声を上げた。その騒ぎにウエイター達が彼の周りに集まったがもはや後の祭りで、高級そうなスーツはものの見事に濡れてしまっている。

「申し訳ございません、スプリンクラーの故障みたいで……!すぐにタオルをお持ち致します」
「ええい、タオルではどうにもならん。もういい、着替える」
「本当に申し訳ございません!」

ナマエは男が部屋へと戻っていくのを確認すると、もういいでしょ、と言わんばかりにイルミに背を向けた。既に彼女は何杯も強い酒を煽っていたが、イルミが止めるのも聞かなかっただけあってコントロールに乱れはない。「先に部屋、戻ってるから」ナマエは短くそう告げると、さっさとパーティー会場を後にした。あれだけ大きい船だ、船上パーティーだと楽しみにしていたくせに、一体どうしたというのだろう。

だが、いつまでも彼女のことを気にしている場合ではない。ナマエがやるべきことを果たしたのだから、次はイルミの番である。
ぶつくさと文句を言いながら廊下を歩く男の後ろをつけていき、彼が鍵を開けたと同時に一緒に中に雪崩込む。正直ここまでくればあくびが出そうなほど簡単な仕事だったが、それでも仕事は仕事。気を抜くわけにはいかない。
そうは思ったものの、気づくとイルミはまたぼんやりとナマエのことを考えていたのだった。


シャワーを出たイルミが気配を消していたのは、何もナマエを驚かそうとかそういうつもりではなかった。幼少期からの教育の賜物、つまりは癖になっていただけで、特に意味は無い。むしろイルミにしてみればそれが自然体ですらあった。

だからうっかりナマエの独り言を聞いてしまった時、イルミの方が驚いた。びっくりした、というより、鈍器で頭をガツンと殴られたような、そんな衝撃を感じたのだ。

だがよくよく考えてみれば何も驚くほどのことではない。ナマエが言った通り自分たちの間にはそういう艶めいた雰囲気など全く無かったし、彼女が自分のことをなんとも思っていないことくらい知っていた。イルミだってナマエのことなんかなんとも思っちゃいない。
それなのに一瞬動揺してしまった自分が馬鹿馬鹿しいとすら思えて、いつもの調子でナマエに声をかけた。すると初めは様子がおかしかったナマエもいつもみたいに言い返してきて、ああよかったと何故か安堵した。

そう、ナマエが変な質問をしてくるまではイルミだって胸のざわつきを無視することが出来たのだ。
いざ寝る段になって隣で寝ても平気なのかという問いは、質問ではなく拒絶のように感じられた。それが恥じらいから来るものならまだしも、その前にはっきりと死体や人形と変わらないと言われてしまっているし、どう考えたって嫌がられているとしか考えられない。そのうえ、独り言とはいえはっきり好きじゃないと言われて、イルミは当然のように面白くなかった。

けれども、いくらイルミが物をはっきり言うタチであっても、こればかりは伝えられない。第一、なんと言えばいいのかわからなかった。好きじゃないものを無理に好きになれとは言えないし、そういうことをするわけではないにせよ、嫌いな相手と一緒に寝るのが嫌でも仕方がない。
ただ、自分が嫌だからというのではなく、こちらを気遣ったように見せかけた彼女の質問には苛立った。嫌なら嫌とそう言えばいいのに、どうしてそんなまどろっこしいことをするんだろう。苛立ったからこそ、イルミはあえて気にしないよと言ってやった。そんな卑怯なやり方で思い通りに行くと思うなよ、と思った。

しかしそうは言ったものの、髪を乾かし終わったイルミはナマエの隣で眠ることをしなかった。部屋に戻ると彼女は広いベッドの端っこに小さく丸まっていたのだが、なんとなくそこに寝転ぶ気にはなれない。あれだけ嫌がっていたくせにすやすやと寝息を立てているナマエが憎たらしくて、イルミは迷うことなくソファへと身体を横たえた。

そうだ、初めからこうすればよかったのだ。そうすればこんな不毛なやり取りをする必要はなかったし、要らぬ腹立ちを抱えることもなかった。みながみな、ベッドで寝なければならないというわけでもあるまい。イルミは寝ようと思えば土の中だって眠れるし、逆に他人が隣にいた方が寝つきが悪いに決まっている。もっと早くに気がつくべきだった。そもそもベッドがひとつだからといって一緒に寝ようとしていた、その前提から間違っていたのである。

とはいえここで名誉のために弁解しておくと、イルミに下心があったわけではない。もしも本気でナマエに手を出すつもりなら、仕事中という中途半端なことをせずちゃんとホテルに誘っただろうし、嫌なら床で寝ろなんて提案せず問答無用で襲っている。強いて言うなら、自分とひとつのベッドで寝ることになってナマエがどんな反応をするのか、それを見たかっただけなのだ。決して疚しい気持ちではない。

でもそれならば、自分は彼女に何を期待してたというのだろう。
考えても、それだけはわからない。

結局、イルミは大食い女のくせに、と関係ないことまで持ち出して、内心でナマエを詰りながら長い夜を明かしたのだった。

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